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貶しあうのが本当の友情だと思っていた10代の私へ

こんにちは。清家です。

10代の頃の自分の言動を思い出して枕を押し付けながら叫びたくなることはよくあるけれど、そんなのも青春だ、と思うのは甘えでしょうか。

「なんであんなことしたんだろう?」「よく恥ずかしげもなくあんなことが言えたものだ」なんて思ったりすることはあるけれど、過去は過去。

バック・トゥー・ザ・フューチャーの世界での「未来」をはるかに過ぎた2020年だけれど、いまだにデロリアンは開発されていない世の中だから、受け入れていくしかないのです。

たくさんの後悔も甘酸っぱい思い出だと片付けられるようになった22歳最後の月。毎年誕生月はいろいろと自分の今までについて考えてしまうことが多いからこそ、今月もたくさんの考えが頭に浮かぶ。

たくさんの後悔があった。その中でいちばんの後悔はなんだろう。
私のたくさんの後悔の中に、「甘酸っぱい」で済ますことのできない後悔はあっただろうか。

そう言えば、私は口が悪いとよく言われていたな。留学している今は日本語を使って人と会話をする機会があまりないから現在についてはわからないけれど、少なくとも2018年までは口が悪かったのは周知の事実だった。

そう言えば、高校入学の春に大阪から東京に家族で引っ越したとき、初めて話す東京の女の子たちとノリが全く合わなかったことを覚えている。

結局高校で本当に仲良くなれた女友達は片手で数えられるほどだったけれど、それは本当に「ノリが全く合わなかった」ことが理由だったのだろうか。

今回は、貶しあうのが本当の「友情」だと思っていた10代の頃の私と、そんな自分にローキックをかましてやりたい22歳最後の月の私のお話。

「東京の人はみんなフェイク」だと思っていた高校時代

大阪で生まれて、名古屋で5年ほど暮らした後にまた大阪に戻った。中学3年生の頃に家族みんなで東京に引っ越してから、もう7年が経とうとしている。

大阪から東京へと引っ越すのは、女子高生にとって本当に大変なことだと思う。もちろん東京に出ていいこともたくさんあった。お洒落な街でお洒落に遊べるし、服装になんて全然興味のなかった大阪時代と比べて、みんなについていきたいという一心でファッション雑誌を読むようになった。メイクおろか眉毛を剃ることさえ禁止されていた私立の中学に比べて、新しく入った都立の高校は校則さえなかった。

大阪でのんびりと暮らしていた3月と、高校入学を果たした4月の私は別人だった。5月には好きな人ができて、6月には彼氏ができた。

大阪の文化は、良くも悪くも遠慮がないと思う。人の容姿をからかったり、適度にいじりあうことで仲を深める。もちろん褒め合う友情だってあるんだろうけど、10代の私には無駄にお互いを褒め合う友情は全て「フェイク」に見えていた。

大阪にいた頃は、友達に褒められることなんてほとんどなかったように思う。成績は良く先生には褒められていたけれど、同級生からは「お前いつ勉強してんねん!」「平均点あげんなや!」の言葉ばかりだったように思う。きつく聞こえるかもしれないけれど、彼らの声のトーンには愛がこもっていたし、私はそれを言われるのが嬉しかった。

東京に来てから容姿を褒められるようになった。自分のことを可愛いと思ったことがなかった大阪での中学時代だったからこそ、いくら容姿を褒められたところで「東京の人はみんないい格好しいやなあ」としか思わなかった。素直に受け止める、ということを知らなかった。

「大阪弁が可愛い」とちやほやされるようになった。当たり前に大阪弁を使ってきたそれまでの15年間だったからこそ、自分が特別だと思っていないものを褒められるのはどこか気恥ずかしくて、大阪弁で話すのを躊躇うようになった。5月になり、少しみんなに気を許してきたところで「あの子は大阪弁で男の子の気を引いている」と言われているのを知り、大阪弁を話すのをぱったりとやめた。

今思うと、やめるべきではなかったのかも。私が好きなのは今でも大阪弁だけれど、そのときのトラウマから現在に至るまで東京で出会う人に大阪弁を使うことができなくなっている。

褒め合うより貶しあうのが文化だった大阪時代と、たくさん褒められるけれどその分裏でも悪口を言われていた誰も信頼できない東京での高校時代、そのふたつの要素が合体して、私は遂に「誰のことも信頼しない口の悪い女の子」になってしまった。

