記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

書評『シティ5からの脱出』バリントン・J・ベイリー

これも去年からちょっとずつ読んでいた本の感想です。
読み途中の本は綺麗さっぱり年末に消化してこそ、気持ちのよい日の出が拝めるというのに……。
今年は2024年。ちょっとSFっぽい響きで興奮する。
せっかく年を新たにしたんだから、アイコンも変更。藤子不二雄先生っぽいミァハに。
「ねえトァン“地球はかいばくだん”って知ってる……」
「知らない、なに……」
「銀河を吹きとばすことができる破壊兵器。大災禍以前は、こうした秘密どうぐが平然とデパートで売られていたの。気がむけばセカイをほろぼすことだってできたんだ」

U-NEXTで毎月もらえるポイントで購入した電子書籍だったのですが、Kindleと比べて文章にマーカーが引けなかったりして、使い勝手が悪くて微妙ですね……。読んだ内容が飛んじゃって、再読した短編がいくつかありました。
スマホで読めるのをいいことに、主に電車内で読んでいたのですが、意外と思弁的な内容で、腰を据えて読むべき小説だったなぁと、失敗。
それでも、多くの人が傑作と太鼓判を押す『ドミヌスの惑星』がやはり際立って良かった。これが読めただけで、元は十分にとれた。

バリントン・J・ベイリーはニューウェーブが席巻していたころのイギリスのSF作家で、作風はワイドスクリーン・バロックとか呼ばれることが多いですね。代表作は“着ると覚醒する服”『キルラキル』の元ネタ作品でもある『カエアンの聖衣』とか。イカれたSFばかり書く人です。
『シティ5からの脱出』はベイリーの第一短編集になります。


宇宙の探求

こうして、わたしの生涯はじめての、世にも奇妙でしかも有益なチェス盤の騎士ナイトとの対話がはじまったのだった。

あらすじ
コールリッジは近代科学やアカデミックな研究を離れ、ひとり錬金術によって存在の神秘を探求していた。ある日、阿片のけむりに誘われて、幻視のただなかにいたコールリッジは、チェスボードの騎士ナイトが、やにわに動きだし、口をきき始めたことに喫驚する。ナイトは“盤上宇宙”、コールリッジの宇宙とは物理法則さえ違う、平行宇宙からやってきた知的種族であるという。ナイトは次々に驚異の宇宙の姿を語ってゆく。

レビュー
ストーリーは、コールリッジという科学者がチェスボードに偶然やってきた盤上型宇宙人の話を聞くだけ。というものです。
ただ、次々と紹介されていくヘンテコな宇宙の姿はただそれだけで面白く哲学的。
たとえば我々の宇宙は“1”という数を基礎に置いている。
“2”という数字を理解するときには、二つの“1”があるというふうに考える。
感覚的に欠落のない状態、収まりのいい状態は、2つや3つではなく1つのときで、単一であることが人間にとって審美的なのだ。確かに。
主人公のいる宇宙のほかに、物理法則さえ違う多元宇宙がいくつも存在し、もし2を基礎とする宇宙に行けたなら、個人を基礎とする我々にとって楽園となるだろうとまで想像が広がっていく。
こんなふうに、こねあげた妄想だけで勝負する一編がいきなり短編集のド頭にきます。

知識の蜜蜂

神はその聖なる火花を吹き込むのに、なんと奇妙な器を選ばれたのかと思うと、まことに不思議な気分になる。

あらすじ
宇宙船が事故に遭い、一人だけ助かった男が惑星アンドレアに不時着する。
しかし、アンドレアには巨大な蜜蜂に似た生物が跋扈しており、男はその蜜蜂のコロニーに連行され、囚われてしまう。
男は蜜蜂のコロニーから、なんとか脱出の算段を立てようとする。

レビュー
男vs巨大昆虫のサバイバルに加え、蜜蜂コロニーの異質な世界が徐々にわかっていくという筋書き。
ハチやアリなどの社会性昆虫が極端に進化した場合、その知性はどのようなものになるのか。人間の知性との違いは何か。というのが中核のネタ。蜜蜂たちは、ただ貪欲に知識を貪る機械のような存在として描かれていて、それを使って何かをするという意思を持ち合わせていない。今だとAI……の話とダブらせて読めそうかな…?

