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第87回 東條英機内閣の誕生

1941(昭和16)年10月18日、万事窮した近衛文麿は首相の座を投げ出しました。そして陸軍将官ではあるけれど、まだ平和的な東久邇(くに)宮稔仁(なるひと)親王を推しました。

しかし天皇側近の木戸幸一は反対しました。
「もし皇族が内閣を組織して戦争に敗北したら大変な事になります」
それは国民の皇室への信頼を失墜させ、皇室そのものの存在が危うくなります。
裕仁天皇は木戸の意見を入れて、懐柔策として開戦派の東條英機に組閣を命じました。
また木戸は、天皇に忠誠を誓う東條の事であるから、開戦否定の天皇を思って戦争しないかもしれないと思いました。結局それはなかったですが。
東條は、近衛を倒閣に追い込んだ一人なので、てっきり叱られると思って参上したのに、意外な展開に驚いて感激して最敬礼しました。
しかし東條の組閣で、日本の参戦はほぼ決定的となりました。(続く)

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