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行きつけにしたいそのカフェは、家から遠く、それにまだ知ったばかり。

 一応、書き始める前に辞書を引いてみると、「いきつけ」よりも「ゆきつけ」の方が読みとしては正しいっぽい。僕はいきつけ派だった。
 どの読み方でも意味自体には変わりなく、「いつも行って、なじんでいること」。なお、病院の場合は行きつけではなく、“かかりつけ”。

 座り心地の良い一人がけソファ。美味しい珈琲。天井が高く、テーブル間の距離も広いので落ち着いて過ごせる静かな空間。昭和的な内装。
 高等遊民よろしくそこで思索に耽り、読書を愉しみ、ある時には人間観察することも悪くはなかろう。
 
 ――――――だが、タイトルにあるように、その喫茶店を知ってまだ日は経っていない。なので、決して僕は常連客などではない。
 ある意味ではリピーターすら名乗りづらい、候補生のようなもの。
 しかも、そこは家から小一時間かかるので、毎日行くことで店主と顔なじみになる、などというパワープレイも出来かねる。
 
 ……いや、そもそもそんな事がしたいのか?
 行きつけってなんだ。認知してもらうのが目的だったか?
 あるいは、“行きつけのバー”などからも伝わるように、「俺っちはこんな店を知ってるんだぞ」といった他者へのマウントやステータスとしての効果が主たるものなのだろうか。

 思うに、行きつけというのは、失敗のない選択肢である以上でも、それ以下でもない。
 定番メニューが当人によって定番なのは、失敗したくない思いと、そもそも悩みたくないというものによるように、行きつけというのも、推しと同様、無条件に賛美できる対象であるわけだ。

たとえば新衣装を発表する美少女への想いのように。

 そもそも動詞「行きつける」の意味は、行くのが習慣になっていることを指す。
 たとえ悪習慣とは分かっていても、人は改善できないことからもお察しのように、習慣というのはそう易々と意志の力で形成できるものではない。
 その環境・文化・生活態度などで自ずと決まってしまうもの。
 それ故に、僕はその喫茶店を行きつけにすることはかなり難しい状態にあるのも今一度納得できる。それに、肯定もできる。
 
 推しはいなくても良い。選択肢が豊富な方がむしろ良い可能性すらある。行きつけにしたいな、と感じる対象を見つけることを怠らないだけでも、生活というのはかなり彩りをもたらすと思われる。
 近頃では、好きの対象をアイデンティティであるかのように見つけたがる節が見受けられるが、何もひとつに絞ろうとする必要はない。過ぎたるは猶及ばざるが如しである。


 ちなみに余談だが、今回のタイトルでのこだわりを少しお伝えしておきたい。なんてことは無いタイトルではあるが、本文ではカフェという表現は用いず、喫茶店としている。
 では、タイトルも喫茶店に統一すれば? 当初はそう考えていた。

  • 行きつけにしたいそのカフェは、家から遠く、それにまだ知ったばかり。

  • 行きつけにしたいその喫茶店は、家から遠く、それにまだ知ったばかり。

 別に下でも全然かまわないのだが、平仮名・漢字が口語フレーズとしてある程度、形になっている中、喫茶店ではなくカタカナであるカフェとした方が、視覚的・感覚的にもごちゃ付きが解消され、印象に残りやすいかと判断。
 これが商業的にも正しいかはいざ知らず、僕はこういう所をわりと普段から気にしていることをご紹介。さて、これである程度の文章量は稼げただろうと思うので、今回はこの辺りで。

例として紹介したVTuber美少女は「雪花ラミィ」さんです。


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