バッドエンドの正体
バッドエンドとは、不幸な結末のことである
これは非常に明快なテーゼである
特に思考する余地なく、テンポよく、それは真であると言える
では不幸な結末とはなにか?
これは少々問題だ
なぜなら不幸とは相対的な概念であり、必ずしもこれは不幸であるという結論をつけられないからだ
では、こうしよう
客観的にこれは不幸だ、と結論づけることを諦めることにする
それは、「客観性」は物語の中で大きな力を持ち得ないからだ
物語の主役は「主観性」であり、ならば不幸も主観の尺度で捉えれば良い
問題は、作者の想定する主観感覚と読者の持つ主観感覚にずれが生じる可能性だ
しかし、その懸念はナンセンスである
なにせ、作者と(キャラクターと)読者の主観感覚をチューニングすることこそ、作者の使命だからだ
では改めて考えよう、不幸な結末とはなにか
ここにおける不幸とは、作者が想定する不幸だ
私は、不幸とは運命に呑まれた者の手にするものだと考える
ここにおける運命は、やはり作者が想定する運命だ
そしてキャラクターの抱く運命とは必ずしも単一ではない
繰り返すようだが、つまるところ作者はどの運命を強調するかが使命なのだ
例えばマッチ売りの少女について考えよう
少女は寒空の下で死ぬ
これは死の運命に抗えなかったという点で不幸である
一方で、少女は死ぬ前に過去の満ち足りた思い出に抱かれる
これはついに満たされぬ境遇のまま死する運命に打ち勝ったという点で幸福である
ただしマッチ売りの少女は童話であり、どちらかの運命を強調することはない
そのために読者は、少女への憐憫を抱きつつ、どこか安直な不幸であると断ずることを良しとしない感覚を抱くのである
結局の所バッドエンドとは、これこれこうというような形式があるのではなく、作者がどのような運命を是とし、読者に対して共感させるかの選択の問題であるように思う
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