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色々見てきたけれどこの瞳は永遠にきらりだった『ソウルフル・ワールド』

この映画、公開は2020年ですがパンデミックのため、やむなく配信限定となり、劇場でかかったことのない映画でした。それが今年になって、同じく配信限定となった『私ときどきレッサーパンダ』『あの夏のルカ』とともに、劇場公開することになり、今作だけなんとか見ることができたので感想。

見事な映画だった。近年のピクサー映画の中でも屈指のクオリティ。
テーマに対するアプローチの明快さ、深度、ともにハイレベルな完成度で、見応えがあり、傑作だと思う。
僕はこの映画を、眠って見る「夢」と、憧れとして追い求めるものとしての「夢」。二つの夢を描く映画だと解釈しました。

冒頭、ディズニーのタイトルバックがかかるのですが、それが下手くそなジャズの演奏で始まる。
映画が始まると、それが主人公のジョー・ガードナーという黒人の音楽教師が、中学生に、授業で音楽を教えている場面だとわかる。
生徒達はやる気がなく、真面目に演奏しない。しかし、一人だけトロンボーンを吹く女の子がやる気を見せる。周囲は一人だけ熱っぽく演奏する彼女をからかうのですが、ジョーは自分の昔話をして、音楽に熱中する素晴らしさを生徒たちに教え、諭す。
ジョーは幼いとき、父に連れられて見にいったジャズのライブに感激し、それ以来音楽に夢中になったのだ。彼は流暢にピアノを弾きながら語る。

ジョーは教師と言っても非常勤で、校長先生は長年勤めてくれた彼を、正式に採用すると言ってくれた。だがジョーは嬉しくない。田舎の教師なんて理想の人生とは程遠い。母親も安定した職につけとプレッシャーをかけてくるが、ジャズの演奏家になるのがジョーの夢だ。
こんな冒頭のシーンで、ジョーがどういう人物であるかを素早く描き出し、観客を即座に共感させる。

その後、ジョーはかつての教え子の伝手で、ドロシア・ウィリアムズという有名なジャズ奏者のカルテットに加わるチャンスを得て、待ち望んでいた人生を手にしかけるのですが、直後、マンホールに落っこち、なんと死んでしまう。

そこから死後の世界、というより死の前に訪れる場所(日本なら三途の川ですが、今作では天国の階段みたいなところ)にやってくる。でも夢を叶えるまでは死ねないと、ジョーは階段からさらに落ち、今度は人間へと産まれる新しい魂を育てる場所に来てしまう。

まず、ここの設定が秀逸で面白い。
産まれる前のソウルはまず、アトラクションみたいな施設に入って、初期設定として性格を吹き込まれます。いくつかの性格が吹き込まれたソウルは今度、“きらめき”、英語ではスパークと呼ばれ、ときめきとも訳せそうな単語なのですが、そのソウルが現世に生まれたとき、何を楽しいと感じて、心を動かされるのかということを、最後のピースとしてもたされる。それはソウルたちがメンターと呼ばれる人の指導のもと、各自、自分で探す。
性格や才能のようなものが、産まれるまえに決められているというのは、なかなか大胆な世界ではないでしょうか? これが与えられた資質(きらめき)と、実際人生でなにになりたいかが食い違うという話になってくるのです。
さらに、ソウルの世界には感覚がない。というのも重要な要素。

ジョーはそこでメンターになりすまし、22番と呼ばれる魂に引き合わされます。22番は生きる意味や理由がわからず、現世に産まれることを拒否し続けているやんちゃで問題児のソウルだった。
そんな二人が今度は現世にトリップしてしまい、ジョーの肉体のなかに22番が入ってしまう。ジョーの方はというと、現世で近くにいた猫のなかに間違って入ってしまった。元に戻るために、一人と一匹が走り回って、ジョーはドロシアのライブに間に合うのか?という第二幕が始まる。
22番にとっては現世の刺激がストレスでしかなく、いろんな感覚にショックを受けて、怖がってしまいます。そんな22番がジョーの案内で、ニューヨークを歩き回り、生きる喜び、きらめきに目覚めていくのですが、何が22番のきらめきだったのか、何を手にしたのかということが、非常にミソ。

僕が夢について考えるとき、上橋菜穂子先生の“守り人”シリーズ三作目、『夢の守り人』が、よく頭に浮かぶ。
本編よりも、作者のあとがきが強烈に印象に残っている小説で、将来の夢の“夢”は、なぜ寝ているときに見る“夢”と同じ言葉が使われるのだろうか?という問いを投げかけ、夢について考察するのだ。

日々の暮らしをこつこつと営んでいく人という生き物が、今生きている現実ではない何かを、心の中で思い描くーそれこそが「夢」で、それは遙か彼方にあるものだからこそ輝いて見える。目覚めたら消えてしまうものである「夢」は、それを表現するには、ぴったりの言葉ではないでしょうか。

上橋菜穂子 あとがき「昼と夜の狭間で」

『ソウルフル・ワールド』のソウルの世界には、人間が“ゾーン”に入ったときに訪れる場所というのがあって、音楽やスポーツに没頭している人の魂がやってくるのだ。きらめいている瞬間に入る場所ともいえて、さらに巧妙なのが、このゾーンにのめり込みすぎると、それが強迫観念へと変化して、迷子の魂を生んでしまうというところ。夢を追いかける情熱はともすれば執着に変わることを見せている。

夢の通りに生きている人物などこの世に存在しないし、夢の通りに生きようとすれば、たちまち、映画のなかに出てくる“迷子の魂”となり、現実世界を生きながら、なかばソウルの世界に囚われた人間となってしまう。そこは感覚のない世界だ。

ジョーもあれだけ憧れていた、プロのステージに誘われ、最高の演奏を披露するのですが、なぜか思っていた充実感がなくてショックを受けるシーンがあり、僕なんかはグッと心を掴まれる。
ソウルの世界、眠って見る「夢」に感覚がないのなら、憧れの「夢」にもまた感覚がない。

そこで22番が手にした“きらめき”である。
22番が手に入れた“きらめき”の正体とは、ジョーが見過ごしていた何気ない人生の瞬間に対する好奇心という、一見すると才能とも言えないようなものが“きらめき”だった。だがむしろそれこそが肝心なのだと監督は言っている。

僕はジョーの最後のセリフ「一瞬一瞬を大切に生きるよ」という言葉を、夢のなかに自分を見出すのをやめて、生きている感覚のなかに自分を描いていく方法を見つけたということだと解釈する。

上橋先生は『夢の守り人』の時点で、現実(昼の力)が圧倒的だからこそ、夢(夜の力)が必要とされるというが、むしろなんでもバーチャル化してる今は、夜の力が圧倒的で、昼の力が弱いのではないか。
この映画は、そんな昼の力の回復として見ることができる映画だと思った。

結論つまり、藤井風の『きらり』ってことだな!?(タイトル回収)

新しい日々は探さずとも常に ここに
色々見てきたけれどこの瞳は永遠に きらり

藤井風『きらり』

余談ですけど、このパウル・クレーみたいなやつが、ピクサーの3Dアニメに違和感なく同居してるのが、凄すぎて腰ぬかす。

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