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【短編小説】半透明少女関係

 ヒグラシが鳴いていた。太陽がゆっくりと落下して、世界は明度と温度を下げていく。街は夜を迎えようとしている。――だけど、まだ夕方。
 
 街の片隅にある、アパートの一室。そこでは、二人の少女の笑い声が響いていた。二人は壁際のモニターに向かって、クッションに座りながら、格闘ゲームをやっている。部屋は8畳ほどの広さで、壁には女優のポスターやミュージシャンのポスターが、壁を埋め尽くすほどに張られている。ここが部屋の主、レイの世界だった。
 
 レイは24歳。色白で、きれいな顔をした女性だけど、眼鏡の感じ、長い黒髪の感じ、佇まいが、内向的な雰囲気を持たせている。
 
 隣に座る彼女も、齢は20代に見える。レイとは違って、明るく開放的な感じがする女性だった。髪は赤色で、可愛らしく束ねている。メイクもばっちりだし、表情、声色からも、親しみやすく、誰からも愛されるような人に見える。彼女の名前はミウという。
 
「やってねー! 指が勝手に!」
 
 コントローラーを激しく操作しながら、ミウが叫ぶ。
 
「……おいしー」
 
 呟きながら、レイはミスによって生まれたミウの隙に、最大コンボを入れた。
 
「ちょ! そこは見逃してもいいじゃん~、それくらいの手心はあっていいじゃん~!」
 
 ミウの体力がゼロになった。これでレイが3セット先取、勝敗は決した。
 
「……ミウちゃんも強くなったね。本気でやって、1セット取られた」
 
「プラチナとダイヤは結構差があるよー、負け負けだったなー、今日はぜんぶで何セット取れたっけ?」
 
「結構負けたのがびっくりだよ」レイは淡々とした口調で言う。「……ふつう、プラチナ帯の人には負けないんだけどな。やっぱりミウちゃん、すごい上達した」
 
「……」
 
 ミウは少し首を動かし、レイに笑顔を向けた。それは完璧な微笑だった。レイは自分の心臓が跳ねる音を聞いた。
 
「……いやー、私も頑張ったからね。噂では、半年でプラチナは結構すごいらしいじゃん」
 
「そうだね、それはミウちゃんが、」
 
 ――私といない時でも、格ゲーを頑張っているから。
 
 そう言いかけて、レイは言葉を止めた。別の言葉にした。
 
「――頭を使って、頑張っているから。考えないで対戦ばっかりしても、上達しないし」
 
「頭の良さを褒められることってなかなか無いな~」
 
 ミウは完璧な表情のまま、視線を外し、コントローラーを手放した。レイはそんな彼女の横顔を、二秒間見つめて、泣きそうになった。
 
 
 
 
 半年前、レイはミウに出会った。その時、一緒に格闘ゲームをやろうと言って、レイは失敗したと思った。正直な話、格ゲーというのは一般向けじゃない。
 
 だけど、ミウは完璧な笑顔でそれを承諾した。彼女にはセンスがあった。たった半年で、ずいぶんと上達した。
 
 とある月曜日、ベッドから動けない夕方、レイはミウのことを想って泣いた。彼女は、格ゲーで努力したのだ。すごく努力したのだ。私の為に? それは、義務なのだろうか? 彼女の意思だろうか? 彼女は私のことを好きだと思っていてくれる? 
 
