見出し画像

「星の王子さま」と私。

私は大人になってしまった。

おとなというものは、数字が好きです。あたらしくできた友だちの話をするとき、おとなの人は、かんじんかなめのことはききません。「どんな声の人?」とか「どんな遊びがすき?」とか「チョウの採集をする人?」とかいうようなことは、てんできかずに、「その人いくつ?」とか「きょうだいはなん人いますか」とか「目方はどのくらい?」とか「おとうさんはどのくらいお金をとっていますか」とかいうようなことをきくのです。そして、やっと、どんな人か、わかったつもりになるのです。

星の王子さま より

10代の頃この本を読んで、心に熱いものが灯ったのを憶えている。
思春期で、親への反抗だとか、大人への不信感だとか、生きることを真剣に考えていた頃、この本を心に刻んでおこうと思ったのだ。大人になっても、「こどもだったころを忘れないように」生きていこうと。

自分に子供ができて、親になってからというもの、その心に刻んだ「誓い」のようなものに、苦しめられることになった。

我が子に言ってきかせる、いわゆる「しつけ」を言うごとに、星の王子さまがジッと見てくるのだ。
 
「箸をきちんと持ちなさい」
「静かに座っていなさい」
「大きな声を出してはいけません」 
「走ってはいけません」

どうして?

手でも食べられるだろうし、ぶっ刺した方が食べやすいし、面白いから笑うのだし、見つけたから言いたいのだし、聞こえてないのかと思うから大きく言うのだし、音の響きがおもしろいから発してみるのに、早く行きたいから走るのに。

こどもには、ちゃんと理由があるのに。

大人ときたら、「そうするものなの」とすました顔で、スンと座っているものだと、大して楽しくもないだろうに座っているのだ。

どうして?

他の人の迷惑になるからよ。
周りをみなさい、みんなそうしているのよ。

あの子はそうしていないのに。
ながぐつをひっくり返して裏のギザギザをじっと見てる。椅子の下に入って椅子の裏のビニールを破ってる。エンエン泣いてる。
ツルツルの床をシャーッとカッコよく滑ってる。みんなつまらない顔して座ってないのにな。

大人の世界の「みんな」には、そういうこどもは含まれていない。

正しくは、

他の大人の人に迷惑になるからよ。
周りの大人の人を見てみなさい、みんな座っているのよ。

だ。

私は、10代の頃の「誓い」にも似た「こどもだったころを忘れないように」を心に置きながら、大人みたいなことを言わなければならない「親という立場」に、とても困った。

我が子に言ってきかせている姿を、毎夜思い出しては「あーぁ」と失望した。

つまんない大人だな、私。

ちょっとくらい朝ごはん残したって、スプンの持ち方がおかしくたって、前後ろ反対に着たって、座りながらおしり歩きしたって、いいのに。彼女たちにはちゃんと理由があったのに。

大人になって、親になって、そんなジレンマに度々苦しめられていた。

大人の作った「社会のルール」を、こどもに教えていくのは大変だ。

「先生さー、背が高くって」
「え、何センチくらい?」
「知らん」
「背が高いって180くらい?」
「だから、知らんって」

背が高いことが大事なのに、何センチとかいらないのに、そんなことを聞いている私は、すっかり大人になってしまった。

『草刈り女子』がさっそくに招集され、団地の広場を草刈り機でウィーンと刈りながら、

澄んだ青の露草が咲いて、ススキの穂が伸びてきて、葛がつたを張り巡らせて、バッタがピョンピョン逃げて、カマキリが勇敢に立ち向かって、ヌスビトハギが足いっぱいにくっついて。

こどもの頃の私には、ここは何でもある、と絶好の遊び場だったろうなと、刈られた可愛らしい露草を1つ摘んで持って帰る。

「こどもだったころを忘れないように」


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?