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慈善活動はモヤモヤする

寄附活動と他人の目


サンタクロースになるという経験

子供のころ、サンタクロースを信じていましたか。

「幼少期にはサンタクロースが居て、自分のところにもプレゼントを持ってきてくれる」

と幼少期には夢見ていたのではないでしょうか。
サンタクロースを信じて、目をキラキラさせて

「サンタさんはいつ来るの?」

とワクワクする気持ちを体全体で表現している子供たち。時にはその気持ちを抑え切れず家の中で小躍りしてしまい、母親に怒られている子供もいます。

こんな子供たちに、夢を与えてあげたい。

私は、こんな思いがありました。
しかし、寄付やプレゼントをしたいと思っていても、そういった機会はありませんでした。

2017年から「本を子供たちに贈ろう」という『ブックサンタ』という企画が登場しました。
ブックサンタとは、「様々な事情で大変な状況にある子どもたちへ、本をプレゼントしよう!」というチャリティープロジェクトです。

各地の書店を中心に開催されており、多くのユーザーを獲得しています。
しかし私は、この企画を恥ずかしながら昨年知りました。
このような企画があることも知らず、ホスピスに絵本を送ろうとしていました。

「絵本を贈りたいのですが」

そう伝えても、多くのホスピスや病院では良い顔をされません。
「良いことをしているのに」と言ってくださる方も多くいらっしゃいます。
しかし、ほとんどの場合は怪しまれることがほとんどです。

クリスチャンの病院では「キリスト教にちなんだ本なら」と言われ、お寺に併設されていうところなら「仏教的な教えを説くものなら」と言われました。

このように「良いことをしよう」と思っても、現実的には難しいのが日本の現状なのです。しかしこれには納得で、阪神淡路でも福島でも、能登半島でも被災地に良かれと思って物資を運ぼうと考えても行動に移せるものではありません。
各々が勝手な行動をとることで、混乱を招くことは容易に想像できます。

ですから納得することは納得なのですが、「せっかく良いことしようと思ったのに」という思いは拭いされません。

しかしこれは、考えてみれば傲慢な思いでしかありません。
「せっかく」「しようと思ったのに」という明らかに上から目線というものが生み出している感情は、誰の目にも「献身的なもの」ではないことは明らかです。

本来はもっと、素直な気持ちというもので行う必要があるのです。

「ブックサンタ」という企画は、こうした気持ちを持った人にも、優しい企画であると思うのです。
「子供に本を贈る」
という、誰の目にも献身的な気持ちのたまものとして映る企画は、与える側にも「献身的な気持ち」を忘れてしまったり、無くしてしまう前に行える「気楽な企画」です。

気楽な気持ちで行うことは、素直な気持ちの表れであり、ねじ曲がった自分自身の私利私欲などを忘れさせてくれる効果も期待できるのです。

「偽善ではないか」
「計算ではないか」

と『献身的な気持ち』というものは考えれば考えるほどわからなくなるし、偽善に感じます。考えれば考えるほど自分が純粋に「寄付しよう」と考えたことが嘘っぽく感じてくるから不思議です。

ですから、書店で『ブックサンタ』の広告を見つけた際には、コンビニで「温めお願いします」と言うくらいの素直な気持ちで「お願いします」と申し込むことをおすすめします。

きっと自分の気持ちの綺麗さにも気づくことができ、自分を今よりもっと好きになれるでしょう。

その時の注意点としては、「自分がサンタになる」ということは考えないことがおすすめです。
「サンタクロースになる」ということを意識しすぎると、非日常が突然襲ってきます。
非日常という魔物は、恐ろしいものです。意識させ、自分を失わせ、冷静さをなくすように「こんな自分がサンタなんておこがましい」などの自己肯定感を失わせる魔法をかけられてしまうのです。

サンタになったのだという実感は、否が応でも自宅に帰った時にじわじわと湧いてきます。この瞬間まで、決して「サンタクロース」という単語は忘れてください。

きっと、素晴らしい体験が、あなたと子供たちに訪れるでしょう。
ぜひ来年は、素直な気持ちで申し込んでください。


追伸

この記事は、薄々感じられている人もるように、昨年末に書いたものを加筆修正を加えたものです。
なぜ、昨年末の時点で出さなかったのかというと、勘の良い方は途中からおかしいことに気づかれたように、完全に脱線していることにあります。

自分では、『ブックサンタ』の良いところを書こうと思っていたのですが、あれよあれよという間に、おかしな方向に向かってしまい、結局
『寄付などを行う際に湧き上がる感情』
のような話になってしまいました。

しかし、多くの人はこのような気持ちになっていることが多いのではないでしょうか。

「寄付はしたい。自分でも協力できることなら、もちろん大歓迎だ。しかし、こんなふうに寄付をする人間を、人からはどう見られているのだろう」

こんなふうに考え始めたら、もやもやしてきて結局できなかった。
こんな人が多いのだと思います。

寄付というのは勇気がいるものです。
ましてや、自分には金銭的、物質的なメリットが何もないときこそ、「他人から見られる自分」というものを意識してしまうものです。

私もかつて、人から言われたセリフに「聖人君子のようなことを言っている」と陰で言われたことがあります。
これは、一見褒められてようにも聞こえますが、陰で言われていることも相まって、悪口を言われているという感覚になりました。
他人からは、そんなふうに見られているのだというショック。
こうした心の傷というのは、癒えることはないのだと思います。
何らかの形で、一生抱えていくものです。

そうなってしまうことを知っている私たちは、こうした事態を避けようと、人様から言われている言葉を気にして生きています。
ですから、「こんなことをしたら、みんなはどう思うのだろう」という思いが心を支配してしまうのです。

寄付に関しても献身的な行動に関しても、人様がなんと言おうと計算高く行動を決めた訳でもなければ、自分の私利私欲で決定したことでもありません。
芸能人のように、売名行為でやっている訳でもないのです。

自信を持って、行動しましょう。
あなたのその行動の先にある、喜んでくれる人々の笑顔だけを思い浮かべて。




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