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空虚と、孤独と、青春と、

青春時代を余すことなくどっぷりと賭けた人生を見ると、ああ私にはこんなものがなかったのにと虚しくなる。同時に、それに出会えた嬉しさも感じる。

虚しさと嬉しさは矛盾しない。むしろ、虚しさとは心を揺るがすものである以上、ぞくぞくとするものを与えるものだ。
私は、あまり社交的な人ではないので、放課後に友達と遊んだり、誕生日プレゼントを貰ったりしなかった。気力がなかったので部活もやっていなかった。
そこに幾分かの虚しさというのを感じながら私は青春を過ごしたが、それでも、それがただ苦しいというのではなく、むしろ存分に、虚しさに包まれている自分の生きている少しドリーミーな世界を味わっていた。

こんな経験はあるか。
帰宅部の私は終礼が終わればさっさと帰れば良いのだが、私はたまに図書室に寄る。図書室は静かだが、ドアが開かれると外の音が入ってくる。ガラス張りの図書室で、外の様子もある程度見ることができる。
静かな図書室でもくもくと数学の自習をしていた日、外で一息つこうと席を立ち図書室のドアを開けると、吹奏楽部の練習している曲が聞こえてきた。あるいはダンス部のK-POP、女の子たちのはしゃぐ声もかすかに聞こえる。
みんな、誰かと一緒にハイコントラストな放課後をダンスしている。一方で私は席を立っても一人だ。だが、暖房の効いた図書室から出た途端、孤独と虚しさを感じている自分に、恍惚を感じて、立ち尽くしてしまった。


これを友人に話すとただ一言「分かる〜」。
あ、分かるのね。ちょっと残念だけどまあ分かってくれて嬉しいよ。

男女の恋愛ものは悔しいけど見ちゃう。ホラー作品に近い感覚。自分はこれを見ている間、歯を食いしばる必要があるけど、見終わったらとびっきりの“虚しさ”を体感できる。虚しさは、私を極上の孤独に連れて行ってくれる。孤独はトワイライトだ。感じやすい身体になる。

そんなこんなの理由で、私はあっつい青春物語を楽しんでます。他人の青春を、冷めた目で見てしまったら終わりだぜって思う。

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