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私はアセクシャルであることを話さないようにしている

正直、LGBT+については「そこまで細かく分類する必要無くない?」と思っている派です。

全員、(良い意味で)他人に無関心であればいいんじゃないかなと。
人の性的指向に名称を付けなければいけない理由はなんだ? と。

理屈は理解できます。
良くも悪くも人間は人間に対して深い興味関心があるので、理解を深めるために敢えて分類しているのだという話なのでしょうが、なんかこう、もやっとするよね。どうでもいいだろ! 放っておけ! って思ってしまう。それこそ100人いたら100通りの性的指向があるんじゃないかなって。


……という前提を踏まえて、敢えてこの件について書こうかと思います。
こんな人間もいるんだな、というご参考までに。




私の性的指向について

私はアセクシャルです。
他者に対して恋愛感情、性的欲求を持たない人。
(より細かく言えばアセクシャル+アロマンティックですが、以下アセクシャルで統一します)


自覚したのは20歳をこえてからでした。
昔から恋愛漫画や恋愛シミュレーションゲームに感情移入をしたことは無かったし(そういうものは単純にストーリーの面白さやゲームとしての面白さを楽しんでいました)、もっと早めに気が付いても良かったとは思うのですが。
でも、成人するまではずっと「なんだかよく分からないけれど、いつか私にもそういう感情が勝手に舞い降りてくる」のだと思い込んでいました。


高校を卒業する年齢になっても全くその気配がない辺りから「あれ? なんか流石におかしくない?」とは思っていましたが……確信は無く。



自覚した日

私がアセクシャルを完全に自覚したのは成人後。
友人の失恋話を聞いた時でした。

友人は大学の部活が同じで、その部活は部員同士の仲が大変良く、性別学年問わず時間も曜日も関係なく一緒に過ごしていました。

(余談ですが、私は中学卒業後辺りからコミュニケーション能力が徐々に改善し、変わらず陰キャではありましたが大学生になる頃には複数の友人ができています)

普通に部活動に精を出したり、暇な時期は一緒にゲームしたり、閉門ぎりぎりまで大学にいて夕飯を一緒に食べて電車を逃して徹夜でカラオケする……みたいな体力の有り余った若者特有の遊び方をしていましたね。
ちょっと話がずれましたが、まあ、そのくらい仲が良かったという事です。


そんな部員たちと過ごすのが私はとても楽しかった。
全員が友達だと思っていました。
まあ、多くの部員たちもお互いの事をそうだと認識していたことでしょう。


しかし、私のあずかり知らぬところで部内恋愛が起こっていたようなのです。
とある部員Aと部員Bが恋仲になり、公表はしていませんでしたが付き合っていたらしいです。
その部員Aに片思いをしていたのが私の友人Cです。

私はこのことに1ミリも気が付きませんでした。
友人C、正直一番一緒に時間を過ごしたと言っても過言ではないくらい仲が良かったんですよ。
それにも関わらず、私はこれっぽっちもCの気持ちに気が付いていなかったんです。

この失恋の事実はCから直接聞きました。
因みに私も「あまりにもAと仲が良いから恋敵の可能性があるかも?」と思われていたようですがマジで気が付いていませんでしたしそのつもりはみじんもありませんでした。

そして、Cが恋をしていた時の楽しさ、失恋した時の辛さ、それを吹っ切るまでの葛藤……等を聞いて、私はそれらの全てをこれっぽっちも理解できなかったのです。

理解できないという事を理解できた、という経験を生まれて初めてしたのです。

これは、個人的に物凄くショックな出来事でした。
恐怖に近い感情を抱いたことを覚えています。
あまりにも大きい感情の揺れ動きだったせいか、Cと会話した場所も時間帯も明確に覚えている。
私は友人と同じ目線に立つことが出来ない。
それを痛感しました。

幸いなことに、こんなことがあったといっても(私前後の世代の)部員は本当にお互い仲が良いので、関係がこじれることは全くありませんでした。完璧に平和でしたし、今でも部員同士定期的に交流がある程です。一緒にディズニー行ったりします。



