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合理主義

1755年にイエズス会の修道士マルクアントワーヌ・ロジエが出版した「建築試論」には、一枚の象徴的な扉絵が掲載されています。崩れ落ちたオーダーに腰かけた女性が、ある方向を指さしています。その方角には、木の枝に丸太の梁が架け渡され、切妻屋根を示す斜め梁が棟木を支えています。女性の傍らには、頭上に火を灯した天使が舞い降りてきてものごとの「始原」を暗示しています。

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ロジエが示したこの「プリミティヴハット(原始的な小屋)」の図は、柱と梁によって支持される構造休、つまり建築の構造的な原理を示す図版としてよく知られています。女性がコーニス(軒蛇腹)の破片を肘かけにしていることに示されているように、オーダーや様式上の整合性などの点は不問に付されています。オーダーは、一定の比例関係のもとに構成された円柱のことで、古典主義様式を象徴する存在です。観念的で、イメージを示すにすぎない図版ですが、建築の成立根拠を特定の様式にとらわれることなく見せ、建築の構造的な合理性への着眼を促しました。

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ロジエが示した考えは、ジャック・スフロが設計したパリの聖ジュヌヴィエーヴ教会などによって建築に応用されていきました。等間隔に配置された柱が身廊の屋根荷重を支え、空間のヒエラルキー(階層性)を強調するバロック的な構成は避けられ、柱が連続する均質な場がつくり出されています。実際には、技術上の理由から周壁が設けられ、当初の意図は完全には実現しませんでしたが、オーダーを用いながらもその役割は、荷重を担う文字どおりの「柱」といえます。ロジエはこの建物を、「完全なる建築の最初一の例」と賞揚しました。

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またこの建物は、物理学者フーコーが、「フーコーの振り子」の実験を行って地球の自転を証明したことでも知られています。自然科学が発達し、啓蒙思想の普及とともに合理的な思考法が確立されていった時代に、建築もまた科学的分析の対象として把握し直されていきました。

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建築の構造的な合理性への関心は、ゴシック建築の修復作業のなかからその技術上の性質を研究・解明したユジェヌ=エマニュエル・ヴィオレ=ル=デュクの思想のなかにも見い出すことができます。石造による建物を、同じ耐力を担いながら、圧倒的に小さな断面寸法で建設を可能とする鉄骨造に置換するシステムを提案し、構造システムの技術的把握のなかに合理性を見い出す考え方を拡張しました。さらにヴイオレ=ル=デュクの影響を受けて、オーギュスト・ショワジーは「建築史」を著し、アクソノメトリック図による図解という方法で、建物の成り立ちを荷重の支持機構として可視化していきました。

一方で、建築の形態やその扱い方のなかに、従来とは異なる発想をみせる建築家たちが現れました。クロード=ニコラ・ルドゥーのショーの製塩工場やエティエンヌ=ルイ・ブレーのニュートン記念堂計画には、立方体、球、円筒などの幾何学的な純粋形態が導入されています。フランス革命後の混乱のなかで、実作の機会に恵まれなかった彼らヴィジオネール(幻視者)の建築家たちは、「ドローイング」という手段を用いて、幾何学的形態のなかに見い出される合理性を定着させていったそれは、インターナショナル・スタイル 1920年代から30年代にかけて汎用されるようになる「建築形態」と「類緑性」をもつイメージでもありました。

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また、エコール・ポリテクニク(国立土木工学校)でプレーに教えを受けたジヤン=ニコラ=ルイ・デュランは、「建築講義要録」などの著作で、様式的形態をパーツに分け、均等グリッド(格子)の上で再構成する折衷主義的な設計手法を提示しました。様式的なルールは無効化され、グリッドを介して、異なる様式であっても結合させることが可能となります。同時に、多様な建築形態は均質なグリッドに適合可能なように標準化され、さらに近代社会が要請する機能性や経済性などの指標に従って組み立てることができるようになりました。
このように、構造や形態をめぐるシステム的思考のなかに建築の合理性や普遍性が求められていく過程で、様式に立脚した建築観が次第に瓦解していきました。科学的・技術的理性に基づいて建築は再編成され、テクノロジーや機能などの価値を新たに迎え入れていく。これらの近代的な規範をいかに形象化・空間化していくかという課題が、20世紀の建築のさまざまな実験を方向づけていくこととなりました。

合理主義は、近代建築を考える上で、とても重要なポジションにあたると思います!興味があれば、調べてみてください!

最後まで読んでいただきありがとうございます!

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