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世の中には「軽薄な人」がいてもいい

『築地本願寺新報』で連載中のエッセイストの酒井順子さんの「あっち、こっち、どっち?」。毎号、酒井さんが二つの異なる言葉を取り上げて紹介していきます。今回のテーマは「重さ」と「軽さ」です(本記事は2024年1月に築地本願寺新報に掲載されたものを再掲載しています)。

 若い頃の話。毎朝、彼に手作り弁当を届け、誕生日には手編みのセーターをプレゼントするような女の子は、
「重い」
と言われるようになり、恋がうまくいかなかったものでした。また、いつも派手な服を着て夜の街を遊び歩いている女の子は、
「軽い」 
という評価となり、これまた男女交際がうまくいかなかったのです。そのような実例を眺めつつ、「重くてもダメ、軽くてもダメとは、女のあり方は難しいものだ」と私は思っていましたっけ。

 もちろんそれは、女性に限った話ではありません。恋人を束縛しすぎる男子は「重ーい」と言われ、そして誰にでも良い顔をするチャラ男は「軽っ」と、女性達から敬遠されたもの。独身の若者は、相手から縛られそうになると「重い」と感じ、自分が相手をつなぎとめられないとなると、相手を「軽い」と感じたのです。

 重い・軽いは、そもそも物質の重量を示す言葉です。石は重くて、羽毛は軽い。重いものは密度がみっちりと濃くて、軽いものはエアリーであるわけですが、しかしその言葉は、重量についてのみ示すわけではありません。それはしばしば、人格や空気感など、重量を測定できないものを表現する時にも、使用されているのです。

 たとえば会社の会議室で、上司が部下のことを叱ったならば、その場の雰囲気は重苦しいものとなるでしょう。また、他人の秘密をペラペラと話してしまう人は、「口が軽い」と言われる。会議室の空気や、秘密保持の感覚の高低を数値化することはできないけれど、それでも私達は何とかその著しさを表現したいということで、「雰囲気」や「口」が重いとか軽いとか言うのです。

 では人格の重さ・軽さとはどういったことなのかといえば、他人の意見や雰囲気、流行などに流されず、自分自身をしっかり持っているが故に、威厳や自信を感じさせる人が、「重い」。その反対が「軽い」ということになりましょう。

 となると、重々しい人の方が軽い人よりも立派、というイメージを私達は持ちやすいものです。しかし私は、軽い人もまたこの世には必要な存在ではないかと思うのでした。

 皆が皆、重々しい人格の持ち主で、自分の信念を貫き通していたら、人と人はなかなか交わらず、喧嘩や戦争だらけになってしまうかもしれません。人の言うことにも耳を傾けて、「なるほどね」と時には意見を変えたり、ひらりと身を翻らせたりという軽さを持つ人も一定数存在するからこそ、この世には通気性が生まれるのではないか。

 かく言う私は、割と軽めの性格です。「大人になったら、重々しさが身につくのだろうか」と思いながら長年生きてきましたが、体重は加齢と共に重くなっても、気質に重さが加わる気配はありません。

 「軽薄」「軽率」等、悪い意味で使われることが多い「軽」という字。とはいえ新しいものにと飛びついたり、楽しそうな方へ走っていくという軽挙に我々が時に出るからこそ、世の中は動いていくのかも。軽やかさが世にもたらす効果も実はあるのではないかと、いつまでたっても重みが加わらない私としては、自分を励ましているのでした。

酒井順子(さかい・じゅんこ)
エッセイスト。1966年東京生まれ。大学卒業後、広告会社勤務を経てエッセイ執筆に専念。2003年に刊行した『負け犬の遠吠え』がべストセラーとなり、講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。近著に『処女の道程』(新潮文庫)など。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。

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