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日本のジャズと文化|上原ひろみさんと、挾間美帆さんを聴いて

先月から今月にかけて、上原ひろみさんと、挾間美帆さん、世界で活躍する2人のジャズ・ミュージシャンの公演が日本で開かれました。この共通点から、これまで日本企業が果たしてきた文化継承・発信の影響が無視できないものだと思うのです。

 ジャズピアニスト・上原ひろみさんが新たに結成した「Sonicwonder」というバンドを引き連れて、ジャパンツアーを回った。アルバム「Sonicwonderland」(2023)をリリース後、アメリカ国内とヨーロッパ6ヵ国を巡ってからの来日公演には日本中から期待が寄せられていた。急遽追加された初日、東京・コットンクラブは唯一のクラブ公演だったこともあってか、混み合う予約サイトがうまく応答を返せないままに売り切れている。当日は珍しく満席の店内を見渡して、この場の老若男女が挙ってチケットを争奪したのだと思うと温かい気持ちになった。コロナ禍では海外からアーティストを呼べない国内のジャズクラブを守るために、何十公演も披露されてきた上原ひろみさんだったけれど、聴き飽きられるどころか、むしろファンを増やしているのだろう。あるいは、久しぶりのリズム隊を伴ったジャズバンドでの公演を待ち望んでいた人も多かったのかもしれない。

 かつての上原ひろみさんは、保守的な日本のジャズファンの間で必ずしも高く評価されていなかった。例えば2007年に、まだ20代でチック・コリア(Chick Corea)とのデュオ公演を行い、ライブ・アルバムを発売した際には、どうしたって目立つ経験の差を取り上げて批判する声が多かった。若い女性ピアニストにジャズが弾けるはずがない。いや、そもそも日本人が演奏するジャズなんて邪道だ。80年代、90年代を通じて独自の進化を遂げたフュージョンというジャンルが、日本のジャズを分けてしまったのかもしれない。変拍子や早弾きを織り交ぜた難曲を好む上原ひろみさんは、リベラルに位置付けられる。そして、2011年にはスタンリー・クラーク(Stanley Clarke)のリーダー作品にフィーチャーされ、これがグラミー賞のBest Contemporary Jazz Albumに選ばれている。ジャズの本場であるアメリカの方がよっぽど音楽に寛容なのだ。

 今回の作品も大いに自由だ。ステージ上、いつものヤマハのグランドピアノの周りには真っ赤なNORDのシンセサイザーが2台。1曲目の「Wanted」こそアコースティックなソロを聴かせてくれるけれど、2曲目の「Sonicwonderland」はイントロから太いシンセサウンドが鳴り響く。ミュージックビデオはスーパーマリオブラザーズを思わせる横スクロール型のアクションゲームだった。なるほど、これまでもコンテンポラリージャズのフォーマットで日本らしさを表現してきた上原ひろみさんは、今回、そのネタの一つにテレビゲームを選んだのだろう。「電子音=ゲーム」というシンプルな構図が潔い。ジャズの醍醐味である即興を際立たせるために、その対極ともいえる機械的なシーケンスをリフに使う。実際のところ、欧米人にとっては「日本=Nintendo」というイメージが強いのだから、これを逆手にエンターテイメント性を発揮するのも悪くない。アルバムから計5曲を演奏して、アンコールはピコピコ音の「Bonus Stage」でしっかりと盛り上げてくれた。

 世界で評価される日本人のジャズとは何なのか。翌々週にはブルーノート東京で挾間美帆さんの率いるジャズ室内楽団「m_unit」を聴いて、考えさせられる。2020年にグラミー賞の候補者にもなった挾間美帆さんは、作曲家・編曲家として名を馳せる。最新アルバム「Beyond Orbits」(2023)から、資生堂の150周年記念映像のために書いたという「From Life Comes Beauty」が演奏されると、上原ひろみさんの楽曲にも通づる美しさが響きわたった。それが旋律によるものなのか、ハーモニーによるものなのかは分からない。ただ資生堂がイメージさせるような凛とした美しさが心にしみる。思えば、資生堂も世界中にファンを持つグローバル企業。海外に暮らす人々が日本に抱くイメージと、日本人アーティストが描くビジョンが一致した際に、皆が聴きたかった音楽が生まれるのかもしれない。そして、それを媒介するのは意外にもグローバルな企業ブランドなのだと気付かされる。

 上原ひろみさんと挾間美帆さんの間には、ちょっとした共通点がある。二人とも幼い頃にヤマハ音楽教室に通っていたのだ。上原ひろみさんはピアノを、挾間美帆さんはエレクトーンを習い事としてはじめ、才能を開花させた二人の演奏はヤマハが主催するコンクールの優秀作品を集めたCDにも収められている。これは例えば、ロバート・グラスパー(Robert Glasper)のようなアフリカン・アメリカンのミュージシャンが子どもの頃に教会で音楽を学んだこととは対照的だろう。信仰や思想が根付いていない日本社会では特に高度成長期以降、企業が文化を育ててきた側面が強い。だからと言って、浅いと述べるつもりはない。むしろ世界にこれだけの影響を与えられているとすると、誇るべきことだ。昨今、格差や環境の観点から何かと否定されがちな大手資本だけれど、その成果は正しく測られて然るべき。日本企業の世界でのプレゼンスが徐々に低下する中、これからの文化の継承、発信を何に頼るのか、そろそろ考える必要があると思うのだ。

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