見出し画像

【短編アクション小説】恋と煙草と格闘ゲーム

 決闘が始まろうとしていた。

 私は意識して呼吸する。左手でレバーを握る。右手の下には六つのボタン。目の前にはゲーム画面。

 キャラクター選択。私はレバーを操作し、迷わず「フライデイ」を選ぶ。パンツスーツにサングラスの、黒人女性。見た目で選んだが、今では私の分身と言える存在になっている。

「やってるねえ、女子高生ちゃん」

 背後で女性の声が聞こえたが、スルーする。

 相手の選んだキャラクターは「ロリポップ」だった。メイド服を着た小柄な女性キャラ。ただし、性能は”ゴリラ”と呼ばれるほどのパワータイプだ。

 画面の中で、互いのキャラが、薄暗いストリートに放り出された。格闘ゲームは一対一の戦いだ。助けてくれる仲間はいない。勝っても負けても、言い訳の余地はない。試されるのはそれまで積んだ己の修練、そして存在。――だから。

「お前を殺す」

 私は呟いた。

 ――Ready, Go!

 合図とともに、戦いが始まった。


「惜しかったね、女子高生ちゃん」

 背後から声が聞こえた。私は席を立った。入れ違いに、順番待ちしていた男性が席に座った。彼は筐体にコインを投入し、即座に戦いを始めた。それを腕組みして観戦する連中。

「……」

 煙草の煙が漂っている。冷房は弱く、閉ざされた空間の熱気を感じる。人は多い。ほとんどが男性で、いくつもある対戦台に群がっている。耳に届くのは、ゲームの効果音、BGM、必殺技を叫ぶキャラの声、雑多なお喋りと、悲鳴の音。

 私は観戦者の列から抜けて、少し離れた空間に移動した。なんとなく、彼らを眺める。この世界、今の私の帰属世界。――ゲームセンター。

 私の隣に、先ほど声をかけてきた女性がやってきた。

「対空が出ねえンですわ」私は彼女に答えた。「私、もう半年とかこのゲームやってるのに、なんで基本的な技術も持ってないんですかね? 才能ない? 知ってるけど。ああ、死にたい」

「対空か。”前ジャンプしてきた相手を殴って撃ち落とす”――それだけではあるけど、難しい技術だ。ま、ちょっと複雑な局面だったよね。なんでもない普通のジャンプは落とせるんだから、そんなに落ち込まなくてもいいと思うよ」

 そう言って、彼女は私の肩を叩いた。

 私はちょっと視線を動かし、彼女の目を見た。

 短い黒髪が可愛いこの女性は、ルルさんという名前だ。歳は私より少し上(たぶん)で、私が初めてゲームセンターを訪れた日から、良くしてもらっている。

「弱音を吐く暇があったら練習した方が生産性あるよ、女子高生ちゃん」

「……女子高生ちゃんっていうあだ名。私、今年で二十歳なんですけど……ちょっと、恥ずかしくなってきた」

「じゃあ、なんでセーラー服着てるの?」

「……」私は小声で言った。「可愛いかなって」


 それはつまり、大人になるのが怖いということなのだろう。いつまでも子供でいたいという願望の現れなのだろう。

 高校を退学したあたりから、私の人生は具体的にだめになってきた。――現実を見るのは怖いし、未来を見るのも苦しい。どこかにあるシェルターに引きこもりたい。だからきっと、私はゲームセンターにたどり着いたのだ。この、うるさくて、煙草の煙が漂う、戦いの世界に。


