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「個人の感想です」

誰もが予想していたことでしょう。
恐れていました。そして知ってた。(笑)
書かなくなることを。(笑)

いやあ、言い訳をするのもどうかと思いますが、2月中旬に派手に転びましてね。
思いっきり正面から行って、そのときに手に持っていた携帯もバッキバキに割れまして、集合体恐怖症なもんでガラスの割れが見れなくて早々に携帯を変えました。設定とか見直して各アプリのログインとかもしなおしたんですけどそれで満足してnoteを開かなかったですね。

12miniにしたのですが、カメラの機能が進化しまくっていて毎日感動しています。(元iPhone8)

ただインスタとかで iPhoneで撮るお洒落な写真・動画の撮り方!とかやらない方がいいと思うんですよね(おすすめのリールとかでよく流れてくるやつ)。その方法で撮ってるような写真を見ると、すごいとか綺麗とかよりも頑張って撮ったんだな、が先に来てしまって残念が残ってしまう(個人の感想です)。
あとiPhoneの広角カメラってすごいけど、リアルと少し違和感があるあの感じ、あんまり好きじゃないんですよね。被写体が人物だと歪んでいるように見える。(個人の感想です)

思うことって人それぞれなのでいいと思うんですけど、人それぞれだからこそ思っていたことを一つ。

全く専門知識がない素人が話すことでもないんですけど、美術館に頻繁に行くようになって思ったのは、写真がOKな美術館などが増えて写真を撮るためだけに来る人が増えたこと。
別にそれが悪いわけではないし、それきっかけに行動することもあると思う。大きい美術館など商売としては来場者が増えることってどちらかというとプラスだと思う。でもそれはあくまで被写体が自分自身であって作品や空間ってただの背景でしかない。撮影スペースとして入場料を払っているようなもの。
そこに作品としてのリスペクトがないように思える。

もちろん写真NGゾーンもあり、入場の際に説明や注意事項として提示されているのに、それを知らずに(もしくは気にせず破ったりして)それをSNSにUPして、あげている人がいるから良いと思ってそういう人が増えているのも考えもの。あとは動画とか。

一生ない話をすると、いつか自分のセブンルールを公にする日が来るとするならばなんだろうな、と思うんですよ。

1つは、断りを入れること。

私も記録として残しておきたいから撮れるなら写真は撮りたい。
まだコレクターにもなれるような余裕もないのですが、個人ギャラリーなどにも気になるものは足を運びます。あとは古くからの建物や、撮影によって何かのリスクが生じてしまうなどがあると撮影NGのところもあるので、断りを入れてから写真を撮るようにしています。

日本人の性としてか、電車とかでも一席だけ空いているときに両隣の人に座る前に目配せしたり、新幹線の自由席で割と埋まってて座る前に断りを入れたり、飛行機でシートを倒す時など。そういうのって赤の他人でもお互いが気持ちよく過ごす為に結構大事なことだと思っています。(個人の感想です)

被写体を自分自身にしている人って、経験を記録しているのかなとも思うんです。それはそれでいいと思う。
悪い言い方をすると、映えたい、よく思われたい、自己顕示欲だけを求めているように思う。
そう思うのも自己顕示欲が低い自分の妬みなのかな、とも思うんですけど。

まあもちろん、私も被写体として残しておきたいと思ってた時もあります。その空間にいた証明というか、すごく好きな有名人と2ショットを撮るような感覚。(余談ですが、私が唯一握手を求めた著名人は会田誠さんです)

数年前、新国立美術館でやっていた安藤忠雄展に、1/1スケールの光の教会が展示されたんですよ。(正式に申請を出して建てたと表現しても良いのか?)私もずっと行きたいと思っていた場所が都内に現れただけに興奮しました。
その時その光の教会の中に15〜20人(もっといたかも)位いたのですが「光の教会」を撮る為にその場にいた全員が団結したかのように前に行かず、最高の他人達と最高の写真が撮れました。(これも日本人の性というのもあるかもしれないけれど、みんな目が本気でした。)

安藤忠雄展だったからその場にいた人たちも建築を生業にしている人達が多かったのかなとも思う。だからそこにはリスペクトがあるわけで、オシャレだから撮る、という空気感がなくてよかった。(余談ですが、販売員をしているくせに、オシャレをオシャレというのは好きじゃないです。言葉を安売りしているというか、なんならちょっと意味に対しての言葉がダサいかもとか。)

真似することって悪いことじゃないけど、100%良いこととも思わないんですよ。他人が映えてるからといって、真似しただけで自分も映えるわけではないのに、とも思う。表現の仕方は自由だけどルールを破るのは違う。

一つ前でも書いた石岡瑛子展は写真NGなのかと行く前に少し残念にも思ったけどそれはそれで良かったと思う。

行った人たちの感想で写真がない分、目で見た感情を言葉に凝縮することによってその善し悪しが全開で伝わってくるし、実際に自分がその展示の空間を体験したくなる。

変な言い方かもしれないけど質がいいなと。

ほんと少し前までは写真を撮れないところも多くて思い出そうにも私の無い記憶力では鮮明に思い出すことも難しかったけれど、その体験した事実に懐かしむこともあります。その記憶を頼りに昔買えなかった本を買ったりとか、少しの情報量でググってみたりとか。それもそれで楽しい。

長くなりましたが、最後まで読んでくださりありがとうございます。
共感できない・気分を害された方がいたらすみません。
でもこれって大まかにいうとどの業種にも精通することだと私は勝手に思っています。
リスペクトって本当大事ってこと。

細かいことはまた今度。
今回はレビューではありませんでしたが。

では、また。

P.S.京都市京セラ美術館は館内の入場料取ればいいのにな、と思った。

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