 
 楽しかった――。そう言って、二人はゲームを止めた。レイは時計を確認する。6時30分だった。あと30分。
 
 
 
 
 半年前、レイはミウに出会った。――ミウ。苗字は教えてもらえなかった。
 
「格闘ゲーム? それって、あれ? ストリートファイターとか……ごめんね、詳しくはないんだけど」
 
 始めて出会ったその日も、ミウの微笑は完璧だった。
 
「い、いや、その、私も、女の子らしくない趣味だとは分かってるんですけど……あの、好きで……一緒にやる友達欲しいなって……」
 
 日曜日の真昼、二人は待ち合わせをして、ファストフード店で出会った。
 
 その時、レイの目に、ミウは中性的な女性として映った。髪は青色のウルフカットで、服は黒のパーカー。あとで分かったのだが、ミウは頻繁にスタイルを変えるらしい。だけど、あの完璧な微笑は、いつも変わらない。
 
 レイは白のブラウスに白のスカート、飾り気はないが、どこかメルヘンなコーディネートでやって来た。ふだんは引きこもりだから、他人と会うのは酷く緊張した。
 
「いいよ、やるよ」ミウはレイの目を見て、微笑んだ。「自分が全然知らない世界を見るのは、少し好きなんだよね。でも、ちゃんと教えてよね? ほら、ひたすらボコボコにされるだけなのは、嫌だからさ」
 
「もちろん、ええと、最初は対空ってのを覚えて……え、いや、違う、ええとね、まずキャラを決めて……」
 
「あは、その前に、ゲームを買わないとね。PCがあればできるかな? 一応、スペックのある奴は持ってるんだ」
 
「あ、じゃあ大丈夫、そんな最近のゲームじゃないから、たぶん大丈夫。値段も安いし……千円くらい、それくらい」
 
 レイは緊張の中、喋り続けた。どんなにぎこちない話をしても、ミウはすべてを受け入れ、柔らかく処理してくれる。
 
 ――それから、レイは毎週ミウを求めた。格闘ゲームをしたり、一緒に映画を観たり、他愛ない雑談をしたり、買い物に出かけたり。地獄のような日々の中、魔法の時間ができた。ミウは、レイにとって、完璧な女性だった。天使のようだった。
 
 ミウがいなければ、自分は死んでいた。レイはそう想う。世界には、自殺をしない理由が必要なのだ。
 
 だけど、レイは知っていた。ミウの嘘を。彼女の本当を、自分が手に入れていないことを、知っていた。
 
 半年、一緒に遊んで、それでも、レイはミウのことを知らない。
 
 すべては作られたものなのだろうか? その中に、本当のことは、ミウの想いは、少しでもあるのだろうか?
 
 終わった後、レイはいつもそんなことを考える。
 
 重い想いは一日ごとに強くなっていった。
 
 ――ミウちゃんの、本当が知りたい。
  
 彼女は心の中でそう言った。
 
 時計の針は6時30分を指している。あと、30分。
 
 
 
 
 あと30分。それから、二人は何となく、雑談を始めていた。
 
「――ああ、私も観たよー。どこから語っちゃう? オープニングシーンから? ――最高だよね!」
 
「そうなの。映像と音楽が、本当にクールなの。私、アニメはあんまり観ないんだけど、あのオープニングだけは本当に好き」
 
「あは、その言い方、良いのはオープニングだけって聞こえるよ?」
 
「う、じゃあ、ストーリーと演出も好き。特に2話」
 
「じゃあ、ってなんだよ~」ミウは笑った。「たぶん、ハイブリッドレインボウが流れるシーンが好きなんでしょ?」
 
「……正解。なんか心を見透かされた気分」
 
「半年も一緒にいたから、レイちゃんのこと、だいぶ分かってきたよ」
 
 ――私は君のことを全然知らないけど。レイは心の中で呟いた。
 
 二人は雑談を続ける。あと10分。
 
 ――いやだ。
 
 ――いやだ。
 
「ミウちゃんさ、プラチナ行ったってことは、けっこう練習してるの?」
 
 ふと、レイは話題を変えた。それをする時、脳がギリギリと締め付けられる感じがした。
 
「ん? ああ、格ゲー?」
 
「うん。半年でプラチナはすごいよ。適当にやってたら、まず無理だし」
 
 ――私が強制しなくても、やってくれてるの? なんで?
 