「――二十歳の誕生日に自殺しようか」

 私は冗談みたいに言った。

「えー、お酒も飲めるようになるし、煙草も吸えるようになるのに? もったいないよ」

 ルルさんも冗談っぽく言った。

「私、高校ドロップアウトしたの、煙草のせいなんですよね」

「ああ、じゃあ死んだ方がいいかも。生きるのは大変だからね」

「でしょ」

「そう思う。……怒った?」

「ぜんぜん。……ゲームやってる場合じゃねえよなあ、十九って」

「嫌いなの? 格闘ゲーム」

 ルルさんは少し不思議がるように私の瞳を覗き込んだ。

「嫌いですよ。負けたら、自分の存在が否定された気分になる。練習しても、勝てないし」

「ふーん」

「……でも、だって、でもこれ辞めたら、することなんてないし。バイトしてごはん食べて音楽聴いて寝るだけ。だからやってます」

「ふーん」ルルさんは私の耳元に近づいて、悪戯っぽく言う。「――哀川くんがいるから、だと思ってた」

「……」

 私は頬に熱を感じた。

「それもありますよ」少し遅れて、付け足す。「……分からせたいやつがいる、ってことだからね」


 否定できない視点だ、彼がいるから私がこの場所にいるということは。私が彼に――哀川という青年に抱いている感情は複雑だ。というより、自分でも整理できていない。

 最初に言っておく。恋愛感情なんかじゃない。だって、あんな馬鹿でむかつく人間に恋愛感情を抱くはずはない。初めて出会った時に、喧嘩を売ってきた男だ。性格が終わっているのだ。

 そうだ、負け越している間は、哀川さんに私を認めさせることができない。あの男に勝って、勝って、叩きのめす。――それがまあ、私の目標であることは、認めよう。


「哀川さん、会うたびに対空でないって煽ってくるんですよね。お前こそぴょんぴょん跳んでんじゃねーよ」

「君たちは仲が良いからね」

「は?」

「それはそうと――あ」

 ルルさんが視線を動かした。私もつられて、そちらを見た。

 彼がいた。……三日ぶり。

「よお、ルルさん」彼はそう言って、こちらに歩いてきた。「あ、あとお姫様」

 彼の髪は青色で、可愛らしい髪型をしている。顔だちは中性的で、肌がきれいだ。着ているのはぶかぶかした黒いパーカーで、ゲームのマスコットキャラがプリントされている。歪んだ笑みを浮かべている。そんな表情が似合う男性だった。

「こんばんは、哀川さん」

 私はわざと変な声で挨拶した。

「こんばんは、お姫様」

「相変わらず暑そうな格好ですね。七月ですよ?」

「お前は相変わらずセーラー服なんだな。確か、今年で二十歳だよな?」

「……」

 煽り方を失敗した。

「まあ、何を着るかは個人の自由だろうよ。ところで、今日の調子はどうだ?」

「ぼちぼちです」

「じゃあ、負け負けってことか。格ゲーは難しいよな、本当に」

「……」

 私は”不機嫌な顔”を作って彼をにらんだ。

「仕方ねえよ、半年で勝てるわけない――できることを一個ずつ増やしていくのが、上達だからな。対空とかさ」

「……」

 ありったけの敵意を向けてみるが、哀川さんはにやにやと笑いながら受け止めた。

「おい、お姫様。すごく変な顔をしてるぞ? 体調不良か?」

「哀川さん」私はつかつかと空いてる筐体の元に向かい、反対側の筐体を指さした。「”座れ”よ」

 哀川さんは満面の笑みで、私の誘いに乗った。

 ――こいつを分からせるには、言葉じゃダメだ。画面の中で、決着をつける。私はむかつきを抑えながら、席に座った。

「青春だねえ……」

 ルルさんの呟きが聞こえた。なんだそれ。


 左手でレバーを握り、右手をボタンの上にセットする。脳内で試合展開をイメージする。三日ぶりの対戦だ。以前と同じ轍は踏まない。

 キャラクター選択画面。私はレバーを操作し、フライデイを選択する。哀川さんが選んだのは「ハートイーター」。レザースーツを着た、ギザギザの歯が特徴的な男キャラクターだ。こいつはこのゲーム「ヴィランズ・イヴル」の主人公キャラで、比較的スタンダードな性能を持つ。

 画面が切り替わる。両者のキャラが、夕暮れの河川敷に放り出された。右サイドに私のフライデイ、左サイドに哀川さんのハートイーター。このゲームは2D対戦格闘ゲームだ。戦いは奥行きのない一本のライン上で行われる。ルールはシンプルで、画面上部の体力バーがゼロになると負けだ。2ラウンド先取で1セットの勝利だから、相手を二回負かす必要がある。

「お前を殺す」

 私は呟く。

 ――Ready, Go!