シティ5からの脱出

本当はこういうべきだったのだーどこか行ける場所があればいいのに。

あらすじ
宇宙が収縮し、物質が存在できなくなった世界。人類は物質宇宙の外に脱出する計画をたて、そのなかでシティ5は脱出に成功した唯一の都市となった。
シティ5の周りには、わずか数キロの宇宙があるだけで、外には非物質の暗黒が広がっていた。
シティ5では、別の宇宙への探索を計画する短期委員会と、シティ内のエネルギー、質量保存を徹底し、完全な循環を保とうとする恒久委員会とで、にわかに対立していた。

レビュー
とんでもない宇宙です。宇宙が無限に広がっているというのは、畏怖を感じさせるものですが、それが鼻先までしかないというのも死ぬほど怖い。
ストーリーは、進歩派と保守派の対立になっていて、作中ではユングの原型論を引きながら、男根社会と女陰社会の対立とも例えていました。ル・グィンが陽のユートピア/ディストピア、陰のユートピア/ディストピアという例えを使っていたのを思い出します。進歩的で外宇宙を突き進む男性的な原理を象徴する“陽”のディストピアと、循環し受容する内宇宙的で女性原理を象徴する“陰”のディストピア。
進歩ばかりが素晴らしいわけではない、という俯瞰した視点があるおかげで、片手落ちにならないのがいい。

洞察鏡奇譚

「よろしい。固体域航行船の処分はあとで検討することにしよう。では、空虚多かれ」
「空虚多かれ」

あらすじ
周りがすべて岩石の固体で囲まれた宇宙。その中の空洞に住むエルレッドは、固体域航行船を開発し空洞の外を調査しようとしていた。
しかし評議会は彼の計画に反対し、エルレッドは相棒を伴って無断で外に脱出することに。

レビュー
みんな同じ感想を思い浮かべていてニッコリしました。これは天元突破ではないか。グレンなラガンじゃないか。
中島かずきがベイリーファンなんでしょうね。『キルラキル』が『カエアンの聖衣』だったし。
本作の登場人物たちは、何らかの理由で地中で進化、発展をとげ、それゆえに彼方まで地中が広がっていて、その間に浮島のように空洞があるという宇宙観を信じきっているという設定です。「シティ5からの脱出」との姉妹編のようにも感じられ、ベイリー独特のハッタリの効いた宇宙論が読みどころです。

王様の家来がみんな寄っても

ホッチ、これだけはきみにいっておきたい。きみの国王に対する仕打ちは、下劣な策略だった。りっぱな男に対する、実に下劣な策略だった。

あらすじ
ホラス・ホーソン・ソーンが亡くなった。彼はエイリアンが統治する現イギリス政府にあって、唯一人間側として彼らと息の合ったコミュニケーションを取ることができる天才だった。しかし、その後任となったスミスには、エイリアンが何を考えているのか見当もつかない有様だった。
人間を理解できないエイリアンは、無茶な労働時間を課したりして反発を買い、イギリス政府内に反乱の気運を呼び込む。
そしてついに、戦争に乗じて人間がエイリアンを打倒しようと乗り出す。

レビュー
エイリアンが何を考えているのか、何をしたいのかという謎が推進剤となる短編で、エイリアンは人間の心理を全く意に介さず、反乱が起きるのがわかりきっているのに、なぜか彼らに武器を与えたりなどする。そしてこの無感動で何の執着も見せないエイリアンの心理が最後に明らかになるのですが、そこで急にカメラが引いていって、巨視的な視点を持ってくるのがカッコいい短編だった。

過負荷

彼はその気ならイプセイティ装置の“質問なし”ボタンを押すこともできた。しかし、今や、だれもそうしない理由がわかった。そんなことをすれば、あまりにも生々しく存在している相手にたいして、失礼だと感じるからであった。

あらすじ
イプセイック・ホロカム。通常のホログラム映像では再現できなかった、対象の“実在感”までも遠隔地に伝えることができる技術。
そのイプセホロを独占するメガロポリスのシンジケートは、同時に行政委員会にも名を連ね、実質メガロポリスを支配しているも同然だった。その彼らに対して、イプセホロを全ての行政委員会にも使用可能にするよう、次の選挙戦で争われることになるが…。

レビュー
イプセホロを独占するシンジケートの構成員が、ランカスター、キャグニー、ボガート、シナトラと、なぜか往年のハリウッドスターの名前で登場するのですが、それがオチにつながってくる。ちょっと、飛浩隆の『クローゼット』を思い出しました。死に方が同じだよね。

