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「 この中だったら誰が好き?」


「なぁなぁ、この中だったら誰が好き?」って話、たまにあるだろう。

こういう話がきわめてにがてなのだ。たとえばアイドルグループの写真を見せられても、ああいうのってだいたいみんなかわいいし、このひとどういうひとなのかわかんないしなぁってなる。

好みのタイプ、というものがないのだ。そりゃあ、誰でもいいってわけではないけど、たぶんひとの外見にそこまで興味がないのだとおもう。話しててたのしい、ノリが合う、考えかたが似てる、そういうところがひとをすきになるポイントだ。
だから、アイドルグループや女優さんたちの写真を見てもまったく気持ちが動かないし、「どの子もみんなすてきですよ」と言うしかない。そういう答えは求められていないのがわかっているから、だいたい適当な子を指さしておくのだけど。

じゃあ、ですよ。「友達グループのなかの女の子だったらだれがいい?」って聞かれるならいいだろう、って言うとこれがまたちがうのだ。めんどくさくて申し訳ない。友達から恋人になることはあり得ることだし、実際自分も過去に経験がある。ただ、異性の友達を点数化して、ジャッジするという行為にきわめて抵抗感があるのだ。

友達のライターである、吉玉サキさんが書いたこの記事が、このnoteを書くきっかけになっている。ほんとそう、これなんだ。めちゃめちゃわかる。もうヘドバンするくらいの勢いでブンブン頭を振って頷きたい。ということで、このnoteを読んでくださってるあなたがた、全員読んでください。今日から1週間は無料らしいので、いまがチャンスですよ旦那。

で、男性同士だともっと露骨に「社内の女の子、だれならヤれる?」みたいな話になることもある。わたしも人間だから、もちろん性欲はあるんだけど、友達や知り合いを性的消費してしまうことに吐き気がするほどの嫌悪感を感じる。ひとにその感覚を押し付ける気はないけど、自分のなかで「友達をそういう目で見たくない」という気持ちがつよすぎるんだとおもう。ごめん、ここまででだいたい半分弱だ。文章量おおいけど、ついてきて。おねがい。


「博愛主義だよね」と言われることがある。

半分当たりで半分外れだ。わたしはひとをざっくり、「スキ」「どうでもいい」に分けている。「スキ」に入るひとが大多数のような気もする。
もちろん、他人を見るときに長所と短所は見る。「このひとこういうところあるな」とか「ここはちょっとかんがえが合わないな」とか、そういうことは自分なりに見ているつもりではある。

でも、最終的には「ま、そういうとこひっくるめてスキだよ」とか「いいひとだとおもうけど、わたしには合わないかなぁ」という自分なりの判断をしたいのだ。あくまでも自分の判断なので、他人とはちがうこともわかっている。一人ひとりに対する、自分なりの「絶対評価」だ。

長所と短所は表裏一体である、とよくいう。
そうだとするならば、見る位置によって見え方はちがうとおもうのだ。真横から見たらいいとこわるいとこが半々だし、前後から見たらそれぞれ100%になるだろう。
わたしたちはそのひとの周りを、時々場所を変えながら立っている。自分とほかのひとの立ち位置はちがうのだ。だから、友達がすきなそのひとのことを、きらいだなぁとおもってしまうこともある。足を動かさずに、上半身だけ友達のほうに近づけようとがんばってみても、腰を痛めてしまうだろう。友達のすきなだれかを、無理してすきになろうとするのは、そういうことだ。

そのひとの本質は変わっていなくても、自分の位置が変わることで、いやになってしまうことはある。そうしたら「いいひとだとおもうけど、わたしには合わなくなってきちゃったな」と離れればいい。
スキから一気にきらいになる場合、感情の振れ幅がおおきすぎて、つかれてしまう。「だまされた!」とおもうし、「おれはなんてひとを見る目がなかったんだ」とおもうと、結局自分のだめさにつらくなってしまう。若いころはそれでいつも致命傷を負っていた。本質的にプライドがめちゃめちゃたかいのだとおもう。これはそれを回避するためにかんがえた理論である。
わたしは、いろんなひとたちの周りを、いろんな立ち位置で見ているのだ。その関係は1対1である。


「友達グループのなかの女の子だったらだれがいい?」という質問は、異性の友人の顔・長所・短所に点数を付けてくらべる「相対評価」だ。

わたしは「絶対評価」でそのひとに対して敬意を払いたいのだ。尊重したいのだ。いいとこもわるいとこも、そんなあなたがスキなのだ。そのスキを、他人と比べることなんてできない。「めちゃめちゃユーモアがあっておもしろい」と「ものすごく気が利いて親切」って長所を、同列で比較できないでしょう。
たとえば「かっこいいインテリア」と「たのしい遊園地」はお金の値段で高い安いを比較できるけど、じゃあひとの評価のために、通貨みたいなものは導入したくないなぁ、とおもってしまう。それは敬意じゃなくて、値踏みじゃないの?ってかんじてしまうから。

書きたいことがほとんど吉玉さんに書かれてしまっていて、うれしい反面くやしかったりして、ちょっとずらして書いてみたけど、まぁでもこんなことをかんがえて生きてたりします。おれってほんとめんどくさいなぁ、という自覚はあるけども。

「すきなひとのことはみんなすき」はたしかに一見博愛主義的である。けども、じつはけっこう好き勝手な自分なりの絶対評価だったりするわけで。まぁ、こんなかんじで今後もやっていきたいな、とおもうわけですよ。

だってさ、わたし値踏みしたくないもの。あなたのことを。


#エッセイ #日記 #コミュニケーション #人間関係 #note #ライフスタイル #思考

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