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トウキョの東京見物 両国国技館

両国駅で降りると、ホームにお相撲さんがいた。
浴衣を着て、草履を履いて、普通に電車を待っている。
九月二十四日、大相撲秋場所の十四日め。生まれて初めて、両国国技館で大相撲を見た。

大相撲は、一年のうち奇数月に行われている。一月の初場所と、五月の夏場所と、九月の秋場所は東京の両国国技館。三月の春場所は大阪。七月は名古屋場所。十一月が九州場所。それぞれの場所は十五日間。

関取は十五日間の場所中、毎日、取組(試合)がある。十五戦して、勝ちの数が一番多い力士が優勝。八勝すれば勝ち越し。八敗すると負け越し。

こんな基本中の基本からスタートしたにわかファンだが、何事もにわかの頃がいちばん楽しいのは言うまでもない。

まず、毎晩NHKの大相撲取組動画で幕内の全取組を見て予習。

秋場所初日は力士の名前を誰一人知らなかったのが、取組動画を見ているだけで三日目にはだいたい覚えた。幕内力士はみな個性があるし、四股名(しこな)もいいのばかりだから覚えやすい。

四日目にもなると、取組動画では物足りず、午後四時からの大相撲中継(NHKテレビ)を見るために、いつもに増して効率的に仕事をこなすようになる。

五日目には、「場所中なので早く帰ります」と言い出す自分がいた。午後三時くらいになるとソワソワしてしまう。「サザエさん」の波平さんが、小走りで家に帰り、テレビで大相撲を見るというシーンがあったが、あの現象が起こる。大相撲は天候に左右されず、とんとんと取組が進んで六時にはきっちり終わる。それから晩御飯の支度に取りかかってもなんの問題もない。

六日目には一人一人の力士について、前日までの流れを鑑みて評価するようになった。「昨日がああいう勝ち方したから今日はこうきたか」という分析をし始める。

そして七日目には「今日のはいい相撲だった」「大関があれをやっちゃ駄目だ」などと親方の視点で取組を語るようになっていた。

我ながらにわかファンとしてすさまじい成長ぶりだと思うが、初日から毎晩、今日もっとも良かった取組を選び、一緒に国技館へゆく友達と互いに発表する、ということをしたのも、成長の大きな要因だったと思う。

iPadでNHKの大相撲取組動画にアクセスすると、各取組が一つずつの動画としてアップされている。ほとんどの取組が一分以内で終わるから動画も短い。その中から、自分が心打たれた取組を選び、遠方にいる友達と同時に動画再生ボタンを押し、取組を見ながら通話する。

立ち合いのここが良い。土俵際ここで耐えてる。ここでめっちゃ頭突きしてる。足が先に出てる。めっちゃしばいてる。

取組はほとんどが一分以内、長くても二分くらいで終わる。その間にさまざまな感想を言う。感想の瞬発力がつく。いったいそれが何に役立つ能力なのかは聞かないでほしい。とにかく両国国技館に行く前日まで、毎晩続けたことで、相撲観戦力がかなり上がったのは確かである。そして何より、「もうすぐこれを生で見るんだ」という気持ちが日に日に高まっていくのが、楽しくて仕方がなかった。

我々の「今日の一番」によく選出されたのは、翔猿(とびざる)や宇良(うら)、照強(てるつよし)、翠富士(みどりふじ)などの小さめ力士のうまい戦いぶり、気力も技も充実した若隆景(わかたかかげ)の取組などであったが、必ず最後に、内容に関係なく今日の貴景勝(たかけいしょう)と今日の横綱を見るという流れもできた。

大関貴景勝は取組の前からふーふー言っているのがとても可愛らしく、そのわりにえげつない張り手をしたり立ち会いで変化したりもするのが面白い。横綱照ノ富士(てるのふじ)は、横綱なのにいつもぎりぎりで勝つというところにシンパシーを感じていた。


そんなこんなで、満を持しての国技館。
京都駅から東京駅へ向かう新幹線の中でも、予習に余念がない。
JR東海道の新幹線Wi-Fiを繋ぎ、取組動画をおさらいする。
残念ながら横綱照ノ富士は膝の怪我のため途中で休場してしまったが、ベテランの玉鷲が頑張っている。

