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短編小説「ミサイルマンの憂鬱」

 自分が「ミサイルマン」と呼ばれている事を男が知ったのは扉が閉まる間際に白衣の男達が話していた雑談が聞こえたからだった。もっとも自分がなんと呼ばれようと、外出が一切禁止されていようとこの生活に男が不満を持つ事はなかった。

 男の朝は八時ちょうどのアラームで始まる。朝食をとり、歯を磨き、顔を洗い、メディカルチェックを受け、九時ちょうどに扉一枚隔てた職場へ入る。

 壁、床、天井全てが真っ白な六畳程の部屋には中央にモニターと椅子、部屋の隅の対角に男の背丈ほどの観葉植物が二つ置かれていた。いつも通りに椅子に浅く座り、首をぐるりと回してモニターを見つめる。部屋の中にはカメラのようなものは見当たらなかったが何らかの方法で監視はされているのだろう。

 隣の国との戦争が始まったのは一年前のことだ。男の仕事は隣国から発射されたミサイルを迎撃するミサイルを発射する事。と言ってもモニターにミサイルが発射された事を示す表示が出て警告音が鳴ったら十分以内に目の前のボタンを押すだけだ。多くて一日に数回、時には三日間何もない事もある。ゲームにしても簡単な、ミスのしようのない仕事だ。男はそれを半年以上続けていた。

 十七時になる少し前に白衣の男がやってきて仕事終了となる。夕食を食べ、シャワーを浴び、消灯までの暇つぶしにと用意された映画を観たり、雑誌を読んだりして過ごす。外出はもちろん外の人間と連絡を取る事もできなかったが、これで妻と子供に充分な生活費が支給されるのだからなんの文句もなかった。

 確かめた事はないが自分がモニターの前にいない時間は他の誰かが同じ仕事をしているのだろうと男は予想していた。

 男がある考えを抱いたのはたまたま読んでいたサッカー雑誌の記事がきっかけだった。

「体力が無限に続くとしても永遠にリフティングを続ける事は出来ない理由」というコラムだった。別にサッカーに興味があったわけではなかったが暇つぶしに読んだそれに男は強烈に惹かれた。

 人間は深層心理では失敗する自分というものを愛しく思い、自ら失敗しようとすることがあるという。ミスしようのない場面でイージーミスをしてしまうのは油断や集中力を欠く事の他にこの心理が働くためで、文字通り自分との戦いが行われている。とその記事には書かれていた。

 失敗しようのない男の生活にほんのわずかな綻びが生まれた。そしてそれは「もし迎撃に失敗したらどうなるのだろう?」という負の好奇心によって日々増大していった。

 そもそも今まで失敗した場合についての説明がなされた事は一度もなかった。そうならないように万全を期しているのだろうが、男がわざと失敗するというのは想定していないのだろうか?

 一日に二度だけ会う唯一の他人である白衣の男にそれを聞く事も躊躇われ、男は暫く淡々とミサイルを迎撃する日々を送った。淡々と? 男を監視する者からすればそう見えただろうが、男の内心では葛藤が繰り返される日々だった。

 それから一ヶ月程経ったある日、いつも通り朝食のオムレツを口に運び、メディカルチェックで異常なしと診断され、職場に移動しモニターの前の椅子に浅く座ったが、普段はモニターに向けられる男の視線はぼんやりとミサイル発射ボタンに落とされていた。

 正午を過ぎた頃、警告音が鳴った。男がモニターを見ると五十二発のミサイルが発射されたらしく、いつも通り十分間のカウントダウンが始まっていた。いつもならすぐに迎撃ボタンを押すところだが、男は動かない。ただこのまま何もしなければどうなるのだろうとこの一ヶ月悶々と考えていた問いを繰り返していた。クビになるのか、罰則があるのか、最悪殺されるかもしれない。

 カウントダウンが三分を切った時、警告音が大きくなった。いつも三十秒以内にボタンを押していた男にとってはそれも初めて知る現象だった。

 惚けた様にボタンを見つめる男もあと一分を切り、観葉植物から「どうした? なにかあったのか?」と白衣の男の声が聞こえた時にはさすがにそちらに反応した。なるほど、あの中にカメラとスピーカーがあったのか、と。それを一瞥し再びモニターに視線を戻した。

 三、二、一、

 カウントダウンの表示がゼロになった瞬間、けたたましく鳴っていた警告音が止み、部屋の中には静寂が、男には耳鳴りだけが残っていた。


 ……何も起こらなかった。


 十七時になる少し前にその日二回目の警告音が鳴り、今度は十秒と経たずに迎撃ボタンが押された。その後すぐに仕事の終了を告げに白衣の男達がやってきたが、男の失敗に言及する事はなかった。ただ、二人の会話が聞こえた。わざと男に聞えるように言っていたのかもしれない。

「やはりあの雑誌が不味かったのですかね?」

「そうだな、次は逆に『ボタンを押したら死ぬ』という設定でやってみようか」

「なるほど、『スーサイドマン』というわけですね」

 何が可笑しいのか、白衣の二人は笑い合っていた。

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