 そして、決闘が始まった。

〈消えろッ!〉

 叫びと共に、初手、ハートイーターは掌から赤色のエネルギー弾を放った。それは”ダークボール”という名前の技だった。いわゆる”飛び道具”である。

「なるほど」

 私は呟き、ダークボールをガードする。

〈消えろッ!〉

 再びダークボール。さらにガード。

 飛び道具、通称”弾”はこのゲームにおいて非常に強力な性能を持つ。大した威力もないし、見てからガードできる攻撃ではあるが、キックやパンチといった、大抵の打撃を一方的に潰すことができる。最大の弱点は、弾を撃つのと同時に相手が前ジャンプ攻撃をしていた場合、攻撃を確定で食らってしまうという点だ。だから、よく「跳ばれなければ最強の地上技」と呼ばれる。

 そして、弾はすべてのキャラクターが持つわけではない――私のフライデイは弾を持っていない。それに、弾に対する有効な対策にも欠ける。だから、この組み合わせでは弾が非常に強いと言われている。

〈消えろッ!〉

 再び放たれた弾を、私は前に歩いてからガードする。歩きガードは弾への一般的な対策だ。確実に距離が縮まり、こちらの打撃の間合いに入れる。

 それに――ハートイーターが、少し後ろに下がった。

「私はいいよ?」

 呟く。私と彼は、数秒やり取りする。――弾が有効な間合いを維持しようと思えば、後ろに下がらざるを得ない。しかし、それは徐々にそれ以上後ろに下がれない”画面端”という地獄に近づく行為だ。だから――どこかで哀川さんは前に出る。

〈消えろッ!〉

「しつこい!」

 弾をガードする。……これくらい弾を撃たれると跳びたくなってくるが、それは愚策。じわじわと、距離を詰めるのが最善。……端が近い。

 ――弾撃ちが終わった。哀川さんは、前に歩く動きを見せた。

 それはそう。このまま画面端に行くのは、”ない”。かといって、通常の前ジャンプも安易。だから、”前歩き”。

 もともと哀川さんのプレイスタイルは攻撃的なものだ。だけど……今回は、防御的な立ち回りを見せている。稚拙ではあるが、新しい戦い方を試しているのか。その態度は認めよう。

 ここで最も警戒するべき行動は、前ジャンプで両者の位置を入れ替えつつ攻撃する”めくり飛び”だ。さっきは対空に失敗したが、それだけを意識すれば、対空打撃で撃ち落とせる。

「……」

 来いよ。どうせ飛ぶんだろ?

 私は技振りを控えて、相手の行動を待った。――その時。

 ハートイーターが、急速に距離を詰めてきた。一瞬で、至近距離に寄られた。

「……!」

 ”前ステップ”。高速で相手に接近する行動だ。見ていれば止めれるし、技をあらかじめ”置いて”いても止めれる行動だが――私の意識は前ジャンプだけに向けられていた。

 頭に血が上る。完全に裏をかかれた……いやでも、超初歩的な読み合いじゃねえか。安易な……ああしかし、それに引っかかった自分にイラつく。

 そして――至近距離の攻防。私は反射的に”投げ抜け”を選択した。相手が投げを仕掛けてくれば、それを防げる選択肢。

 哀川さんは、打撃を仕掛けてきた。

「痛った……!」

 入った。打撃から打撃が繋がり、必殺技の派手な蹴りへと繋がる。”コンボ”が決まり、フライデイは大きく吹き飛ばされた。

 ――投げより打撃の方が、食らうダメージは高い。だけどあの状況……後ろ投げを食らって画面端を背負う方がキツかった気がする。嘘です。条件反射で投げ抜けしました。私が悪いです。

 ……読み合いに負けると、存在を否定される気分になるな。

 ちがう! 私は脳内会議を1秒で終え、気持ちを切り替える。

 打撃を食らい、ダウンを奪われた。――この後、攻めがループする”起き攻め”が待っている。つまり、フライデイの起き上がりにぴったり攻撃を重ねられたら、こちらが圧倒的に不利な駆け引きしなければいけない。投げ抜けをすれば打撃を食らうリスクがあり、ガードをすれば投げを食らうリスクがある。泣きたくなる気分を抑えながら、私は素早く受け身をとる。

 落ち着け。投げを一度食らえば、死ねる状況は終わる。いや、ハートイーターは投げのあとの状況も強いが、打撃を食らうよりマシだ。投げを捨てて、打撃をガードする!

 起き上がり、私はレバーを斜め後ろに入れ、しゃがんだままの”ガンガード”を選択した。

 ハートイーターは、さっきと同じ打撃を仕掛けてきた。

「よし!」

 打撃をガード。衝撃でやや距離が離れる。私はすかさずレバーを後ろに二回入れ、バックステップで距離をとる。

 画面端が近いが、攻めは終わった。――と、以前の私なら思うだろう。だけど、馬鹿みたいに何度も戦っている間に、哀川さんの性格は分かった。彼なら、強引に攻めてくる!