危機感の末の奇行

自分は他人に対して恋愛感情がないのではないか? 性的欲求もないのではないか? という事を徐々に自覚し始めた私は危機感を覚えました。
他人と違うということを個性だと思える前に、恐怖が先行したためです。

そこで私は、生まれて初めてAVを購入しました。

なんでだよと今だったら思えますが、20歳を超えても人間への恋愛感情どころか性的欲求すら無いのはちょっとまずいんじゃないか? と思い込んだ私は、試しにAVを見てみることにしたのです。

FA○ZAで売っていた、作品が複数入っているなんだか人気がありそうなやつ。

見た結果ですが、悪心を覚えてしまいました。
いや比喩ではなく。体調不良。

当然ですが、俳優さん方は何も悪くないのです。
内容が私の趣味からかけ離れていたということもないはずです。そんな奇抜なもの買っていないし。
ただ単に、生身の人間の性行為を受け付けることがどうしてもできなくて。
その日は具合が悪くなってそのまま寝ました。

よく考えたらR18映画の性行為シーンで具合悪くなったことがあることを思い出しました。

でもエロゲーは普通にやります。
素晴らしき日々とか終ノ空とか沙耶の唄とかさよならを教えてとかいたいけな彼女とか好き。
そもそも美少女キャラクター好きだし。
やりたいなーと思っている美少女ゲームまだあるし。
「こういう系のジャンルが好き」みたいなヘキの話も可能だし(ここではしませんが)。

二次元(ファンタジー)なら問題ないらしい。



自覚してから実際にあったこと

自分がどんな人間なのか自覚をしてからというもの、積極的に吹聴はしていませんが、「そういう話になった+自分にも話を振られた+話が長くなりそうだった」場合は、話題を避けるためにアセクシャルであることを話していました。

そこで「へーそうなんだ」で済めば良いのですが、平和にそれで終了というのもなかなか無く。
実際他人から言われた言葉は次の通り。

「まだ良い人に出会えていないだけだよ」
「気が付いていないだけじゃない?」
「男女間の友情なんて実質無いから」

エトセトラエトセトラ。

いやあなたはゲイの人に「まだ良い女性がいるって気が付いていないだけじゃない?」って言うのか?
バイセクシャルの人に「同性の人に対するその感情は気のせいじゃない?」って言うのか?
そういう話です。
当然話をした全員にこのようなことを言われていたわけではありません。
ですが、複数のコミュニティで何度か言われていることも事実です。

今となっては、一部の信頼できる人以外には適当に誤魔化すようにしています。
精神疾患やASDを職場に言わないと決めている、という話をした時と同じく、現状としてメリットよりもデメリットの方が多いと感じているからです。



結果的に

放っておけ」が現在の私のスタンスになりました。
冒頭でも言った、「良い意味で無関心」ってやつですね。
雑談としてのコイバナ的なアレは全然良いと思うのですが、その場で相手の性的指向や性自認を否定するようなことを言わないのは勿論、必要以上に受け入れ態勢を主張する必要もないんじゃないかな……。

これは私がAセクであるが故の考え方なのかもしれないし、私個人独特の考え方なのかもしれないし(というかそうでしょうし)、それで本当に良いのかと聞かれればなんとも言えませんが。

ただ、自分にとって大きな価値観の変化がない限りはこのスタンスが変わることは無い気がしています。


正解不正解は無い

色々散々言いましたが、結局こういうことは哲学と同じで、多くの人が考察し続けること自体が重要なのだろうと思います。
喧嘩じゃなくて意見交換。
喧嘩じゃなくてね、本当。喧嘩じゃなくてさ。

なんて、簡単に割り切れるようなことでもありませんけれど。

とりあえず私は、たまには考えようかと思います。病まない範囲で。

そうこうしているうちに、私の上記の考え方も、いつか全く違うものに変わるかもしれない。
自分の今現在の考え方が一生ものだとは思っていません。


今回はこの辺で終わります。



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