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極私的聖域の旅

東京から関西に引っ越したばかりのころ、奉職先の神社に、気の合う学生の巫女がいた。眼鏡をかけ、低めの声で話す彼女は、神社の近くにある小さな書店の娘で、小さい頃から本に親しんでいたせいか、独特の語彙を持っていた。「祈祷控え室」のことは「待合まちあい」と言っていたし、なぜ巫女の助勤をしているのか聞いたときには、「ここの土塀が好きなんですわ」と答えたし、書店を経営しているお母さんについて「あの人は近江商人やから」と言っていた。

その日、私たちは神社の隣の公園にゴザを敷いて花見しながらおしゃべりしていた。彼女がふと、なんの脈絡もなく「あ。ねえやんの好きそうなとこありますわ」と言い出し、「じゃ 連れてってよ」と私も言った。

迷路みたいな町の中をぐんぐん歩き、庭が森のようになっているお屋敷の横を「この家すごくないスか」「すごい」とか言いながら通り過ぎ、その家の裏側に回って彼女が「ここですわ」と言った。

そこは、お屋敷の敷地なのかそうでないのか微妙な場所で、しかし急に視界が開ける丘の上で、きちんと草が刈ってあり、そこから先は、急なくねくねした細い坂道が眼下に続いていて、その先に大きな夕日が見えた。それはとんでもなく神がかった景色だったが、同時にとても私的な聖域サンクチュアリだった。

名も無く、人もいないが、誰かの手によって美しく保たれている聖域。

***

関西から遠く離れた会津の集落や村を歩いていたら、あの時の場所みたいな、名もなき聖域がいくつもいくつも現れ、まるでその場所が私に「好きでしょ、ここ」と語りかけてくるようだった。

田んぼの真ん中に、なぜか大きな木が3本くらい立っているなと思って農道づたいに近寄ってみると現れる、犬小屋くらいの大きさの祠。中を覗くと自然石が一つ入っている。その前には最近お供えされたらしいお米とワンカップ大関。

野原に突然ある巨石(磐梯山の爆発で飛んできたものかも知れん)のまわりが草刈りしてあって、その足元には、座ってお弁当が食べられそうなちょうどいいサイズの石。

背の高い草むらをかき分けて進むと出くわす、半分地面に埋まった磨崖仏。

運動靴がどろどろになるような道を進んだ先にある小さな滝と水路の横に、それを何時間でも眺めていられるような、手製のベンチ。

地元の友達の車で山へ行けば、あちこちにせまく急な階段があって、階段のふもとには小さな鳥居が立っている。階段を登ると、そこにはほったて小屋形式の祠があり、小さな依代よりしろが立っていることもあるし、祠もなく一本の木にしめ縄が張ってあるだけのこともある。

神道風のルックスをした祠でも、石に馬頭観音と彫られていることもある。神仏分離のあった明治維新後も、山の小さな祠ではごく自然に神と仏が同居し続けたのだろう。

ほとんどの小さな祠には、それを奉納した人々の名前(たいてい10人から20人くらい)が書かれた板が壁に打ち付けてあり、苗字は2〜3種類。これだけ植物が生い茂っている山の中、放っておけばあっというまに草木に飲み込まれ木製の小さな祠は朽ちてゆくはずが、書いてある奉納の年月日によれば平成の初めくらいから今に至るまできれいに保たれているということは、少なくとも30年以上、まめに草を引いたり落ちた枝葉をおそうじしたりしている人たちがいるということだ。

明治維新から十年後ぐらいにこの地を訪れたイギリス人の探検家イザベラ・バードが書いたUnbeaten Tracks in Japan の初版本(1880年)に、会津のことを描写したくだりがある。この箇所は、その後の普及版でも和訳版でも削除されているので、削除部分を翻訳・解説した完全補遺本から引用する。

どこにでも密に杉の木で覆われた円錐形の山があって、その最下層に石か木で作られた鳥居のついた急なすばらしい石段がないということはめったにありません。下から眺めると、てっぺんは何か神秘がありそうな雰囲気ですが、本当に一つの「厳粛な影」であるもののところまで登っていくと、たいていは小さな木造のお宮と少しの花と、わずかな米、あるいは常緑樹[榊]の小枝のような信仰の徴があります。

イザベラ・バード「未踏の日本」完全補遺(高畑美代子訳・解説)より

明治、大正、昭和、平成、令和。
それなりに時は流れたはずだが、イザベラ・バードの書いている祠の描写は、今わたしが見ている光景そのままである。

***

会津には、大内宿というかつての宿場町が保存されており、イザベラ・バードが泊まった宿も、当時と変わらぬ形で残されている。

大内宿

I slept at a house combining silk farm, post office, express office, and daimiyo's rooms, at the hamlet of Ouchi, prettily situated in a valley with mountainous surroundings, 

‘Unbeaten Tracks in Japan’

【私は山に囲まれた美しい谷にある大内村の屋敷で寝た。そこは蚕部屋と郵便局、運送所と大名の宿所を兼ねた家だった。】

この箇所は普及版でも残されている。

さて、彼女が泊まったその家は、今は軒先で土産物やさんをしているが、内職をしながら店番をしていたおばあさんにお願いすると、部屋の中を見せてくれた。本当に一般の民家で、箪笥も仏壇もあれば、歴代ご先祖様の写真も飾ってあった。

バードが泊まったのは欄干に弓矢が配されている部屋。
バードの泊まった家にいた、えべっさんと大黒さん。

この、古いお屋敷に泊まる感じ。代々ここの家の人が使ってきた箪笥がある部屋に泊まる感じ‥。

私はイギリスを旅した時に泊まったマナーハウスのことを思い出した。マナーハウスとは、荘園(マナー)に建てられた古いお屋敷を、ほとんどそのままの形で泊まれるようにした宿のことだ。そこにも、やっぱり歴代ご先祖様の肖像画や写真が飾ってあって、おばあさんが一人で、めがねをかけて編み物をしながら、宿の番をしていた。古い箪笥の引き出しの中には、古い布や服が入っていた。

イギリスで泊まったマナーハウスの中。


そういえば、あの時も、ロンドンに住んでいる友達一家の車に乗せてもらって、私の好きそうな場所に、あちこち立ち寄りながら、名もなき聖なる丘にいくつも登っては降り、ランズエンドまで、旅をしたんだった。ネットもスマホもない頃だから、行き当たりばったりに、B&Bやマナーハウスに泊まって、楽しかったな。

旅に出ると、いろんな一期一会があって、脳の中が更新されて、前の旅は忘れてしまいそうな気がするが、実際には、前の旅を思い出して、そこもパラレルワールド的にもう一回旅をしている。

それが、三つも四つもあると、三箇所四箇所を同時に旅しているものだから、最近は、短くちいさな旅でも、体験としては無茶苦茶広くたくさんの場所に旅をしている。

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