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23/5/17_過去と未来のために生きていている僕たち

こんにちは、多部栄次です。

ちょっと雑談します。先日機会でいろんな業界の人たちと出会うイベントがありまして、その際に心臓バグバグしながら勇気を出して声をかけて連絡先を交換した相手がいたんですけど、性格も似ていて、気も合ったんですよ。

で、そのときに勧められたゲームを始めたんですよね。「原神」っていうんですけど、これ一定のレベルまで上げるとフレンド申請できるのだそうで。

もうゲームはしないだろうなと思っていた中、フレ申請しませんかと向こうからいわれたから始めたんですよ。こりゃ脈ありだなと(いい年した)若造ながらうきうきしたもんです。

まぁその子とは今はもう音沙汰も連絡ないですけどね。
僕のもとにはランク10程度まで進めた原神だけが残っています。


さて、豊かな国の中、特に経済的にそこまで問題なく生きている人たちは未来を考え、過去を悔いて学んでいることが多いのかなと考えたりします。少なくとも奇跡的に環境やご縁に恵まれた僕自身がそう抱いているにすぎませんが、その結果、こういう人間でないといけない、こういう人生を送らないといけないという観念に追われているような気がします。

もちろん、社会に出た以上はそのルールに従わないと迷惑をかけますし、必要以上に苦しむことなく生きていくためにはどういう心構え・姿勢・行動・発言・学習・交流をしていった方がよくなるのか考えた方が将来的に楽になります。この「将来的に」という部分も、先を見ているという姿勢の一つになるでしょう。

組織人として、あるいは組織を作る・支える人は先を見る力が求められます。いや求められるも何もそうしないとほぼ生存できないらしいので必須なのですが、その未来に進むのと、囚われるのとではだいぶ違うなぁと感じたり。僕は後者にいます。

理想の自分にとらわれ、未来に負債を作っている状態で、大学院で積み立てたそれを今返している最中だと感じます。これを自己投資と思うか、何かに焦って背伸びして空回りしていると思うかは自分次第ですが、無理してる、何か違うと思うなら休んで周りを見てみる時間も必要かもしれない。

要は今ここに、自分は居るのか。今この瞬間を生きているのか。先ばかり見て、過去に囚われていないか。そういった経験をもとに未来を狭めてしまってないか(選択しているといえばその通りかもしれません)。

社会に出たからこそ、今の自分を、現状を見つめる必要があるのかもしれません。それは自分の話している様をビデオで撮って、それを観るかのように到底目も当てられないようなひどい有様かもしれませんが、そのプロセスを踏まないと未来も何もないと思います。

そして、昔はこうだったとか、いずれこうするとか、そういうの全部取っ払って考え直してみる機会を得るのもいいかもしれません。実際行動に移すのかは考えず、まずはそういう想定をしてみるところから始めてみるのもいいかなと僕は思ったりします。

徒然と語りましたが今日はそういう日だということで、ここに綴ります。

素敵な画像をお借りしました。anc8さん、誠にありがとうございます。
それではおやすみなさい。明日もよい一日を。

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