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“将来の夢”という幻想

玉ねぎの皮は茶色い部分だけ取り除けばよく、緑っぽい皮はそのままでいい。いつまでも向き続けていたら、どんどん小さくなっていく。

いつかあれをやりたいんだよね、という話は日常茶飯事だがその話に出てくるやりたいことというのは往々にして完了されない。やりたいことのままで留まり、いつまでも先延ばしにする。

祈りの言葉と 願いの言葉の違いは
行動しようってことかも できるはず明日から

「明日でいいから」

この歌詞はこの歌詞で良いんだけど、もっというと“明日から”ではなく“今から”やるんだよ。夜であるならば限定的に、今日はおやすみして明日頑張ろう、と言えるけれどそれ以外の時間帯に明日やろうだのいつかやろうだの言っていてはならない。そういう考え方を持ったままではいけない。
いつかやりたいことリストを箇条書きで書くといい。書き終わったらこう言うのだ。
「いつかやりたいと言ったがそれはうそだ。今、やってやるよ」

私は去年まで受験生であったから何かと後回しにしていた。
「受験が終わったらやろう」というのは受験生なら誰もが使ったことのあるフレーズだろう。娯楽だったり受験に関係ない分野の勉強をやりたいと思った時に、しかし大学受験を控えているからと言い訳をして先延ばしにする。
能ある鷹は爪を隠すだの言って出来ることをやらないのは別に勝手にすりゃいいが、あなたが出来ると思っていても、実際にやってみれば出来ないことは多い。能が無いからこそ自分に能が無いことに気づかないのだ。なぜなら能が無くそれをすることが出来ない人は「出来るけどやってないだけ」と言えてしまうから。

私自身受験が終わったらやろうと考えていたことはいくつかあったが、それらは全て高校生のうちにしておけば良いことばかりであった。なんでも早いうちにやっておくのがいいのだ。早いうちというのは、すなわち思いついたとき・見つけたときだ。
こういう先延ばし経験がある人は結局受験が終わっても癖が抜けきれず、“◯◯が終わってから”のループのハマる。

先延ばし、後回しにしていると、負債のように“やりたいことリスト”が溜まっていく。私たちはいつだって燃えるような人生、主役として舞台に立つ人生を思い描くが、負債を抱えているうちはその“本当の自分”に何重も皮がかぶってぶてぶてと太った状態のままだ。
玉ねぎを思い浮かべて欲しい。負債のある人は茶色い皮がついたままの玉ねぎだ。その皮とは“やりたいこと”である。つまり皮を剥こうと思えば、やりたいと言って先延ばしにしていることを今やるだけでいい。
やってみたり、計画を立てようと詳しく調べているうちに、実際は思ってたのと違って幻滅することなんてよくある。幻滅というのはネガティヴな言葉だが、クリアーと言い換えても良い。負債を解消したのだから。
一番よくないのは、漠然とやりたいと思い続けることだ。それはただ夢を見ているだけの状態だ。本当にやりたいならしっかり調べて、それの本当の姿を見るのが手っ取り早い。

そのようにして、次々に皮を剥いていれば、その皮剥きは有限であることに気づく。つまり、趣味レベルではなく、本当に人生を賭けてやりたいことというのがぽろっと出てくる。

この話は自分の戒めとして書いた部分が多いが、私が問題に思っていることはたいてい誰でも問題に思っている“あるある”なので、ここに書き留めた。
思えば小学生の頃から授業で「将来の夢」なんて考えさせられたが、来るか来ないかも分からない将来を心待ちにする必要などない。今やるのだ。

嬉しいな 意外なつながりよありがとう
まだまだ冒険があるさ
毎日を一緒にね ずっとね遊ぼうよ
とりあえず 世界はナゾなんだってば
そうでしょ?
じゃあ解いてみたくなる
そうでしょ?
とりあえず 早々眠れ眠れ

「明日でいいから」

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