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カフェでついやってしまうこと

カフェにはたくさんの人がいて、あちこちで言葉のキャッチボールが飛び交っている。

一人でカフェにいるとどうしても周りの会話が耳に入ってくるのだ。

するとぼくは隣の席で繰り広げられている井戸端会議やカップルの会話につい耳を傾けてしまう。

本を読もうと思って聞き流そうしていても、気がついたら意識が隣席に向いてしまってることだってよくある。

うーん、
それは集中力が足りてないってことかも。


そんなこんなでカフェに行くと人の話を勝手に聞きがちなのだけど、これがなかなか面白い。


「それは流石にドジすぎ」

「楽しそう、おれも今度行ってみよかな」

「彼女が全く興味なさそうなの気付いてあげて!」

「いやそれはやめた方がいいと思うけどなぁ」


いろんな話に心の中で首を突っ込んでいる。

悪趣味かな...

仕切りもないし、聞こえてきちゃうのは仕方ない、、
はず。



そんなことをしているうちに感じたことがある。

それは聞き手の反応の大切さ。

話し手の、いわゆるコミュ力なんかよりも重要そう。

カフェでの他愛もない話なんかの場合は特に。


尻すぼみに話が終わるとき、だいたい聞き手がひどくそっけない。

聞きベタなのかほんとに興味がないのかはわからないけど。

自分が喋ってるときに向かい合ってる友人が退屈そうにしていると確かにすごく不安になる。

このまま話してて大丈夫かな、早く話題変えなきゃっていう気持ち。


逆に聞き手の反応がいいテーブルは盛り上がっている。

聞き上手ってすごい。

会話のテンポが軽快で、部外者のぼくまで心地がいい。

相手が気持ちよく話しているのが声だけで伝わってくるし。


いいなあ、
ぼくも相手が話しやすいように話を聞ける人になりたい。

上手くなるためには慣れがあるだろうし、実際はテクニックの要素も強いと思う。

テクニックが大事なのも分かるけど、そればっかりってのはつまんないし何より相手に失礼だ。

もちろん聞いてるフリなんかは最悪。


技術うんぬんより、相手の話を丁寧に汲み取ろう、言葉を受け取ろうって気持ちの方が何倍も大切なはず。

心で受け止める、みたいな。

うん、
相手の言葉を心で受け止められるのはきっと素敵な人だ。


そんなことをぼんやりと考えているカフェでのひととき。


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