柊 建築

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建築専攻の大学生🧑‍🎓 近代建築の歴史や建築家の思想を発信しています。 歴史の変化に対し、建築家はどういった思想で建築をつくったのか。 歴史や建築家の思想の理解、見てくれた人の好きな建築や建築家の発見、研究、設計課題の手助けになれれば幸いです。 #建築学生

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  • 近代・現代の建築家(有料版)

    近代・現代の建築家について、時代背景を説明しながら思想を解説した記事をまとめています。是非立ち寄ってみて下さい! また、解説してほしい建築家のリクエストなどもあれば、記事のコメント欄にコメントください!記事にしていきたいと思います!

  • 近代建築史 ワード集  (有料版)

    近代建築史において重要なワードをまとめ、解説したものとなっております。 興味があれば是非よんでみてください!

  • 近代建築史 ワード集

    近代建築歴史をワードごとにまとめたものとなっております。 こちらは3記事のみです! こちらの記事がいいと思った方。または他のワードの説明が気になる方は、是非有料版の方へお越しください!

  • 近代・現代の建築家

    近代~現代の建築家について、作品・当時の風潮を混ぜながら解説した記事をまとめたものになります。こちらは3記事のみとなっております。 もっとたくさんの建築家を知りたい方は是非、有料版のほうへお越しください!

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マッキム・ミード&ホワイト

(人物概要) マッキム・ミード&ホワイトは、1879年にチャールズ・マッキム、ウィリアム・ミード、スタンフォード・ホワイトという三人の個性的建築家によってニューヨークで結成された設計事務所であり、1880年代から20世紀初頭にかけてのアメリカにおいて、イタリア・ルネサンスを範とする古典主義建築を数多く生み出しました。それらは、当時大発展の時期を迎えていたアメリカにおいて、建築美と秩序ある都市の姿の象徴となり、数においてのみならず、質においても、原型となったヨーロッパの様式建築

    • ヴィクトール・オルタ(1861~1947)

      (概要) ベルギーの建築家です。ヴィオレ=ル=デュクらの影響を受けて、新しい時代の息吹を感じつつ、鉄や石材を使いながら、それらを自由な曲線でデザインしたアール・ヌーボーの建築家です。タッセル邸、ソルヴェー邸、人民の家、イノヴァシオン百貨店、ボザール館などが、代表作として挙げられます。キャリアの後期は、教授職などの要職を歴任しました。活力のあるアール・ヌーボーの造形を展開していた時期は短く、のちには、因習的な古典主義の作風に戻りました。 (ヴィオレ=ル=デュク) 19世紀フラ

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      • ルイス・サリヴァン

        (概要) 19世紀末に近代的高層建築の原型を生み出したシカゴ派を代表する建築家です。高層建築という新しいビルディング・タイプに関して、技術面のみならず、造形面でも独自の理論を創造しました。パリのエコール・デ・ボザールに学びますが、アメリカ独自の建築を生み出すという強い意志を持ち、その姿勢は、弟子であるフランク・ロイド・ライトに強い影響を与えました。また、「形態は機能に従う」という有名な言葉によって近代機能主義の創始者の一人という評価を受けていますが、一方で、装飾について独特の

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        • シカゴ派

          (概要) 「雲を掻き落とす人」いう意味をもつ「スカイスクレーパー」という異名をもって迎えられることともなる「高層ビル」というビルディングタイプは、19世紀末のアメリカに生まれました。その誕生に際して重要な役割を果たしたのが、アメリカ中西部の都市シカゴであり、未知の存在であった高層ビルのあり方を追求していった、シカゴの建築家の挑戦的な活動の軌跡のことを指します。 (本文) 19世紀後半のアメリカは、1865年の南北戦争の終結により国内事情が安定するとともに、工業化が急速に進展

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        マッキム・ミード&ホワイト

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          辰野金吾(1854~1919)

          (概要) 1854年肥前国唐津に生まれました。ときに「明治建築の法王」と称せられるほど、日本近代建築の黎明期において、広汎かつ甚大な影響力を一手に担いました。イギリスからの「お雇い外国人」建築家ジョサイア・コンドルに学んだ工部大学校第一期生であり、同期には東宮御所設計の片山東熊など。卒業後、海外留学を経て1883年に同学校教授に就任、1886年に造家学会(後の日本建築学会)を創設する一方で、独立自律した建築家を理想として1902年末には官職を投げ打ち、野に下ります。日本人とし

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          辰野金吾(1854~1919)

          モニュメンタリティ

          (概要) 社会の変動期に呼び覚まされる、共同体の文化的アイデンティティです。社会を秩序つける文化的な価値規範が流動化していくとき、永遠性を目標とした「モニュメンタリティ」という超越的な観念が呼び起こされ、形象化されていきました。20世紀になると、モニュメンタリティは、貴族的かつ階級的な価値として排斥され、攻撃の対象ともされ、「バウエン」などの新しい考え方を生み出していきました。 (バウエン) ドイツ語で建てることを意味します。万人が等しく恩恵を受けえるものとすべく、今一度「

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          アントニオ・ガウディ(1852~1926)

          (概要) スペイン,カタロニア州の首都バルセロナで,19世紀末から20世紀の最初の四半世紀に活躍した建築家です。時代の歴史諸様式に依拠する姿勢から抜けて,自然の諸形象を思わせる有機的なフォルムをもつ,「ガウディらしい」と言われる作品を生み出しました。サグラダ・ファミリア贖罪聖堂,コロニア・グエル地下聖堂,カサ・ミラ,カサ・バトリョ,グエル公園などがそれらです。ガウディは,史的にアール・ヌーボーや近代建築の異端と定位されてきましたが,その措定には収まりきれない,近代の合理主義や

