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ロビラキの日

11月、神社は七五三の季節。
今年はいつにも増して、餅のような三歳児が多い気がする。

古典的な柄がよく似合う、もちもちした、ぱっつん前髪の三歳児が、草履でジャンプしている。元気が良い。
三歳児は草履が無理で運動靴の子も多いなか、じつに頼もしい。
常連参拝のお年寄りが「まあ〜かいらしなァ〜」と、群がっている。

昭和だな。令和生まれの幼児は、昭和回帰だな。

それにしても、こんなに暑い11月がかつてあっただろうか!
大阪は昼間、半袖の気候だ。
昨日の夜は暑くてアイスを食べてしまった。うちには中学生が2人いるのでガリガリ君とエッセルスーパーカップが冷凍庫に入っている。

とはいえ、茶の湯は炉開きの季節。
インド野蚕糸の袷を着て、帯は二重太鼓、「炉開きおめでとうございます」と挨拶してから茶室に入る。

茶の湯では、5月から10月の夏期は茶釜専用のちいさなかまど「風炉」を、客人から遠い所に置いて、釜に湯を沸かす。11月から4月の冬期に使う、茶室の床に埋め込まれている「炉」は、夏期は畳の蓋がしてある。

11月に入ると、その「炉」を開いて灰と炭を入れ、釜に湯を沸かして茶を点てる。その初めての日が「炉開き」の日。

炉は小さな囲炉裏だから、茶室の中ほどの床に切ってある。

炉のかたちは丸い茶釜ひとつがシンデレラフィットで入る正方形で、中には灰と五徳。そこに形と場所が決まっている炭を、決まった順番と作法で置いてゆくのが炭点前。炭には香が置かれ、芳香が茶室に漂う。しばし恍惚のひととき。

茶の湯における「炉」を規格化したのは武野紹鴎と千利休で、それ以前は冬でも風炉を使っていたそうだ。

今年はさすがに暑くて茶室の窓を全開。
炭の遠赤外線は、炭に近づくほどめちゃくちゃ熱い。電気ストーブよりもずっと威力がある。

「炉」が湯を沸かすだけでなく「暖を取る」という意味も持つのは、囲炉裏のコンセプトと同じだ。「そういえば、囲炉裏って北国のイメージだなあ・・」と思う。

気になってかまどと囲炉裏についてざっくり調べた。かまどができたのは古墳時代。以後、日本国中でかまどが使われていたが、途中から囲炉裏が登場し、東日本では、かまどよりも囲炉裏の率が高かったようだ。東日本の方が寒かったこともあるし、雑穀のお粥を主食にしていたから囲炉裏の鍋で調理できたということもあるらしい。西日本では強飯(こわいい)という蒸し米を主食にしていて、これは竈(かまど)でないと調理できなかったそうである。

要するに囲炉裏は「寒さ」と「雑穀」ゆえ。東は西よりいろんな意味で侘びていたんだねぇ。それは日本全国にコンロが普及した今でも変わっていない気がする。正直、東から西に移り住んできた私は、西日本の豊かな食文化の沼にどっぷり浸かって、もう東には戻れないと思っている。

大阪の堺出身で、京都で茶の湯を完成させた千利休は、囲炉裏の侘び感を「いいね」と感じて茶の湯に導入、囲炉裏をさらに茶釜サイズの小さな四角にすることで侘びた茶室の小宇宙を完成させたのではないだろうか。(※個人の推測です)。

さて、囲炉裏と聞くと、私は自動的にやまんばを想起する。ちいさな頃に読んだ「牛方と山んば」というめちゃくちゃスリリングな絵本のせいだ。

やまんばに牛を喰われ、自分も命からがら知らない家に逃げ込んだ牛方(うしかた)。しかしそれはやまんばの家だった。やまんばが帰宅。あわてて屋根裏に逃げ込む牛方。やまんばは囲炉裏でうまそうな鍋を作るが、囲炉裏のあたたかさに思わずウトウト。その隙に、牛方が屋根裏から藁一本を垂らし、鍋の中身を吸い上げる、という緊迫の場面がある(わかるかな、この説明で)。その場面を思い浮かべると今でもドキドキするのである。

藁で汁が吸えるのか。
という、その絵本を読んだときに抱いた疑問も、もう十分寝かせたので、そろそろ今年に解決してみたい。

十二月、来年のしめ縄を作るために農家さんが餅米の藁を奉納してくれる。その一本を拝借して汁を吸ってみようっと。












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