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死んだ彼女との写真が全然無かったもんで

つい最近のこと。

私が音楽活動をしていた頃に慕っていた先輩が、死んだ。

彼女を慕っていた頃の私は、3ピースのガールズバンドでドラムボーカルを担当していて(全員ボーカルと言う挑発的なバンドでした)、彼女はギターボーカルだったからパートは違うかったのだけれど、彼女の作り出す底抜けな爆裂サウンドと、それとは正反対にどこまでも孤独な歌詞が魅力的で大好きだった。

一緒にライブもしたし、一緒にツアーも回ってもらったし、共同でイベントしたりなんかもした。
とにかくお世話になりまくったし、1歳しか変わらないのに同年代のバンドマンの中では抜きん出てカリスマ的存在だった。


だけれど、そんな彼女にも難点が一つだけあった。

とにかく酒癖が悪いのだ。

もう本当に。それはそれはとてつもなく悪くって、内容は割愛するけれども、彼女と関わったことのある人は皆わかると思うし、それが彼女の一つキャッチーな部分でもあったのかもしれないけれど、やはり周りから散々注意もされていたし、その時の私には理解しがたい部分も多くって。

酒癖が悪いだけならまだしも、私はよく彼女に怒られたりもしていたもんだから(私も私できっと生意気な後輩だった)なんだか余計に理不尽だなこの人。とか感じるようになってしまって、一時期からそれが辛抱ならなくなって、一緒に過ごす時間を減らすようになった。

電話で飲みの誘いがきても断って、彼女のバンドのライブもほとんど見に行かなくなった。そうこうしている内に私のバンド活動も終わり、彼女のバンド活動も終わり、彼女の方から誘いの連絡がくることも無くなっていった。

正直、少し寂しいなと思うこともあったけど、私は音楽活動に一旦終止符を打ち新たな生活を過ごしていたこともあって、またいつかどこかで会えればいいや。だってそのうちまた飲んだくれて誘ってくるんやろ?
なんてことを思っていたのだ。

けれど、その後数年間、彼女から誘いの連絡がくることはなかった。


「のどか、昨日亡くなりました。お酒飲んで倒れて――」

代わりに入ったのは、彼女がやっていたバンドの元メンバーからの連絡だ。

は? 何してんの?
と、怒りが込み上げてくる。
でもその怒りはすぐに悲しみと悔しさに変わった。

のどかさんとは確かに数年間連絡を取っていなかった。
でも、SNSで繋がっていることもあって、流し見程度でもお互いの近況はチェックし合っていた。

だから最近ののどかさんがあまり自分の思うようにいっていない様子なことも、以前にも増して「あの頃」を懐かしむようになっていたことも、お酒の量がとてつもなく増えていたことも、なんとなく、知っていた。
人から聞いたりすることもあったし。
SNSでそんなのどかさんの様子をチラっと目にする度に、大丈夫かな?と言う思いを飲み込んで、私は見て見ぬふりをした。

ただ、一番最近の投稿だけは凄く前向きで「新しい目標ができた」的な文言と共に添えられた写真は本当に生き生きとしているようにも見えて、嬉しくなって「頑張ってください」ってコメントしようとした。
けど、やめた。
やめた代わりに「いいね」だけを押して画面を閉じた。

その一か月後にのどかさんは死んだのだ。

私がその投稿にコメントしようがするまいが関係ない。
私ごときのコメントでのどかさんの死を食い止められたとかそんなおこがましいことは思わない。
でも、伝えられるはずのことを伝えられなかった。
後悔した。死んでから後悔するとかズルいしほんま最低や。
わかってるけど、悔しくて悲しくて、訃報の連絡を受けたその晩はとにかく、泣いた。泣くことしかできへん自分を心底恥じた。

翌日、お通夜には350名を超える参列者が集まった。

懐かしい顔ぶれが沢山いて、「こんなことで再会したくなかったね」なんて言葉が飛び交って、でも棺の中ののどかさんを見るとそんな言葉も失うくらいに皆悲しくて、泣いて、寂しくなって、もんすごい愛されてたのに何で?って誰もが思って。
棺を前に号泣しながら、のどかさんの歌を歌ったりもした。

君といた時に 言いたかったことばが本当はいっぱいある
言いたいこと何一つ言えてない 心から心からほんまにありがとう

おおきに(くりキントン)

これはのどかさんが高校生の時に作った曲。
ぴったり過ぎて、死んでるくせに天才かよって思って、また更に泣いた。

その更に翌日には告別式で、本当に最後のお別れをした。
告別式の後、懐かしの人達とのどかさんを惜しむ会なるものを開いて、のどかさんとの楽しかった思い出も嫌だった思い出も沢山語り尽くした。