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          歴史主義

          (概要) 19世紀のヨーロッパを席巻していく「近代社会」という様態は,社会構造を転換し,学問すらも発達させました。その結果,建築にも変革が求められ,未知の機能や材料に対応することが求められました。建築家はそれを過去の建築様式に典拠を求め,その近代性を問うことにしました。歴史から学ぶ「歴史主義」が造形の秘訣としましたが,様式の伝統を破壊してしまい,近代社会を体現するにふさわしい強・用・美を満たす新しい造形を模索するようになっていきました。「様式」の解体を招いた,近代社会に対する

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          エベネザー・ハワード(1850~1928)

          (概要) エベネザー・ハワードは,1950年ロンドンで小売商の息子として生ました。1872年渡米し,ネブラスカ州に開拓民として入植しますが失敗し,以後シカゴで速記者として働きました。1876年イギリスに帰国し,以後も速記者として生計を立てつつ,機械類の発明に携わりました。1898年に「明日―真の改良に至る平和な道」を出版し,1899年に田園都市協会を創立します。そして,1902年には同書にわずかな訂正を加え,「明日の田園都市」と改題して出版するや,田園都市を実現しようという

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          コロニアル・スタイル

          (概要) 「コロニアル・スタイル」とは、イギリス、スペイン、オランダなど、西ヨーロッパの 列強諸国が支配した植民地各地で形成されていった、独自の建築様式の総称です(コロニアルとは植民地のという意味である)。宗主国の建築様式を基本としながら、現地での母国とは異なる諸々の条件に従って、アレンジが行われた結果、様々な形が生み出されていきました(建築家ら家具まで)。植民地へと移住した人々が、祖国の建築的伝統や住宅様式を土台として、それを借用しながらも、移住先の気候風土、建築材料や建築

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          ゼツェッション

          多民族国家の帝都、皇帝居住の都市=ウィーン。かの地にあって、混在する不均一な要素すべてを覆い隠すヴェールのごとき機能を担わされた芸術。それゆえ、美術・工芸・建築の分野にはさまざまな因習や伝統が幅を利かせ、支配的でもありました。 キュンストラーノウス(ウィーン美術家連盟、1861年設立)内の状況とて同様で、因襲的で歴史主義的な傾向が強かった。旧態依然たるその体制に反旗が翻されたのは1897年の4月のことです。同組織を脱退した19名が、新組織「オーストリア造形芸術家連盟ゼツェッ

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          オットー・ワグナー(1841~1918)

          (人物概用) いま街で普通に見る箱型の建物の直接の先祖が、19世紀末から1920年代にかけて生み出された近代建築です。その成立過程の冒頭を代表するひとりがウィーンのワグナーで、「近代建築の父」や「開拓者」などと呼ばれています。当初は旧来の歴史様式に倣う設計に柔秀でていましたが、教職に就いた1890年代なかばからは、新時代にふさわしい創作態度を主張し、作品も予言的な特徴を明瞭にしていきます。しかし最後まで古典的な基本形式を守り、表面装飾を好みもしたので、未進化な近代建築と評され

          オットー・ワグナー(1841~1918)

          アール・ヌーヴォー

          近代社会は、フランス革命のスローガンともされた「自由・平等・同胞愛」という開かれた精神を拠り所としながらも、「国民国家」という民族ごとに区分される、いわば閉じた社会制度を成立させるという構図のもとで徐々に具体的な姿を現していきました。それゆえ、その遺伝子情報には、普遍的・外向的な運動性と、地域的・内向的な運動性という、根本的な矛盾をはらんだ2つの性格が刻み込まれました。そのせめぎ合いから生じた亀裂は、20世紀に入ると2度の世界大戦の勃発をはじめとして、さまざまなかたちで広がっ

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          ギュスターヴ・エッフェル(1832~1923)

          (人物概要) ギュスターヴ・エッフェルは、1832年フランス・ディジョンに生まれました。パリの中央工業学校を卒業後、製鉄工場を経て、鉄道製品製造会社、鉄道会社に勤め、これらの実務を通して冶金から橋梁設計までの技術を習得し、1867年に自身の事務所を創設します。そして、工場から教会、多くの橋の設計・建設をこなし、「橋造りの天才」との異名を馳せました。ポルトのマリア・ピア橋、ガラビ渓谷のトリュイエール橋を始め、エッフェル塔を完成させました。エッフェルは、産業革命の進展する19世紀

          ギュスターヴ・エッフェル(1832~1923)

          合理主義

          1755年にイエズス会の修道士マルクアントワーヌ・ロジエが出版した「建築試論」には、一枚の象徴的な扉絵が掲載されています。崩れ落ちたオーダーに腰かけた女性が、ある方向を指さしています。その方角には、木の枝に丸太の梁が架け渡され、切妻屋根を示す斜め梁が棟木を支えています。女性の傍らには、頭上に火を灯した天使が舞い降りてきてものごとの「始原」を暗示しています。 ロジエが示したこの「プリミティヴハット(原始的な小屋)」の図は、柱と梁によって支持される構造休、つまり建築の構造的な原

          合理主義

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          皆さん初めまして。 柊と申します。 建築を専攻している大学生です。 私のnoteでは、近代建築の歴史や、建築家を紹介していきたいと思っています。 私の投稿を見てくださった人の、好きな建築・建築家の発見、研究、設計課題などの参考になれれば幸いです! 好評であれば、上記に挙げたような内容の他にも、CADや私が普段読んでいる本、私の建築の考え方なども記事にして書いていきたいと思っています。 皆さん、よろしくお願いします! もしよければ私のSNSアカウントもフォローして

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