 ハートイーターが、前ジャンプをした。

 普通なら、対空で撃ち落とせば終わりだ。だけど、これは罠。哀川さんはおそらく、空中で降下の軌道を変化させる蹴り技を撃ち、私の対空をスカし、そのスキに打撃を入れてくる算段だ。脳がいっぱいいっぱいの時にやられたら、対応できない行動。

 しかし、私は完全に予測していた。というか、一点読み――「お前なら、そうするよな?」という確信を持っていた。

 ――飛ばれた瞬間、私も前ジャンプした。そして、即座に空中でパンチを繰り出し、空中のハートイーターに連続打撃を叩きこむ!

 パンチが二発、命中。

 ハートイーターが、地面に叩きつけられた。読んでいれば、”空対空”で迎撃出来る。これなら搦手も無力化できる。

「対空は出るんだよなあ!」

 私は叫んだ。

 ハートイーターはダウンする。こちらが”起き攻め”をするにはやや状況が悪い。だけど、簡単な攻めなら仕掛けられる。哀川さんの行動はいくつか予想できる。以前の彼なら、ここで攻めを急ぐ私に”無敵技”を撃ち、強引に切り返えそうとするだろう。だけど、最近の彼にはプレイスタイルを改めようとする努力を感じる。だから――画面端が遠いことを活かして、”後ろ下がり”?

 私は後ろ下がりを読み、前歩きからのしゃがみ中キックを選択した。

 哀川さんは予想通り後ろに下がっていた。下段の蹴りが命中し、哀川さんの体力が削られる。

 攻めを継続する! 私は前ステップで急速接近!

〈やってやるよ!〉

 ハートイーターが叫んだ。

「⁉」

 ハートイーターの身体が金色に光り、登り上がるような蹴りを放った。大抵の攻撃に勝つ、”無敵技”だった。しかし、無敵技はガードされたら大きなスキをさらす、ハイリスクな技だ。

 前ステップを見て、無敵技⁉ もっと何かあるだろ――”暖まってる”! こいつ、根は変わらねえな!

 私はダウン後、即受け身をとる。完全な起き攻めはない。だが、哀川さんは攻めを仕掛けてくるだろう。――今の彼なら、前ステップをしてくる。

 ハートイーターは、やっぱり前ステップ!

「こうやるんだよ!」

 私は前ステップを見てから打撃で止め、そのままコンボを叩きこんだ。フライデイの突進が、ハートイーターを吹き飛ばす! 私は追撃する、起き攻めで殺す!


 ――戦況はめぐるましく変化し、「お前はこうするよな⁉」というお互いの読みが、ぐるぐると高速で回っていく。日常生活では考えられないほど脳は回転し、意識が、存在が、スピードに飲み込まれていく。心臓がドキドキ鳴って、相手のことしか見えなくなる。
 
 人生って何なんだろう? 死ぬのはいつも怖いし、それでも不安すぎて死んじゃいたいって思うし、一人でいるのが寂しいから他人を求めるのに、上手くいかないで落ち込んで。この世界は煙みたいに曖昧で、正解なんてないから何をしていいかも分かんないし。

 だけど、この瞬間は。哀川さんと戦っている現在は。


 ――もっと動いていたい。そう思ったけれど、終わりの時間はすぐそこだった。

 お互いにラウンドを取り合って、最終ラウンド。体力ゲージはお互いに残り僅か。いくつかの攻防を経て、画面中央での戦いが続いていた。

 一手。この勝負はあと一手で決まる。先に相手に痛い攻撃をヒットさせれば、それで終わり。

 これまでの布石を整理する。先の空対空から、哀川さんは一切跳んで来ない。彼はこの対戦において、前ジャンプはしないと決めているのかも。――と、思わせておいて、勝負所で飛ぶ。それもある。対空に意識を割けば、その分地上が疎かになる。

 決めた。哀川さんを信用する。お前は、もう飛ばないと決めつける。地上での戦いに集中する。

 様々な選択肢が脳をよぎるが、私はもう、ごちゃごちゃ考えるのをやめた。一点集中。さっきから哀川さんがチラつかせている動き、”中足(しゃがみ中キック)を当てに行く”という行動だけを狙う。

 お互いに、間合いを伺う。ハートイーターとフライデイは中距離を維持し――私はその瞬間を待つ。

 哀川さんが、踏み込んだ。私は間合いをガン見し、後ろ歩きをする。

 ハートイーターがしゃがみ、足元を狙う蹴りを撃ってきた。――ここ。

 その攻撃は、僅かな差でフライデイに届かなかった。狙い通り。空振りによって生まれたわずかなスキに向かって、私は打撃を叩きこむ!

