[昭和話#1]横浜の外れ、家の周り

昭和40年代の第二次ベビーブームの時期、昭和太郎は横浜の外れに生まれた。
少し歩けば田園地帯にも行ける立地も関係してたのかも知れない。
今とは違っておおらかな時代だったと思う。

急激に開発の進むベッドタウン、山野はどんどん削られて住宅の建設待ちの空き地ばかり。空き地には雨が溜まり、夏にはたくさんのオタマジャクシが発生。手ですくうだけで無限に捕れるのが面白くてバケツに入れておいたが、忘れて放置していたらみんな干からびてしまった。「悪いことをした」と子供心に思った。

庭に訪れる様々な野鳥や昆虫。車庫には車に踏まれて死んだ蛇の死体。
近くの小さな川にはマッカチン(アメリカザリガニ:外来種)だけではなく、日本ザリガニもまだ生息していた。
ザリガニ達は縄張り意識からか、エサなどなくても適当に木の枝でつついてやると、すぐに釣れた。「ちょろいもんだな、おい」と子供心に思っていた。

近所の高校の裏手には未舗装の砂利道が伸びていて、さらにその先には土の道が続いていた。ある日、その道の先が気になり足を踏み入れてみた。自分の背丈より高い草をかき分けながらなんとか進む。30分も歩いた頃だろうか、突然目の前が開けた。
そこには信じられないくらい澄んだ泉があって、よく見ると水が湧き出していた。その綺麗さに感動して、泉の水を手ですくって飲んで家に帰った。
子供の冒険の対価としては十分満足だ。

そんな自然が近くにあった子供時代だが、ベッドタウン開発の速度は速く、あっという間に家がにょきにょき建ってオタマジャクシを見かける事はなくなった。ザリガニの居た小川も埋め立てられ、小川があった場所すらわからないほど。
綺麗だった泉も、今では柵とコンクリート舗装に囲まれ、水も濁ったただの池になってしまった。

時代は移り変わり町も変わっていくが、子供の頃の自然との思い出、感動は色あせる事なく、自分の中に残り続けている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?