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セレブの街「麻布」の地名の由来、ご存じですか?【第20回】麻布山善福寺(東京港区)

来年4月に築地本願寺で勤められる「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」を記念して、宗祖・親鸞聖人(1173-1263)が関東の地に残された由緒を伝える「ご旧跡」を、令和の時代に昭和の香りを残すおじさん僧侶2人が巡ってみました。今回は、麻布山善福寺(東京都港区)です。

ご旧跡紹介

 寺伝などによると、善福寺は824(天長元)年、弘法大師空海が、関東一円に真言宗を広めるために、西の高野山に模して東の麻布山として開山した。鎌倉時代に関東から京都へ上洛する途中の親鸞聖人が善福寺に逗留された折、善福寺の第8世住職・了海は親鸞聖人の高徳に傾倒し、一山をあげて真言宗から浄土真宗に改宗した。

 了海は鳥羽院の末裔にあたる左大臣藤原信実の子で、1218(建保6)年に生まれる。7歳で仏門に入り、17歳にして比叡山にて顕密二法を修めた俊英の僧。親鸞聖人に出遇ってからは、関東一円に浄土真宗を広め、了海によって教化された阿佐布門徒と呼ばれる集団は大きな勢力を持った。了海は佛光寺第4代宗主を務めるなど、初期真宗教団で重要な役割を果たし、「関東六老僧」と呼ばれる門弟の1人として名を残している。1306(徳治元)年に
94歳で示寂。

 安土桃山時代の石山合戦の折には、善福寺は籠城する僧に援軍を送った。乱後、豊臣秀吉は関東を平定したが、善福寺には寺領保護を誓約した。江戸期には徳川家とも関係が深く、初代将軍家康からの寺領寄進や、3代将軍家光から本堂建立の寄進を受けている。さらに幕末の1859(安政6)年から1875(明治8)年にかけて、わが国初の米国公使館が善福寺に置かれ、初代公使タウンゼント・ハリスはここに4年間滞在した。

現地ルポ

 東京メトロ南北線と都営大江戸線の麻布十番駅から徒歩8分ほどで善福寺山門に着くことができます。善福寺は東京都区内では浅草寺に次ぐ古刹。一説には麻布という地名は、昔、この地に麻が降ったことがあり、麻布山の山号としたのが定着したものといわれます。

 1945(昭和20)年5月に戦災でかつての本堂は焼失しましたが、1961(昭和36)年には現在の総欅造りの本堂が再建されました。この本堂はもともと徳川家康が東本願寺八尾別院として建立し、京都天明の大火の後、一時期東本願寺御影堂でもあった建物を移築したもの。その本堂近くの開山堂に安置される了海坐像は鎌倉時代の製作で、国の重要文化財。今春京都国立博物館で行われた親鸞展でも公開されました。

旅ある記

星 外国の大使館が立ち並ぶ元麻布にやってきました。
藤 こ~んなおしゃれな街にもこ〜んなに大きなご旧跡があるんだね。
星 通りから1本入ると、街の歴史が凝縮されたような空間になりますね。
藤 今回は特別に本堂も見せていただいたけど、私は特に欄間の竜に驚いたね。あの飛び出す竜は当時の職人さんの高い技術が「浮き彫り」になってるね。
星 うまいこといいますね。
藤 この「逆さイチョウ」は1232(貞永元)年に親鸞聖人が杖をさしたところに根が生え芽を吹き出したものだそうで、時空を超えた親鸞聖人とのつながりを感じるよね。
星 国指定の天然記念物だそうで。私と似たところがあるのでしょうか。
藤 え? 星さん天然だったの?
(藤本真教・星顕雄)

公共交通機関でレッツアクセス!
〒106-0046 東京都港区元麻布1-6-21 電話 03-3451-7402(代)
築地→(東京メトロ日比谷線・中目黒行き)→六本木→(都営大江戸線・大門・両国方面・計290円)→麻布十番→(7番出口・徒歩8分)→善福寺
※原則建物内は非公開
※境内は開門時間内 (7:30 -17:00)参拝可

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。
 

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