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変化するって怖いよね

生き残れるのは変化に対応できる人なんて話をよく耳にします。耳にすればまあその通りだなと思う。最先端のテクノロジー、新しい世代の価値観などをどんどん取り入れて進化していこうと頭では思うのだが実際のところは理想通りに変わっていけているだろうか?
現状維持、従来の習慣を維持していきたいと無意識的に感じてしまうのが人間、そして日本人は特にその傾向が強いのではないかと思う。最近の出来事として象徴的なのはコロナ禍のマスクの論議なんかはそうですね。屋外でマスクを外して良いと言われても周囲の様子をキョロキョロ見ながらでないとなかなか行動に移せない人が多いのではないでしょうか?同調圧力なんて言葉は大嫌いだが知らず知らずにそれに飲み込まれてしまう自分をもどかしく思う現実がある。

スガシカオさんの曲でSMAPが歌っていた「夜空のムコウ」の歌詞で「歩きだすことさえもいちいち躊躇うくせに~つまらない常識など潰せると思っていた」という一節があるのですがこの僕にはまさしく当てはまるなと共感してしまう。自分は何だってできる。何者にでもなれる。明日から生まれ変わろう、明日からは変わるんだと決意しながらも結局は同じ自分を繰り返してしまう毎日、毎週、毎年・・いつもそうだったな~

このループから抜け出すためにはいったいどうしたら良いのだろうか?そこにはそもそもの要因があるのではないだろうか?
それは、、、、

急激に変わろうとする
変わる近道があると思い込んでいる

これなんですよね。。僕は自己啓発の本やらビジネス本を読んではこれは変われるぞと思うわけであります。でもでもそんな甘くはない。いくら変わろうとしても人は無意識的に現状の自分にひき戻そうとしてくる。そう、どうもそれが人間の習性らしい。変化するということは良きにつけ、悪きにつけ自身にストレスを掛ける行為であり、安定した状態を維持しようと本能的に自分を守る行為に人は入っていくのですね。こうならないために必要なことは、

変えたい事を少しずつ習慣に取り入れていく。変化は徐々に進めていく。

これが鍵になると思うのです。茹でガエルの例え話しをよく耳にすることありますよね?冷たい水に入ったカエルに急に熱いお湯を掛ければカエルは逃げるが、徐々に水の温度を上げていくと逃げずに茹でガエルになってしまうというお話。この話はネガティブな例えとしてよく使われると思いますが、これを良い方向にもっていく考え方です。変化を止めにくる自分の本能に気づかれないように変わるために良いと思える小さな習慣を少しづつ自分に取り入れていく。習慣というものは無意識的でも自然に行動に出る事をいいますよね?言い方を変えると潜在意識の中に習慣を少しずつ刷り込んでいくというイメージかな?
何気ない習慣の積み重ねが自分の性格を変え、行動を変えていくことなのだと僕は思います。

ここで僕が実際に実行した事例をお話ししたいと思います。僕は人に何かを頼んだり、質問をしたりする事がとても苦手でした。なぜかというと自分の行動で相手がどのような反応をしてくるのかというのを異常に気にしてしまう性格だったからです。冷たい態度をとられるのではないか?あるいは怒られてしまうのではないかと考えに考えすぎてしまい何も行動に移せない自分がいました。その引っ込み思案のせいで仕事に支障をきたすこともしばしば。そんな僕は自分に制限時間を設けることにした。「この案件は今日中に必ず話す。次のこの案件は明日までに終わらせなければならないので今日の午前中には必ず打診するんだ」など自分を追い込んで回数をこなしていくのです。そうする事により少しずつではありますが心持ちは変わってきました。相手がどのような反応を示したかは問題ではなく、まずは行動できた自分を褒め称える。それを繰り返していく事で最初は躊躇しながらしか動けなかった自分が、徐々にではありますが自然に行動できる自分に変わっていけました。この経緯からお分かりだと思いますが、変わろうと決意したその時に変われたわけではない。毎日少しずつの積み上げが大きな岩をも動かせるということに尽きると思うのです。

人生は振り返ってみればあっという間に感じますが先の景色を眺めればゴールは遥か遠くに霞んで見える長い道のり。ほんの一歩踏み出す勇気があればなんでもできると僕はもう一度信じてみたい。そしてこれを読んでくれた皆さんの一歩の勇気の積み重ねで大きな幸運を手にできる事を願っております。



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