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人種差別に疎い日本人だからこそ、考えなければいけないこと

アメリカでは5月25日に黒人男性のGeorge Floydさんが白人警察官に殺害されてから、現在までずっと抗議活動が続いています。

ミネソタ州、ミネアポリス。「偽造紙幣を持っている男がいる」と通報を受けた警察は、現場に駆けつけるとすぐさま容疑をかけられたGeorge Floydさんを拘束した。彼の首に膝をついて彼を拘束していた白人警官は、「息ができない」と何度も繰り返す彼の言葉を聞くことはなかった。
8分46秒もの間息をすることさえ許されなかった彼は、そのまま息を引き取った。

このニュースを聞いたとき、とても苦しかった。私も息ができないような気持ちになった。息をするたびに苦しかった。
それでも、彼のように誰かに息をすることを禁じられているわけではなかった。
8分46秒間も息ができないなんて、どのくらい苦しいんだろう。私も経験してみるべきだと思った。1分を少し過ぎたところで、もう私は耐えることができなかった。

そういえば、私は日本で人種差別に直面したことがあっただろうか。
外国人の方と関わる機会はあったけれど、私はあくまで「日本生まれ、日本育ちの日本人」であって、いつだって「日本人」として受け入れられてきたし、単一民族国家である日本において自分の人種を意識することはなかった。意識する必要もなかった。

アメリカに来て、初めて自分の肌の色が「人と違う」ことに気づいた。私ってばみんなより鼻が低いかも。地毛が黒髪の人ってあんまりいないんだ。日本人が英語を話すときのアクセントを真似されるの、なんか嫌だな。「日本人なのに、目が大きいね」は、あんまり嬉しい褒め言葉ではないかも。「アジア人の女の子が好きなんだよね」という言葉は、「君の人格はどうでもいい」に脳内で自動変換されるようになった。

そうか、私は今「マイノリティ」なんだな。

今回は、留学前から人種差別について「知った気になっていた」私が話す、日本人としての人種差別との向き合い方についてのお話。

「アメリカは暴力的」「平和的解決をするべき」?

私はちょうどGeorge Floydさんの事件が起こる数日前に日本に一時帰国してしまっていたため、一度も抗議活動に自分の体で参加したり、この目で暴動の被害を見たわけではありません。

アメリカの私の家の周りのお店が破壊され続けているとルームメイトに聞いてから、毎日毎日悲しい。お気に入りの花屋さんは大丈夫だろうか。いつも挨拶をしてくれていたピザ屋のおじさんは、大丈夫かな。
毎日毎日心配ばかりで、なにもできない自分が本当に情けない。
私の日常だった場所がもう日常ではなくなった。催涙ガス、落書き、暴動、強盗。自分とは無縁だと思っていた言葉たちが日常になって、もう私が日常だと思っていたのものは過去のものになってしまった。

そして、その「日常だと思っていたもの」はただ私が気づいていなかっただけで、アメリカに住んでいる多くの人にとっては「平和すぎる非日常」であったことに気がついた。
自分の無知に対する情けなさは日々増していって、知識がある方だと思っていた自分の傲慢さに困惑した。

そんな中いちばん困惑しているのは、留学してから毎日読んでいるアメリカのニュースサイトやSNSなどで知るアメリカの人達、またはヨーロッパなどの黒人がたくさん住んでいる国々の人達の反応と、日本のニュースで流れるアメリカへの反応がとっても違うこと。

「アメリカはやっぱり危険だ」「暴動を起こしてなにが変わるの?」「平和的解決を選ぶべき」そうたくさん聞くようになった。

でも、「なんでここまで暴力的になったのか」よく考えてみて。

奴隷制が始まって、多くの黒人たちが白人の下で働かされることとなった。家族にも会えず、黒人女性はオーナーの白人男性の性奴隷となることも多かった。肌の色は違えども同じ「女性」であるはずの白人女性たちは、夫の性的対象になり得る黒人女性たちを悲惨な方法で痛めつけた。

南北戦争での勝利によって奴隷制は禁止されたけれど、2020年の今でもその名残があることは、きっと日本人の私たちでも知っているよね。知らないのなら、知っておいて欲しい。

黒い歴史の名残から今でも黒人差別が続いていて、もちろん抗議活動は今に始まったことじゃない。何年も何十年もずっとずっと続けてきて、そんな中でもたくさんの黒人が差別によって殺害されてきた。そんな中で「平和的解決を」なんて言ったところで、それができなかった長い長い歴史があるからこそこのような結果になってしまったのかも、と考えてみるのも大切なの。

もちろんこの抗議活動で損害を負ってしまった関係のないビジネスや小売店、またはただの通りすがりの人なんかもたくさんいる。この抗議活動がなければ彼らはなにも失うことがなかったのかもしれない。
それでも、それ以上に失うものや人、友達、家族が多かった黒人差別の歴史の結果として起こったこの抗議活動に対して、私たち単一民族国家で暮らす日本人が「アメリカはやはり危険だ」なんていう権利はないのかも。

「今はコロナ感染防止に集中しろ」「抗議活動は人命を危機に晒す」?

