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セドナメソッド体験記Lesson.5

脳だけタイムマシンに乗って過去と現在に同時存在している状態に陥ったその後の話。

それで幸せってなんやねん!と言う探求のプロセスの話です。


前回の続きです。
20年も前の記憶に突如、アクセスしてしまい、パニックに陥りました。

掃除屋時代の記憶が目の前を過ぎ去ったあと、呆然としてしまった。

どうなってるの?
なにが起きたの?

そのあとに、また雑念と共に出てくるわ出てくるわ…40年余りの、色んな記憶が。今となっては当然と思えるけれども、当時は慣れてなくてビックリしまくってたのを憶えている。


当時のオレが最も1番エスケープしたい、逃げたい記憶も少し出てきた。

・幼少期…5歳くらいの記憶…父を早くに亡くした。享年、41歳。

その辺の記憶を思い出そうとするたびに拒絶反応が起こる。

みたくない、認めたくない。
でも、みなきゃいけない。

しかしガッチリ、フタがしてあってガムテープで3重巻きになって鎖が巻いてる感じ。

うっわ、どうしよ(:(;゙゚'ω゚'):)

父の事を思い出したり写真を見てもなにも感じない。なんかあるだろう…とは思うんだけど、なんか空虚な感覚になる。心が動かない。

結論からいうと幼少期の話は、かなり根深いトラウマになってた。そこと向き合うのはもう少し解放およびクリーニングの実力が伴ってから向き合うことに…オレ的にはかなり壮絶だったけど。

当時の自分はそんな事は知る由もなく、ただ…自分の内なる現象に戸惑いしかなかった。

少し話がさかのぼるけど、ポノポノを実践しはじめた2020年の同時期に合氣道教室に入門している。

ある日のこと、先輩から

『稽古中に言われたこと、学んだことや気付いた事はノートにメモしておくとあとで整理がしやすい』

と、助言をいただいた。当初は、合氣道をする上で不安と戸惑いでパニックに陥っていた時期でどうしていいか、本当に悩んでいた。

その助言はとてもありがたかったのだけど正直、本当に抵抗していた。今でも完全とは言えないけど…とにかく、昔から

・勉強が嫌い。
・書くことが苦手。
・日記が続かない。


の三重苦で、諦めていた。
しかし、心の片隅に

「自己成長と改善、自分の過去の見直しを」

という気持ちとご先祖の取り計らいの感覚が残っており、上記3点の記憶をポノポノでクリーニングしたしばらくしたあとに、

『A4のノートが、欲しい』

と、フイに思った。

なんてことない、みなさんご存知のピンク色のCampusノート。

記念すべき一冊

合氣道帰りのDAISOで購入。
最初は合氣道用と考えていたけど、気が付いたら「Twitterじゃないけど、今、思ったこと浮かんだことを次々に書いていけばいいのでは?」と言う気持ちになっていた。

しかし、まだオレはどこかで逃げようとして抵抗し続けた。

『いやしかし、ノートを書くメリットって一体なんなのよ?意味わからん小学生の時の日記もハンパで終わってるのに…』

小学生の理由はともかくとして、ネットで徹底的に調べた。
結果、ひとつのブログに行き着いた。

その中の一文に目が停まった。

つまり、「紙に書く」作業は脳をフル回転させるのです。成功者たちの頭の中は常に整理されていて、活発に思考をします。彼らは「書く」ことで、それを習慣にしています。例えば、何か問題があったとき、問題点をクリアにするには絶対に客観的に分析する必要があります。客観的な分析には、紙に書くことが効果的です。自分の考えを客観視するには紙に書いて、一度自分の外に出してみる。このアウトプットが非常に有効です。 頭の中で考えた方が簡単そうに思えてもあえて紙に書いて可視化してみる。それが、解決のための原則なのです。
こぴたつ.com様

なるほど、コレか。
ようやく腑に落ちた。

表面意識の気づかないレベルでさまざまな記憶の消去や解放が起き、結果的に日常での感情的なバランスが崩れはじめて情緒不安定になりかけていたのも、事実だった。

一度、ノートに整理して客観的に見て分析しないと…

幸せをつかむどころか、マジで心療内科に通うことになるぞ…と本当に思った。
それくらい、心と頭が不安定になりかけていたのだ…一度、整理しないと。

とりあえずノートにホ・オポノポノを通じて出てきた思い、気がついた事を書き続けよう。

やろう。
そう、決心した。

決めたならノートを続けるにあたってどういう方向性で行くか?
どうせなら永く、続けて行きたい。
そこで、以下のルールを思いついた。

このルールは、2022年5月現在でも未だ不動で、特に変更していない。
非常にシンプルだがこの先々、大いに役に立つことになる。

1.〈このノートの目的〉メモの横に①②③…とナンバリングをし、その横に頭の中に浮かんでは消えていく、あるいは必要なこと、忘れていくものを書き留めていく。

7.内容は限定しない事にした。気づいたこと思いついたこと、やる必要のあること、やってみたいこと、気になること、走り書きでもいいから一行でも書き留めておく。胸にある気持ちなども。イラストでも新聞の切り抜きでも、OK。

