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こんにちは、母さん

vol.138


母とはなんなのか

私の母以外でも全ての母親は一人の女性であり、人間である。何を当たり前なことを言っているのかと。母親というのは一つの役割であり、その人自身を言い表す上での一部でしかない。しかしそれは子供からの視点では母親は母親でしかなく、それ以前に女性であることへの関心は年齢を重ねないとなかなか理解できない。でも時々考えることはないだろうか、自分が生まれたってことは母親と父親が男女として出会って、結婚して出産があって自分がいるんだということを。でも父親や母親が男女として出会って、、、と考えを巡らせた途端嫌気がさしてしまうことはないだろうか…笑私だけではないと信じたい。

本作でも、大泉洋が演じる昭夫が吉永小百合演じる母の福江の恋を知った時の嫌気のさされっぷりは印象に残っている場面の一つである。
特に息子からすれば、いい歳して勘弁してくれよ…という気持ちはわかる。自分にそういう経験があったわけではないが、想像しただけでも昭夫には共感する。

この作品において母親というのは役割でしかないということ、息子の前では典型的な母親になり、孫の前では祖母、恋心を寄せる牧師の前では一人の女性としてそれぞれで見せる顔が違うのが面白かった。

母というのは一つの側面でしかなくて、他では別の人格として接している。これは平野啓一郎氏の分人の考え方が当てはまることだと思う。

人というのは一つの人格だけで形成されているのではなく接する人によって人格が変わってくるのが自然だろうという考え方で、まさにそれを映画だからこそ描けるドラマになっていて、一つの側面しか知らない息子にとってみれば母親の別の顔を見ることは混乱するからなるべく見たくない気持ちは割と理想が壊れることの恐怖にも通じて当然のことだろうと思う。


人生におけるシステムのしんどさ

生きていて、私たちは様々なシステムに当てはまって生きている。仕事、結婚、子育て、人生における様々なイベントがあるが、全てにおいてシステム化され次第に自由を失い、精神をすり減らし、高齢者になっていく。

それになんの疑問も感じずに、結婚、子供、家など様々なシステムに縛られにいくって特にそのことについては深く考えないからこそ飛び込んでいけるのかな。今や恋愛ですらシステム化されてきていて、そういったことに嫌気がさしている人も自分を含め若者には多くいるのではないかと思っている。

日常的に感じている生きづらさみたいなものをもっと追求して、自分を苦しめているものに対して自覚的になり、それを解除するにはとか、解きほぐしていくにはということをアウトプットとして発することは重要なんじゃないかって思う。

福江さんはある意味、旦那が早くになくなっていること、地域住民との関わりがあって、社交的であること、ボランティアに参加するやる気があること、などいろんな条件が重なって劇中のように楽しそうに生きている姿が印象的なんだと思うわけさ。世代的なものもあって、なかなか個人が自由に言動することも難しかっただろうから、きっと受けると人からすると福江さんの姿は妬みの対象にもなりかねないなって思ってしまったよね。

一方、昭夫は母とは対照に人生における様々な困難が次々と立ち現れてくる。こんないっぺんにくるなんて可哀想なくらいだ。
ひとつは会社の人事に関して、大手有名会社の人事部長である昭夫が同期の社員をクビにするか否かということで会社とその社員とで挟み撃ちにあい、どんどんすり減っていく場面があったり、また結婚生活もうまくいっておらず、妻とは離婚の危機に、そして娘は大学に進学したものの大学に全然いってくれない状況があったりと幾重にも災難が降りかかってきていて、とても可哀想。
今の50代前後の就職、仕事観というのはまだまだいい大学から大手企業へそして終身雇用、のようなシステムに乗っかることが正義という風潮がまだ強かった時代だったのだろう。システムへの閉ざされは大変な苦労が多いと思う。その点現代では転職もあるいみ当たり前になってきて職を変え、キャリアをつんで独立を考えるという人も増えてきている。システムによる閉ざされを考えた時に、仕事の選択肢が増えて多様な働き方が当たり前になりつつあるのはのは純粋に良いことだと思う。

そんな昭夫があれやこれやに対して最終的にどういう選択をするのかは注目してほしい。そこには母親からなら影響が少なからずあるはずだ。

システムによる登録から外れて交流できる享楽

「秘密の森のその向こう」という作品がありまして、

最後に

気になる点は、基本的に裕福なんだよなぁ。
足袋屋さんとして東京の下町に長年店を構えられている、息子は有名企業に就職、孫は可愛すぎる、等々。なかなか庶民からは共感できない設定が多すぎる印象はうける。とはいえ共感できる部分はないことはない。笑える部分もある、やっぱり寅さんのフォーマットだし、山田節と捉えれば素晴らしいと思えるのかもしれないが、リアリティとしては共感しづらい部分があるのは違和感だった。ある意味ホームレスとの対比みたいなことも意識されてたのだろうか?
ともかく寅さん感じの山田節ファンにとっては既視感のあるセットや人情の感じだったのかもしれないな。

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