皆と沢山話をしている中で、「数年」だと思っていた会っていない期間が、「6年」であることが判明して、私は驚いた。6年も経っていたとは思えない程、のどかさんとの思い出は鮮明だったからだ。


帰宅後、のどかさんと最後にやり取りしたラインを見返した。

2020年7月――

あれ? 3年前にやりとりしてる。何やっけ。

「おめー!!!!!!!」

と、のどかさんからたった一言。
それに対して私も

「お久しぶりでっす!!!!おおお!!!SNS見てくれたんですね!!!ありがとうございます!」

と、返信を入れていた。
その後のやり取りは無い。

でも、思い出した。
この年の7月に私は結婚したのだ。
誰にも報告せず、SNSだけでお知らせをした。
にも、関わらず、のどかさんは誰よりも真っ先にラインを送ってくれていた。

ちゃんと見てくれてて、たった一言でもちゃんと私に「おめでとう」って気持ちも伝えてくれていた。

そうやった。この人は思ったことをいつもちゃんと言葉にしてくれる人やった。
それがうざったくって、めっちゃムカついて、めっちゃ嫌いになってたけど、やっぱり大好きやったんや私。
そう気付いたら余計に涙が止まらんくなった。
もう会われへんねやって思ったらほんまに寂しくて悲しくて辛くなった。


「がんばー!!!!」

だけでもよかったやん。
あの時コメントせんかった自分のことをほんまに、ほんまに後悔した。

お通夜や式に参加していた皆も少なからずそれぞれの後悔とかいろんなやりきれない思いがあったと思う。
式の翌日からのSNSは、みんなののどかさんに対する愛ある思いで溢れかえっていた。
当時のバンドのMVをUPしている人もいれば、のどかさんの曲を弾き語りでカバーしてUPしている人もいた。
多かったのはのどかさんと一緒に写った思い出の写真。

私も――
と、写真を探してみる。

見つからない。

そりゃそうだ。私はある一定の期間が経つと写真をフォルダから全消去する癖がある。
実際の写真もすぐ捨ててしまうし、思い出は記憶の中にしっかりあるからいいやんっていつも形に残さないようにしてきたのだ。
そんな後腐れのない自分のことが正直好きだったのだけれど、この時ばかりは嫌いだと思った。
と言うか、やっぱりこうなってから全てを後悔して惜しむ自分のことを最低だと思った。

最低だと思ってももちろん時間も何も戻ってくることなんてあるわけもなくて、とにかくここに書くことにした。

私は文章を書くことが好きで、それに気付いたのは30歳を過ぎてからで、それはちょうどのどかさんと会わなくなっていた頃で、今はほんのちょっとだけれど書くことを仕事にしている。

そんな話もしたかった。
そんな話をして、「あんたそんなんで簡単に食べていけるわけないやん」とか言われたりして、またうっざって思って。
思いたかった。

ウザいけど、ムカつくけど、嫌いやったけど
生きててほしかった。
どこかで生きてくれてるって思ってたから、ウザいとも思えたし、これからももっとウザいと思わせてほしかった。
そんな失礼なことですら今はもう伝えることができへん。悔しい。


――告別式が終わってから丸一週間が経つ。
告別式が終わった週末に、当時のガールズバンドのメンバーとスタッフもしてくれたことのあった仲の良い友人とで久しぶりに集まった。
4人全員が揃うのは、実に10年以上ぶりとかなもんで、積もる話もあったやろうに、私は自分の近況を軽く話した後、彼女達の子供と遊ぶことに夢中になった。
結局ろくに皆の近況も聞けないまま、解散の時間がきた。自分は話すだけ話して、遊ぶだけ遊んで。しかも私の家が一番近い癖に遠い家の子に車で送ってもらったりもして、内一人は北海道から来てくれてて中々会えへんかもしれんと言うのに。最後に撮った集合写真だけは早く送ってと言わんばかりにちゃっかりと催促して。
最低かよ。


――「ほんまそれって最低なことやねんで?」

ステージ上からのどかさんが私に向かって言っている。

お通夜で流れていたいつかのライブ映像だ。
その日、私はどうやらのどかさんからの電話を無視したらしい。
だから、ステージ上のMCで名指しで怒られた。
ああもう折角の楽しいライブ中にまで説教してくんなよ。うっぜー。
って当時多分、思ってた。

でも、のどかさん。
あれから10年以上経った今でも、私は相変わらず常識が無くて最低です。
だから、もっぺんステージ上から怒ってくれへんかな。

YouTubeを漁ってようやく見つけた、のどかさんとの思い出の映像をここに載せてこの話を終えたいと思う。

享年34歳
POLKADOT(ex.くりキントン) ギターボーカル のどか


長くなりました。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


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