8.続くかどうか?いつまで続けるのか?どんな事を書くか?などの疑問や質問も出て来るがそれらの質問も書き出し、外在化、言語化させる。

13.「なぜノートなのか?」⇒デジタルに飽きたから。所詮、デジタルは「全体のごく一部」に過ぎない。デジタルに幻想を抱き過ぎた。スピーディで便利な反面、つかれる。アナログに戻りたくなった。

など、『アイデアマラソン』という概念も取り入れながら手探りで始めた。
2021年、1月27日の事。

意外に書けるもので、一晩経った日のメモにはこうあった。

22.【書いてみて思ったことや気づいた事】
・書く事自体、昔の学生時代のクセなのか、焦って書いている様に思う。
・パソコンやスマートフォン慣れきっている今、思うのは意外に漢字を書けない。ちめい的(致命的…これすらもネットで調べた)だなと思った。身体と脳が衰え、サボっている証。
・思ったより集中力を要する。また、スマホと違い、スピードがゆっくり。効率を考えると非常に悪い。
・一方でメリットもある。「日常生活」で忘れがちな事を思い出させてくれるのは大きい。
・頭をとにかくすごく使う。

など、新鮮さと面白みと少々の面倒くささを、当時は感じてはいたようだ。

最初のNo1.〜205.は、些細なメモ書きや日常のやる事、今取り組んでいる事の学習など、便利帳的な役割として機能していた。

ポノポノを実践して色んな事を書き出しておよそ2週間ごろ、なぜか中学校の時に感じていたことや、保育園の時に感じていた記憶や感情のメモがNo.206番台辺りから目立つようになってきた。
その時々に感じた

『感情表現』

などが出てくるなど、感情の変化が目立つようになってきた。

その時は『全くわからなかった』けど、今後の展開として、とても重要なものがこの初々しい1冊目に散りばめられていたのはふりかえってみると、とても興味深かった。

また「AA」アルコホーリクスアノニマス(アルコール依存症者の自助グループ)の『12のステップ』をNo118.に書いている。

この当時は意味が全くわからなかったし、ふつうにお酒も呑んでいたのだが、なんか書かなきゃ…と思い、メモをした。なにかの参考になればと思った程度。

今思えば、『あらかじめ想ったこと』が現実になったね…と、思う。
大変だったけど。

〔4〕恐れずに、徹底して、自分自身の棚卸しを行い、それを表に作った。

『AAの12のステップ』におけるこの一文は、今になってみると自分にとって今後、1番の要の部分となった。

・今まで逃げ回っていたこと。
・無視をして蓋をしていたこと。
・オレが本当に欲しかったものはなんだろう?
・オレにとって本当に大切なものはなんだろう?
・幸せとはなんだろう?
・人生の目的とは何か?


キャンパスノートを通じてそれらを『勇気を持ちつづけて』レスター・レヴェンソンが行ったように、熱心に内面を見つめ続けることになる。

ノートの書き出しと、ポノポノを続けること7ヶ月目。

色々と感情の部分で、ほころびが出てきたタイミング。1冊目のノートが終わりそうな時だった。

2021年3月31日。
とうとう…この日がやってきた。

No318.
心の中からいきなりモワッと『勇気を認めますか?手放しますか?』という声が聞こえてびっくりした。前からちょいちょい出てきた「セドナメソッド」。また学び直してみようかなと気持ちになった。2012年から停まっていたものが復活したのは嬉しい。以前はマイナス感情しか出てこなかったから苦しかった。勇気が出てきたのは一歩成長かな。

と、ある。

モワッと出てきた時、思ったこと。
ああああっっっ…!
そういえば、やった。

あの地獄の3日間。

本当に…
…忘れてた。
ビックリした🫢

あれが出てきたんだ。
懐かしい友人に再会したような感覚。

ホ・オポノポノをやっていて当時、感じてたのは、思考レベルでは比較的簡単に消えるんだけど強い感情の取り扱いに苦戦していた時だった。

正直スゴいタイミングだなって、思った。
嬉しくなった反面、あたかもこう言っているようだった。

『もう一回見直してみて、Let it go!(手放す)』と言わんばかりに。

「ああ、やっぱりそこに入って行くのだね…」

と…ためらいながらも、静かに覚悟した。

続く。

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