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ここに暮らす。

「こんにちは。ごめんなさいね、どなたか分      からないけれど…」

と声をかけて下さったのは、ご近所の森さんというおばあちゃん。

「長年、ここもお父さんと刈っていたのよ、だけど80もこえて、お父さんも腰を悪くしてしまってね」

今朝、脇の共同小道を草刈機で刈っていた、その音を聞きつけて、あら女の人がやっているわ、と声をかけてくださったようで。

「草刈機の音がしたものだから。まぁ、あら      あら、とても綺麗にしてくださって」

にこやかに話す森のおばあちゃんのお庭は、いつ通りかかっても、バラやダリヤやチューリップや、季節のお花がいつもニコニコと咲いている。

                                                                 お庭の片隅

お庭どころか、その裏の山手の法面も、綺麗に手入れして下さっている。

                                       さりげなく置かれたベンチ

「嬉しいわ、ホント。私の土地ではないけれ     ど、なんだか自分のところみたいに思って       ね、綺麗にしてくださって。」

森のおばあちゃんは、嬉しそうに、ニコニコと草の刈られた小道を眺める。

電動で刈っていくけれど、それは思っていたよりも重労働で、草刈機のハンドルを握る握力が途中でバカになってくる。汗だくになり、それでも、草で埋もれていた小道が、歩きやすい広々とした敷レンガが見えてくると嬉しくなった。

犬のお散歩の人や、高校生がたまに通りかかる小道。気持ちよく歩いてくれるといい。

そう、私もあの森で。

幾度となくカメラを持って散歩をしながら、足元の緑や、見上げる緑に身を投じて、自然と心が整えられてきた。もやもやしたときも、元気が足りないときも、ゆっくり歩いていると、なんとなくやさしい気持ちになっていった。そこにはちゃんと人の手が加わっていたからなのだ、とほわっと暖かくなる。

森のおばあちゃんの笑顔に似ている。


ここに暮らして17年になるけれど、草刈りをして、人に「ありがとう」と言われ、人知れず手入れしてくださっていた存在も感じ、ようやっと「私はここの住人なのだ」と実感したような気がした。

私はここに暮らしていく。
手入れをしながら、暮らしていくのだ。

森のおばあちゃんのお庭もまた、見せてもらいに行こう。

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