 ミウはあの微笑を浮かべた。
 
 ――その微笑は、完璧に作られているよね。その奥には何があるの?
 
「私、自分のぜんぜん知らない世界を知るのが好きなんだ。格闘ゲームは、完全に未知だったからね。レイちゃんも分かりやすく教えてくれたし。――ちょっとした冒険だよね。やってもやっても、終わりが見えない」
 
 ――その言葉は、どこまで本当なの? どこまで演技なの? そうだよ、君は本当に演技が上手だから。
 
「――それって、どこまで本当なの?」
 
「ぜんぶ、本当のことだよ?」
 
 ミウは微笑を崩さず、即答した。
 
 ――見透かされてる、私の気持ちも。
 
「私に付き合うのも、大変でしょ……」レイはカーペットに視線を落とした。「私みたいなメンヘラに」
 
「レイちゃん」ミウは、レイの髪に手を触れた。「そんな時もあるよ。だけど、それは一時的なものだから。だって、人生って長いんだよ?」
 
 レイは顔を上げ、ミウを見た。――微笑。
 
 ――私は本当に病んでいるんだ。君がいなければ生きていけないんだ。ねえ、君は精神病ってものを知らないでしょ? この地獄を。あの日死んでればよかったのに、君のおかげで生き延びたんだ。
 
「そのこと、分かっている?」レイは震えた声で言った。
 
「あは」ミウは笑った。「〈分かる〉っていうのは、難しいことだよ、レイちゃん。……でも、想像はできるね」
 
 レイは時計の針を見た。あと5分。
 
 レイは眼鏡を外した。その目からは、涙が流れていた。
 
「私を見て」そう言って、彼女はミウを見た。
 
「見えるよ、レイちゃん」ミウは微笑を崩さなかった。
 
「私、鬱病なの」
 
「うん」
 
「私、可哀そうだよね? すごく、苦しい状況だよね? でも私――頑張ってるよね?」
 
「頑張ってるよ、レイちゃん」ミウはレイの頭を撫でた。「毎日、生きることを頑張っているよ」
 
「頑張ってるのに、ぜんぜん未来が見えないの。毎日お薬を飲んでるのに、状況が変わらないの。ねえ、私より症状重い人はいっぱいいるよ、そう言われて、それで慰められると思う? 仕事ができないの。普通に一日が過ごせないの。ミウちゃんが帰ったあとね、私、寝たきりになるの。エネルギーを使い果たすの。だけど、ミウちゃんがいなかったら、私、生きれないの」
 
「つらいね。――ねえ、私を頼っていいよ? 君の痛みを共有することはできないけど、包帯にはなれるから」
 
「ミウちゃん、ミウちゃん」
 
 ――君は私を肯定するよね。それが君の役割だから。
 
「ミウちゃんのことが知りたいよ。痛みを共有したいよ。――ミウちゃん、何が好きなの? 何が嫌いなの? 私といないときは、何をしてるの? 未来に何を望んでいるの? 私のことを、どう思っているの?」
 
 その時、時計の針が7時を指した。――終了時間だった。
 
 
 