テニス選手の大坂なおみさんのTwitterがこの一連の人種差別問題によって炎上していると日本のニュースサイトで見て、彼女のアカウントを覗いてみた。

大阪府での「#blacklivesmatter」の抗議活動についての情報を引用ツイートした彼女に対して、「あなたは純粋すぎる」「今は抗議活動なんてするべきじゃない」「コロナに集中して」なんていう言葉は、黒人である彼女に投げかけていい言葉だったのだろうか。

もちろんコメントをする人たちの気持ちもわかる。私たち日本人は日常を過ごす中で人種差別問題と向き合う機会は少ないし、考える機会だって教育を受ける中で与えてもらえなかった人が多いから。

「自分が生きていく中で人種差別を意識することのない」国で生きていけた私たちはとっても幸せだと思う。けれど、「自分が生きていく中で人種差別を常に意識していかなければいけなかった」人たちに対して「これは間違っている、自粛して」なんていう権利は、あるのかな。

彼女に対していちばん目立ったコメントの中に、「今は人命を最優先にして」という言葉があった。
きっとその人が指しているのはコロナ感染によって危機に陥るかもしれない人命なのかもしれないけれど、じゃあ人種差別によって殺されてしまう人たちの命はどうする?私たち日本人には馴染みのない文化だから、関係ない?日本人じゃないから、関係ない?日常的に関わることのない命は、人命じゃない?

もちろんコロナ感染で亡くなってしまう人命は本当に本当に惜しい。
それでも、何百年も継続的に続いている人種差別で亡くなってきた何千人何万人、何百万人の人命は、どうなるのかな。
ずっとずっと続いてきたから、もう慣れた?聞き飽きてしまった?「黒人差別」はもう、ひとつの文化になっているの?なかなか解決できないって、諦めちゃった?じゃあ、もしもコロナへのワクチンが何十年も見つからなかったら、将来はコロナで亡くなる人に対しても「仕方ない、今は他に集中することがある」と言うようになる時代がくる?

そんな時代は来て欲しくない。でも、慣れって本当に怖いんだよ。慣れはいつの間にか日常になって、いつかは「文化」になっちゃうの。

私たち「日本人」が考えなければいけないこと

もちろん今起こっていることに最善を尽くすのがいちばんなのかもしれない。私たちは、他の国の事情に関わるよりも、まず私たちの国の中で解決していかなければいけない問題がたくさん、たくさんあるのかも。

それでも国際化が進む世の中で、先進国の中でも国際化が遅れている単一民族国家であると言われている日本に生まれた私たちは、これからもずっと人種の多様性に触れることなく生きていけるのかな。

私が小さい頃はハーフタレントが珍しかった。今はいっぱいハーフの人を街中でも見かけるようになったよね。外国から越してきた方だってたくさん出会うようになった。

私はまだ22歳だけれど、いつか日本で家庭を築く日がくるかもしれない。そうしたら次は私の子どもたちが日本で家庭を築く日がきて、どんどん私の血が広がっていくかもしれない。
もしも私の子孫が私みたいに他の国の人たちの文化を知ることが好きな性格で、彼らと恋をしたとしたら、日本人ではない血がどんどん混ざった家系になるかもしれない。
それってとっても素敵なこと。でももしかして、それがきっかけで次は私の子孫が差別される側になるのかも。

将来なにが起こるかなんてわからないけれど、「もし自分の家族が差別によって殺されたら」と思うのが、私たち日本人にとっていちばん簡単な、人種差別問題への心の傷め方なのかもしれない、と思ったり。

コロナウイルスの問題は本当に深刻だけれど、その深刻な問題を一旦側においておいてまで連日抗議活動をしているアメリカという国を、「自粛しないからアメリカは感染者が増えるんだ」なんて簡単な言葉で片付けないで。

日本国内で生きてきても人種差別問題についてしっかりと考えている人たちに対して、「自粛しろ、コロナ感染防止に集中しろ」と言う前に、いかにこの国が今まで無関心だったのか考えてみよう。

2020年上半期は特に歴史に残る出来事がたくさん起こっているからこそ、ニュースに敏感になろう。鵜呑みにするのではなくて、疑問を持とう。可能であるならば、日本語だけでなく他の言語で現地のニュースを読んでみよう。

「私とは関係ない」が積み重なって失う命がたくさんあることを、忘れないでね。

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