東京に着き、山手線で秋葉原。乗り換えて総武線。
秋葉原駅のホームの感じは、私が中学高校の通学に使っていた頃とあまり変わらないので安心する。
幅のひろい牛乳スタンドも。

総武線両国駅を降りるとホームにお相撲さんがいる。
一人で電車を待つ力士、二人で何か話している力士。
ああ、来たんだなあ、両国に。
高揚感で全身が沸き立つ。
昔の人が、江戸に来た時の感慨はこんなだったかと思われる。

改札の前の床が、土俵のデザインになっている。
壁側には歴代力士たちの手形。
改札を出ると右手が両国国技館だ。

強い雨が降っているので傘をさす。
お相撲さんが二人、傘をさして信号待ちをしている。
大きい背中が傘からはみ出て、肩が濡れている。

秋雨や信号待ちの力士かな

もう一人のお相撲さんは、背中の大部分が雨で濡れて、浴衣がぴっちり張り付いている。両国なら、きっとキングサイズの傘が売ってると思うが、たまたま忘れたのかもしれない。
これも風情だなあと思いながら、国技館に吸い込まれていく。


中に入るとそこは祭りだった。

大相撲うちわがもらえるガラガラ抽選会に並ぶ、楽しそうな人たちの列。
「お茶屋さん」という、お客さんを接待する係の人のお店が、浅草の仲見世のように並んでいる。
元横綱大乃国(スイーツ親方)が、自らパンを売っている!

枡席(ますせき)へ行く。
正方形の床に毛氈が敷かれ、低い手摺り棒でその四方を囲んだ、文字通り枡の形をした席である。その枡が棚田のように段々になっている。我々は西のやや後方にある枡席だ。席をインターネットで取ったため、A.I.が我々を関西人だと分析して西に配置したのだろうか。隣の枡は関西弁のおじさん二人だ。

枡の中、落ち着いた赤い毛氈の上には、同系色の座布団。
大名が花見をするときのような、ハレのしつらい。
ただし今の時期、枡席での飲酒は一杯まで。

靴を脱いで枡の中に入ってみた。
宮津の文殊堂の猫が入っていた寝床みたいな、ちょうどいいサイズ感。
正方形に収まった安心感と、相撲への期待で、枡が満ちる。

土俵の上では、幕下の力士たちの取組が行われている。
勝敗が決まったら、すぐ次の力士が呼び出されて、すぐ取組がはじまる。
手刀を切って懸賞金を取るのとか、勝った力士が次の力士に力水をつけるのとか、神事的なことをするのは上位のほうの取組だから、幕下はスポーツの試合のように粛々と進む。

土俵も、屋根も、テレビで見るよりもずっときれいで、清らかに光っている。
ロンドンのフットボールスタジアムで、アーセナルの試合を見た時、グランドの芝生の美しさに目を奪われたが、国技館の土俵も、茶色の土と白い丸だけなのに、とても美しい。

屋根は神明造で千木は外削ぎだ。
土俵の上に神社の屋根を吊るというなんと斬新な構造!
神社建築において、柱は肝心要であり、神社を建てて神を祀ることを祝詞では「宮柱太敷立て(みやばしら ふとしきたて)」と言い、神も一柱、二柱と数える。だが思い切ってその柱を無くしたことにより丸い土俵を360度全方位から見ることができるようになった。

その吊り屋根から垂らしてある、穢れを祓うための「水引幕」は貴人の色とされる紫。吊り屋根の四隅に配された房は青、赤、白、黒でそれぞれ青龍、朱雀、白虎、玄武という方位の神を表している。神職の私から見れば、柱はなくともこれは立派なお社(やしろ)以外のなにものでもなく、そこで繰り広げられる取組は神事である。

取組はどんどん進む。髷を結うほどにはまだ髪が伸びていない新人の力士も、お団子ヘアまではできるようになった力士も、勝てば大きな拍手をもらっている。お客さんたちは、桝の中で足を伸ばしたり、食べたり飲んだり、思い思いにしながらも、土俵でいい相撲があると、わっと拍手が起こる。けっして、おしゃべりや飲食に夢中になって土俵を忘れたりはしないのだ。