 
「時間だね」
 
 ミウは手を離した。
 
「〈滝本さん〉が求めていることは、なんとなく分かるよ。でもね、それを手に入れることは難しいんじゃないかなあ」
 
 ミウは立ち上がり、時計を眺めた。
 
「適当に言ったけど、やっぱり7時か。――時間だね」
 
「ミウちゃん!」
 
 レイは叫んだ。
 
「私、あなたのことが知りたいの! あなたが私の包帯になるっていうなら、なって! 私の痛みを、なんとかして。私は本当に、助けて欲しいの!」
 
「だから――」ミウは部屋を出る準備をしながら言った。「私は君の傍にいるんだよ、滝本さん。ねえ、他人にできることなんて、それくらいだよ」
 
「他人じゃ嫌なの! 一緒になりたいの!」
 
「デヴィッド・ボウイは知っている? ロックスターなんだけど」レイの顔を見ないで、ミウは言った。
 
「……え?」
 
「彼の曲で〈Strangers When We Meet〉という曲があるんだ。意味は〈僕らは出会っても他人同士〉って感じかな。――私の人生のテーマソング」
 
「……」
 
「滝本さん、私と君は一日だけ友達になる。そういう契約だよね。だけど、結局のところ、私たちは――誰と出会おうが、他人同士。ねえ、そんな感覚ってない? ロジックより先に、感覚的にさ。そう思うことって、あるよね? ああこの人と、繋がれないなー、みたいな」
 
「それが。私は、嫌なの」
 
「フリーディ・ジョンストンは知っている? ――知らないか」
 
 ミウは、何かを思いついたような顔をして、座り込んで泣き続けるレイの元に向かった。彼女は身をかがめ、レイの頬に触れた。
 
「君はいま、私が欲しいんだね。それは分かるよ」
 
「ミウちゃん」レイは顔を上げた。「いま、あなたが欲しいの」
 
「滝本さん、君は決して手に入らないものを求めているよ。……ああ、これも歌詞であったね。あは、私の喋る台詞は、すでに使い古されたものなんだ。そう考えると、自分というのも誰かのコピー……私は誰かのコピー、これも歌詞であるなあ」
 
 あははは。ミウは声を上げて笑った。それから、もう一度レイの頭を撫でた。
 
「滝本さん、私たちは半年一緒だったけど、他人ではあるよね。だけどね、来週、ある意味では友達になるんでしょ? それがぜんぶじゃ、だめなの?」
 
「だめなの」
 
「だめなの?」
 
「だめなの」
 
 レイはミウの腕をつかんだ。
 
「私は誰かが欲しいの! 痛みをぐちゃぐちゃに混ぜたいの! 他人の心が、愛が欲しいの! だって、それが手に入らなきゃ――ずっと一人ぼっち」
 
「……どこかで聞いたなあ。何かの映画だっけ? 漫画だっけ?」
 
「ミウちゃん」
 
「これから私が言う台詞も、きっと一年前に東京かどこかの少年が言っていたんだろうけど。――滝本さん。私たちは、出会っても他人同士だよ。他人の心なんて、分かった気になってるだけ。勝手に想像して、こんな感じかなあ、なんて思ってるだけ。誰かの本当なんて、手に入りっこないよ」
 
「……」
 
「でもさ。私たちは一緒にいれるよね。相手のことを分かった気になって、嘘の中にいて、適当で――そうやって一緒にいれるよね」
 
「……」
 
「来週も、遊ぼう?」
 
 レイは泣き続けていた。
 
「じゃあね、滝本さん。楽しかったよ」
 
 ――その言葉は、契約の外だよね。楽しかったよって。
 
 ミウは手を振って部屋を出ていった。
 
 レイは一人になった。
 
 
 
 
 夜になって、レイはやっぱり動けなくなった。だから彼女は、ベッドに横になって、音楽を流していた――デヴィッド・ボウイの「Strangers When We Meet」を。それはどこか淡々とした、もの悲しく、それでいて高揚感のある曲だった。
 
「明日は診察日だから……早く眠らなきゃ……」
 
 レイは呟く。
 
 ベッドから脱出して、デスクの上の薬を手に取る。口の中に放り込み、コップに入れた水で流し込む。
 
 それから、もう一度ベッドにダイブする。曲がリピートされる。
 
 ――先のこと……見えるのだろうか。いつか、病気が良くなって、普通に働けるようになって、誰かと一緒になったりして。それでも、僕らは他人同士、か。
 
 そんなことを考えながら――レイは眠りについた。
 
 たぶん、明日も世界は続くのだろう。来週は、ミウに出会うのだろう。
 
 どうにかこうにか――生きていくのだろう。
 
 それだけだった。


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