私は正直、女の子が苦手だ。もちろん可愛いとは思うけれど、男の子か女の子、どちらかとしか仲良くできませんと言われたら男の子を絶対に選ぶ。

きっとそれは、女の子の間にある「褒め合う文化」が気恥ずかしいから。

私のことを存分に貶してくれて、かつ私が貶し返してもそんなにダメージを受けないであろう男の子たちと、気軽に飲むハイボールが好き。

でも本当のところは、もっと女の子たちと仲良くなりたいと思っていたり、したのかな。

コリドー街と留学に良いパンチをくらった21歳

そんな私が変わり始めたのは2018年の秋学期。2019年の2月に控えた留学のために休学をして毎日アルバイトをしていた私が選んだ働き先は、銀座のコリドー街だった。

男女共に年上と出会う機会が多くなった私は、それに伴い礼儀や言葉つかいについて考えることも多くなって、またその能力が向上する度にもっと出会いが増えているように感じた。

アメリカに来てからは「貶しあう」という文化がなくなった。少なくなったなんてものではなく、言葉通りゼロになった。

なんでアメリカの人は、通りすがりの人にも気軽に声をかけることができるんだろう。1年以上この街に住んだ今は私だってたまに声をかけることがあるけれど、やっぱりみんなのように「そのブーツ素敵だね!」「タトゥー可愛いね!どこで入れたの?」なんて素敵な言葉は、そうそう簡単には出てこない。

心の奥底で何を思っているかはともかく、「全ての人が美しい」と言われて育ってきたロサンゼルスの街の人たち。毎日のように浴びせられる褒め言葉に対して、「麻痺」をしてきたのだろうか。もう私は、「褒める」ことにも「褒められる」ことにも抵抗があまりなくなったように思う。

留学をして、今まで連絡をとってこなかった人たちと繋がるようになった。私が書いた記事に対して反応をくれる人たちや、留学に対してのアドバイスをくれる人、頑張れと定期的に応援をしてくれる人たちが現れた。

「可愛いね」と褒められても「嘘つき」としか思えなかった10代の頃に比べると、Instagramの投稿やストーリーへのポジティブなコメントに、素直に喜ぶことができるようになった。

「そんなことないよ、全然可愛くないよ」というのをやめて、「ありがとう!次会うまでに、もっと綺麗になれるように頑張るね」と言えるようになった。「私もあなたのここが好きだよ」と、照れることなく相手の好きな部分を褒めることができるようになった。

もしかしたら、私が高校のときに「フェイクだ」と決め付けていた女の子たちだって、実際はフェイクではなかったのかも。もちろんただのお世辞も多いのかもしれないけれど、それは悪意のあるお世辞ではなくて、お互いを気持ちよくするための素敵な言葉だったのかもしれない。

もしかしたら、私が素直に彼らの言葉を受け止めて、または返していたのなら、私は男の子たちとゲームをしたり居酒屋に行くだけじゃなくて、素敵な場所でショッピングを楽しんだり、可愛いカフェめぐりだってできていたのかもしれない。

現在の自分のことがとっても好きだけれど、「もしももっといい言葉を使えていたら」という考えが、常に頭から離れない。

馬鹿な振る舞いや失敗などは甘酸っぱい思い出として処理できるけれど、「自分の口の悪さ」「褒める/褒められることへの嫌悪感」だけは、甘酸っぱいの一言で片付けられるものではないのかも。

貶しあうことが本当の友情で、無駄に褒め合うことはフェイクの友情の延長線上だと思っていたけれど、人間関係ってそんなに単純なものではないのかも。

それに気付けたのが22歳でまだ良かった。もし留学をしていなかったら、このまま何十年もこじらせていたのかもしれない。

「人は褒められると嬉しい」というシンプルなことを、なんで今まで認めてこなかったのだろう。天邪鬼にも程がある。

23歳の私は、いいと思ったことを素直に褒めるようにしよう。そして、褒めてもらえたときは素直に「ありがとう」と言えるようにしよう。


今日は誰を褒めようかな。明日は誰に褒めてもらえるかな。

気恥ずかしさを捨てて生きていくと、案外もっと可能性が広がるのかもしれない。

最後まで読んでいただきありがとうございました。




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