お客さんたちのこの感じは、三年前に息子と二人で行ったメジャーリーグのエンゼル・スタジアムの雰囲気に似ている。みなそれぞれにリラックスして、思い思いにその空間を楽しんでいるが、素晴らしいプレーには惜しみない拍手を送って、それが心地良い一体感を生む。


お茶屋さん経由で枡席を取ると、お土産やら、お弁当やらを、お茶屋さんが枡席に運んできてくれるそうだが、我々は自分で買いにゆく。

売店には、ヤキトリ、お稲荷さん、おつまみ、お酒などが並んでいる。
会計のおねえさんたちの元気な感じも、江戸情緒を盛り上げている。
力士の手ぬぐいなどが売られている土産物屋が隣にあって、私は貴景勝の手ぬぐいが欲しかったが、たいへんな賑わいで列になっているので、とりあえず名物のヤキトリとお稲荷さんとお茶を買って枡席へ戻る。

国技館のヤキトリは今まで食べた中で最高だった。
焼きたてでもないのになぜこんなにうまいのか。次回は調べてからまた味わいたい。
柚子の風味がきいたお稲荷さんも、お稲荷さん史上最高だった。
枡席で食べたからかもしれないが、食べものってそういうものだ。どういうシチュエーションで食べるかがとても重要。ああ、芭蕉ならこの感じをうまい俳句にするだろう。

十両の土俵入り。
まわしをつけた十両の全力士が、列になって土俵に上がり一周する。
上がる時にアナウンスで四股名と出身地と部屋が紹介される。
そのたびに、われんばかりの拍手。
全員が出揃うと輪になって、ばんざいしたり、何かしている。
十両クラスになると体も大きく、関取と呼ぶにふさわしい貫禄と威圧感がある。
先ほどまでの、スポーツの試合的な雰囲気から、相撲の「場所」という空気に変わる。

とはいえ十両の取組はまだ若干スポーツ感もある。
幕内から落ちてきた力士は上に戻りたいし、とにかく勝たねば始まらない。
勝敗がついた後も、すぐ気持ちを切り替えて、次、次という感じだ。

土俵の土が乱れた後に、呼出(よびだし)が箒でささっと掃くと、また整然とした丸が現れる。力士を呼び出して、「西〜」「東〜」とやる呼出は、土俵を整備する係も兼任している。甲子園で言うなら、次のバッターを紹介するうぐいす嬢が、グランド整備をする阪神園芸さんを兼ねているということになる。

呼出は他にも、懸賞幕を持って土俵を一周したり、関取の座布団を交換したり、拍子木を打ったりしている。表に出る仕事も、雑用っぽい仕事も、わけへだてなく、とにかく土俵まわりあれこれ全般の仕事をしているようす。彼らのいでたちは、袴の足元が地下足袋様になっている特殊な装束で、日頃、袴が仕事着の私としては、そのデザインと機能性に注目せざるを得ない。

行司の装束がとてつもなく派手なことに気づく。
よく見ると全身総柄だ。
世界中どこを探しても、ここまで派手で、動きづらい服を着ている審判は相撲くらいではないか。

土俵の四方には、黒い羽織を着た審判の親方が座っている。さすがの貫禄。
土俵のすぐ下に座っているので、けっこうな確率で転がり落ちてくる力士の下敷きになっている。でも親方だから大丈夫。
審判の親方衆は行司の判定に「物言い」がついた時、土俵の上に上がって協議をするが、その時にはみんなでビデオを覗き込むなんてことはしていない。
審判長が耳に黒いイヤホンをさしているので、おそらくビデオ室からの連絡を受けているのだろう。
ビデオ判定をしても多くの場合、行司の判定が正しいので、あのように動きにくい装束をまとっていても行司の目は鋭く確かであることがわかる。


十両の取組が終わると、幕内力士の土俵入りだ。

大きな体から発散されるオーラ。
美しい化粧まわし。
圧倒的な存在感と、まれびと感。
まるで神話の一コマだ。

鳴り物は太鼓と拍子木だけだが、それでじゅうぶんである。
全員が出揃うと真ん中を向いてばんざい。
すると土俵の真ん中に、すさまじく尊いものが発生する感じ。
お客さんがいつの間にか席を埋め尽くし、祝祭の空間が出来上がる。

ああ、これが「場所」なんだ。
大相撲における「場所」という言葉の概念は、これなのだ。

そして私は「場所」の一部になった。




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