 フライデイの拳が、ハートイーターを捉えた。

「……!」

 命中。ハートイーターの体力は残り僅か。これで、決まる。私はレバーとボタンを操作し、打撃から必殺技に繋いだ。それは基礎的なコンボ。

〈これはどうかしら⁉〉

 フライデイの必殺技”シュガーキック”がハートイーターを吹き飛ばした。これで、哀川さんの体力はゼロ。

 ――THE END.

 決着だった。

 私は心の中で叫んだ。――練習した”差し返し”が決まった。私は、確かに哀川さんを上回った。

 ――A new challenger has arrived !

「あっ」

 休む暇はなかった。――哀川さんが、連戦を挑んできた。

「ふふふ」私は高揚を抑えながら呟いた。「いいよ、じゃあ、泣きたくなるまで痛めつけてあげる!」

 ――そんな風に、夜は流れていく。いつものように。


 閉店時間になった。ゲームセンターの住人たちが、街の中へ散っていく。

 私は店の外に出て、舗道の上で、なんとなく、空に煌めく星々を眺めた。ふと、煙草の匂いがした。別にいい。煙草の匂いは嫌いじゃない。

「泣きたくなる風景だなー」誰に言うでもなく、呟く。「世界って、本当はこんなに奇麗なのにね」

 なんで、現実はこうなのだろう。

「ポエムは嫌いじゃないぜ、お姫様」

 哀川さんが言った。

 私は視界を地上に降ろすと、二人を見た。煙草を吸うルルさんと、アイスクリームを頬張る哀川さん。

「馬鹿にしてる?」

 私は言った。

「別に?」

 哀川さんが言った。

 私たちは笑っているわけでも、怒っているわけでもない。ぜんぜん普通に、軽口をたたき合う。

「夜にアイス食べると、太るよ」私は言った。「っていうか、哀川さんはアイス食べ過ぎ。太るよ」

「いいんだよ、俺は体質的に太らないから。お前と違ってさ」

「……なんで私が太ったこと知ってるんですか……」

「顔見れば分かるだろーがよ」

「はあ? そんなに私のこと見てたんですか? 私のことが好きなんですか?」

「うるせーよ、お姫様。自意識過剰か?」

 ――ぎゃーぎゃー。私たちは低レベルな口喧嘩を続けた。そのうち、ルルさんが煙草を吸い終えた。彼女は私たちを見ると、声を出して笑った。

「本当に仲がいいね、君たちは」

「ゴミですよ、この男」

「じゃあ、お前はカスだな?」

 ――ぎゃーぎゃー。

 そんな風に戯れていると、なんとなく、じゃあもう帰ろうか、みたいな空気になった。

「俺がお姫様を評価するというなら」哀川さんは去り際に言った。「二十歳になってもセーラー服を着ているなら、クールな奴だと思うね」

「……似合ってるでしょ」

 私は言った。なんとなく、恥ずかしかった。――なんでそんなことを言ったんだろう?

「似合ってるよ。キャラも立ってるし。――じゃあ、またな」

 哀川さんは手を振って、街の中に消えていった。

「またね……」

 私は手を振ると、もう一度空を眺めた。

「世界は本当に美しいんだよな……」

「私もポエムは嫌いじゃないよ、女子高生ちゃん」ルルさんが言った。「確かに世界は美しいと思うよ。君たちを見ているとね」

「……」

 こんな風に、日々は続いていく。

 私は幸福なのだろうか? 最低なのだろうか?

 自分ではよく分からない。なんか、なにもかもが駄目になる時があると思えば、それだけで生きる意味があるって感じる瞬間もあって。

 私は歩き出す。明日は土曜日、真昼からゲームセンターに行ける。

 明日の夢を想像して――とりあえず、今日は終わり。

 対戦ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?