マガジンのカバー画像

名もなき引力

4
名もなき引力 あらすじ…作家を志す大島は、尊敬する川瀬教授の厚意で住み込みの書生として生活することとなった。親切な教授から注意されたことはただひとつ「あの物置に近付いてはならない… もっと読む
運営しているクリエイター

記事一覧

名もなき引力④

名もなき引力④

笑った彼の、全くもって無害なはずの細い目から、恐ろしい程の引力を感じた。引きずり込まれそうな、闇。誰かと似たような、誰か以上の。

「…え、あ!ちゃうわ!自分が危ないって意味じゃなくて…」

己の関西弁による意思疎通の齟齬に気付き、大島は手を振って否定した。この部屋は本がたくさんあって、それが崩れるかもしれないから君が入っては危ないと説明しようと、そう弁解しようとした。
しかし弁解の余地はなか

もっとみる
名もなき引力③

名もなき引力③

書生として瀬川邸に住まいふた月が経った。季節が初夏へと移ったが、大島の生活は以前より格段に良いものとなった。下宿にいたままなら地獄のような暑さの部屋で原稿用紙に齧り付いていたであろうが、此処はハイカラで冷たい飲み物も扇風機もある。当たり前のように家事を手伝うだけで感謝され、美味しい食事もキチンと三度出てくる。大学に行く日など女中さんが弁当を持たせてくれるくらいだ。まさに何不自由のない、豊かな暮らし

もっとみる
名もなき引力②

名もなき引力②

瀬川教授の厚意で瀬川邸へと引っ越すことになった大島は、提案があったその週末、風呂敷ひとつで身を投じた。元々貧乏学生で荷物などろくにないと自認していたが、案内された瀬川の屋敷の大きさが余計に自分がそうであるということを知らしめた。大学のある街中とは少し離れた、田舎町の広大な土地に一際大きく建つ屋敷が瀬川邸。周りは田舎臭い畑や田んぼに囲まれていながら、そこだけは和洋折衷の洒落た日本家屋が美しい景色を造

もっとみる
名もなき引力①

名もなき引力①

「君の文章はどうも、真面目すぎやしないかね。」

師であり尊敬すべき瀬川教授のその言葉に、大島は表情こそ変えなかったがその実ドキリとした。長身の己が胸内に日頃は比較的大人しく納まる心の臓が、大きく縦に揺れたようにさえ感じた。若き作家というものは自覚があれど他者から不足を指摘されることには不慣れなのだ。特に気にしていることに関しては。それを知ってか瀬川は申し訳なさそうに、それでも戸惑うこともなく続

もっとみる