ドミヌスの惑星

その風景を横切って〈ドミヌス〉は急速に動いていた。周りの闇より濃く巨大な重々しい影は、絶対の力をもつ不機嫌な王者を思わせた。

あらすじ
エリオットは、数多の知的種族が同船する宇宙探査船にスカウトされ、探索の旅の途上にいた。
〈ドミヌス)と名付けられた、惑星ファイブをたった一匹で支配する巨大生物の観察のために、チームは地表に降りたつ。
惑星ファイブの生物は、地球種と全く異なるセントラル・ドグマを有しており、自ら遺伝子を改竄し、自発的に進化することができた。
エリオットはドミヌスとコンタクトを取ろうとするが、向こうは探査チームの存在を意に介さない。そしてエリオットはパートナーであるアラニーをドミヌスに殺されてしまう。
全く異質な知性を有しているドミヌスに対して、チームの異星人科学者たちがにわかに色めく。彼らは明らかにこの事態を歓迎しているようだった。

レビュー
ほかの人の感想のなかでも、この『ドミヌスの惑星』が圧倒的に高評価ですね。
ドミヌス自体の存在感もハンパじゃありませんが、この話のメインはそれと対面したときの、科学者チームの異星人たちの反応です。
志を同じくする仲間だと思っていた連中が、実は全くそうではなかったというショックから始まり、存在論的な思弁小説に発展。
『ソラリス』を楽しめる人なら、ドミヌスも同じように興奮できるのではないかと思います。
これが読めただけでも、短編集を手に取った甲斐がありました。文句なしの傑作です。
知的好奇心、作中では保護本能とも説明されますが、知識を集めて生存の安定化を図るというのが人間の基本原理のようなものです。
しかし、他の惑星で異なる進化の道筋をたどった宇宙人は、“自らの存在を宇宙から抹消する”ことや“斬新な方法で死ぬ”といった、我々からすればあり得ないような基本原理のもとで宇宙を探索していたことがわかる。
人類が知識を集め、宇宙の真理を明らかにしようとする行為は、彼らからすれば、カラスがキラキラ光る物を集める程度のことでしかない。
ぶっ飛んだ想像力と思弁性に、とにかく興奮しました。

モーリーの放射の実験

粗雑な言い方だが、かれが星間空間から“操作”されたのではないかという憶測については、かれは笑いとばして次のように反論した。完全に独創的な概念を形成させるには、いったいどうやって“操作”すればいいのかね? と。

あらすじ
社会エネルギー・フィールド理論は、物理学の理論を基盤にした画期的な社会学で、それを応用すれば民衆を意のままに操作することができた。しかし操作を行う者は必然的に外部のものでなくてはならず、さもなければ操作する者もまた社会エネルギー・フィールドの影響下におかれてしまうからである。そこにアイザック・モーリーと呼ばれる宗教家があらわれ、太陽系外に存在する物体にビームを送信する。

レビュー
これも物語性は薄く、純粋に思弁的な内容の短編でした。ベイリーの創作であろう社会エネルギー・フィールド理論をめぐるヨタ話という感じ。

オリヴァー・ネイラーの内世界

なら、それは私的な宇宙劇場なのではないか? ミニ・サイズの宇宙なのでは? 大宇宙そのもののように、自動的で自らの論理法則に裏打ちされ、自己完結しているのではないだろうか?

あらすじ
オリバー・ネイラーは地球を離れ、光速で移動することができる特殊推進住宅で思索に耽っていた。
窓の外の景色は、無が広がるばかりで、一人きりになって考え事をするにはもってこいだった。それに劇作機、テスピトロンがあれば機械が際限なく物語を創作してネイラーに見せくれるため、退屈はしない。ネイラーは宇宙の一角にある移動住宅村でワトスン=スマイズという男を拾って、コーンゴールドという芸術家が住む星雲まで同行することになるが……。

レビュー
短編集最後の作品ですか、ぶっちゃけ内容がよくわからない。2回読んだけどピンときませんでした。主人公は、しきりに同一性がどうのこうのとぶつぶつ考えるのですが、何を悩んでいるのかさっぱり。途中、コーンゴールドという芸術家のもとに行く展開も、テーマとどういう関係があるのか……。ラストに謎の短編を読まされました。

あとがき

『シティ5からの脱出』は現在、物理書籍が絶版で電子書籍のみです。傑作揃いだと思うのですが、もったいない……。せめて『ドミヌスの惑星』だけ別なアンソロジーとかに組み込んで欲しい。

こうして全ての作品を読み終えてみると、全体に響く通奏低音のようなものが感じられて、コンセプチュアルな作品集のように見えます。それだけ共通するテーマが多く散りばめられていて、強い作家性が発揮されているのを眺めることができる。

やや玄人向けのSFで、定番を読みあきたという人にはもってこいな変化球的作品でした。

この記事が参加している募集

読書感想文

SF小説が好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?