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四万円で直した縁石の先っぽの行方

 二年ほど前の話だ。
 私はコンビニの入り口にある縁石の先っぽを破壊した。
 あの、斜めになっている部分である。
 境界ブロックと呼ぶこともあるらしい、コンクリートを固めた、あの車道と歩道の間にある構造物。その先っぽだ。
 夜、右手にあるコンビニに入ろうと右折した時に、角度を間違えた。対向車は途切れていたが、向かってくる次の車はあった。右折するには充分ではあるが、微妙な距離。少し勢いが付いてもいた。
 右の前輪が跳ねたあと、まさに自分の尻の下から、不快な音と衝撃が響いた。
 これは完全に縁石に乗り上げたと思ったが、停止した位置は、完全にコンビニの駐車場内だった。後輪が引っかかった衝撃も無かった。
 降りて確認してみると、車は縁石に乗り上げたのではなく、縁石の端に直撃してそれを破壊し、車体で引き摺ったようだった。その「元縁石の端」は、元の位置から1メートル程度移動していた。
 やってしまったとは思いつつも、少し安心していた。
 というのも、その数日前に、完全に縁石に乗り上げてしまい、車道の片側を塞いでしまっていた車を見かけていたからだ。とりあえずは、そんな傍迷惑な事態にはなっていない。
 とりあえず車を駐車場に停車して、転がったコンクリートの塊を見に行った。
 試しに軽く押してみると、それほどの重量は無いようだった。
 その時、一瞬だが邪悪な考えが過った。こっそり戻して逃げてしまおうかと。
 コンビニには他に客の車はなく、定員も出てきていない。辺りはすでに夜に覆われ、車道を行く車も帰宅を急ぎ、誰も気に留めていない。
 本当に一瞬だけ、そう思ってしまったのは事実だ。生来、私は卑怯で狡い人間なのだ。
 私は警察に連絡した。車に問題はないかと訊かれた。たしかに、車に問題があれば、帰れない。コンビニの窓から漏れる明かりで、警察と通話しながら車体を確認した。オイル漏れなどは起きていないようだった。
 数十分後、警察が到着し、粛々と現場検証をした。
 警察と話した経験は多くはないため失礼ではあるが、おそらく珍しいと思われる部類に入るだろう、人当たりがとても優しい警察官だった。
 公共物破壊ということで、警察が手配してくれる修繕の費用を払うだけで済んだ。減点も特にない。
 程なくして保険会社から四万円との連絡が来た。保険を使うかどうかの選択を迫られる。
 保険を使って四万円を支払うことができるが、その後の保険料が何年間か増額されてしまい、かえって多くかかってしまう。その巧妙さに感心した。
 保険とは不幸のギャンブルと言われるが、それも相当不幸でなければ、役に立たないようにできている。もちろんそこまでの不幸に見舞われることは誰もが避けたい。だから皆が細心の注意を払うため、大きな事故は稀になる。それでもゼロではない可能性を案じて、我々は保険料を払い続ける。うまい仕組みだ。
 結局、私は保険を使わずに、四万円を入金した。
 ちなみに、経年劣化や減価償却等は考慮されないらしい。ガードレールなどの場合も同じで、元々ボロボロだったとしても、新品の状態に戻さなければならないとのこと。

 その後、そのコンビニには何となく立ち寄っていない。
 しかし、たまに通りかかることがある。
 通るたびに、私が直した縁石の先っぽをチェックする。
 一回目、ある。
 二回目、ある。
 三回目、あれ? ない!
 早速先っぽが無くなっている。修繕してから、半年経っていなかった。また誰かに破壊されてしまったのだろう。
 しかし、四回目も五回目も、そしてごく最近通った時も、縁石の先っぽは修繕されていなかった。優しく斜めに下る部分が無く、縁石は断崖絶壁のように突然終わっている。
 そう、私の次に破壊した犯人は、まんまと逃げたのだ。
 そして縁石の管理者である自治体も、修繕せずに放置している。おそらく、私が壊す前にも、同じようなことがあり、何度も壊されるなら、いっそ無くてもいいだろうということかもしれない。そのうち、現在断崖になっている部分が斜めのブロックに置き換わる可能性もある。
 私が四万円をかけて修繕したのは、一体何だったのだろうか。

 だが私は、あの時逃げれば良かった、とは思わない。
 職場の人に話しても「普通一回二回乗り上げたくらいで取れたりはしない。何回もダメージを負っていて、最後のとどめを刺してしまっただけ。元の場所に戻して放っておいても大丈夫だっただろう」と言われた。両親も同じことを言った。
 だが、そうすれば良かったとは思っていない。また同じように縁石の端っこを破壊したとしても、私は警察を呼ぶだろう。
 あの夜確かに、皆が言うような、不謹慎な考えが頭を過った。
 だが、次の瞬間に浮かんだのは、当時三歳の娘の顔だった。
 私は父親なのだ。
 私が至らぬ夫であったことが原因で離婚に至り、離れて暮らしてはいるが、私はあの子の父親なのだ。
 良かった。
 本当に良かった。
 不器用で、正直で、馬鹿を見て良かった。
 あの子の父親でいられて良かった。
 これからも正直でいようと心に決めた出来事である。


【補足】
・縁石に傷をつけた場合、物損事故となり、警察に届けないと道路交通法違反となる。当て逃げした場合、免許停止になることもある。
・縁石やガードレールなど、道路に関する工事の負担については道路法にちゃんと書いてある。ボロボロのガードレールを壊してもボロボロのガードレールに戻すことはできないので、新品の金額になるわけである。

 というわけで、運転の際には道路に設置されている公共物にも十分注意しましょう!

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