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春分 * 桜舞う窓に神差す京阪電車

夏に生まれた双子は、小さなお猿みたいだった未熟児から猛烈に大きくなり、春にはまるまるとした赤ん坊になっていた。お餅のような赤ん坊が二人並んでバギーに乗っていると、遠くからでもよく分かるらしく、いろんな人が接近してきて「まぁ〜かいらしなぁ〜」と話しかけてきた。

双子を二人乗りのバギーに乗せ、通路の広いスーパーで買い物をしていると、
「ええ車やのう」
と、しわがれた声。
見知らぬ爺さんが、双子用バギーを見て感心しているのだった。
引き続き爺さんが喋る。
「わいも乗してほしい。別嬪さんに押してほしい。ところがな、わいの足は丈夫なんや。シナ事変の頃から兵隊に行っとるからな。今はひ孫が11人や。お年玉が大変なんや」
お爺さんの心地よいしわがれ声が、スーパーの店内に詩吟のように響く。バギーに乗った双子はお爺さんの顔をめっちゃ見つめてご機嫌にはふはふしている。

語り終わって双子のほうに目をやった爺さんは、
「君ら、きさんじやな」
と言ってニヤリと笑い、去って行った。

私は当時「きさんじ」の意味を知らなかった。子供に向かって言っていたので「きさん児」だろうと思った。未熟児とか健康優良児とかそんなようなのだ。シナ事変の話が出たので「帰参児」と書いて何か戦争孤児のようなものを指すのかな、にしてもこんなお餅みたいな戦争孤児はいないよなあ、と考えながら家に帰り、辞書で調べると「帰参」には「勘当された子が親元へ帰る」という意味があった。生後七ヶ月、まだ勘当されるには早すぎると思いさらに調べると「気散じ」に行き当たった。気を散じる、気晴らし。気楽。呑気。といった意味である。そして大阪では「気散じさん」が、おおらかな子、ごきげんな子、という誉め言葉になるということをこの時知った。

***

物言う前の乳児は意思表示が「泣く」の一択なので、部屋の中で1対1で対峙していると、どうしたって互いに煮詰まる。乳児かける2となると、何を言いたいのか全く分からん生き物2体と大人1体が部屋の中でがっちり正三角形のバランスになって、ニッチモサッチモいかなくなることがあった。

ところが野外に出すとさまざまなものが乳児の五感を刺激して、泣いているひまがないのか、二人ともご機嫌だった。バギーに乗せる前にはギャン泣きしていても、どうにかこうにか乗せて発車(押す)してしまえば、屋内で交互にだっこゆらゆら20分よりもはるかに効果的である。私は心の平和を保つために、とにかく双子をバギーに乗せては、来る日も来る日も野外を歩きまわった。雨の日も風の日も。「まあ、こんな日ぃに連れ出さんでもええのに。かわいそうに」という声が聞こえてきても、かまわず外を連れまわった。

「きさんじやね」「まあ、きさんじさん」
シナ事変のお爺さん以降、双子をつれて野外をうろうろしていると、いろいろな方から幾度となくこの言葉をかけられ、「きさんじ」という響きに憩いを感じた。

***

この頃、双子はまだ言葉をしゃべり出す前だったが、動物が鳴くかのように、口をあけて喉を鳴らしていた。口をあけて、「お」と言った後に、フランス語の「r」のように喉を鳴らし、そのあと、犬みたいに「クン」と鼻を鳴らして閉じる。

マザー・イン・ローはこれを見て「おっこん 言うてはる」と言った。彼女は京都の人で皇族の血筋だから、赤ちゃんの何とも表現しがたい発声を「おっこん」という、いかにも京風な言葉に変換するのだなと思った。たとえば「おっこんの炊いたん」というメニューが京風おばんざいの店にあってもきっと違和感はない。お散歩はよいよい、おすわりはおっちんとん、入浴はちゃいちゃい。マザー・イン・ローの使う赤ちゃんことばは、すべてそこはかとなく京風なのだった。

おたがいに「おっこん」「おっこん」と言い合っている双子の様子は、さながら犬と犬が「わん」「わん」と鳴いて通じ合っているようなあんばいで、こちらには何を通じ合っているのかさっぱり分からなかったが、そのうちに女の子のほうが先にだー。ばー。ベー。まんま。と言い出すと(男女の双子である)、男子のほうも「おっこん」と鳴くのをやめ、かわりに、だー。ばー。ベー。まんま。と言い出し、ほんのひと月程度で「おっこん」の応酬は消滅してしまった。

それから数年が経ち、神職の教養研修で御所ことばについて学んだとき、お酒のことを「おっこん」と言うことを知り、その由来はお九献であるとの説明を受けたが、私はひそかに赤ちゃんの「おっこん」との共通点を見つけてハッとした。それは赤ちゃんの発声を「おっこん」と言い表したマザー・イン・ローの中にわずかだが確実に流れている皇族の血を証明しているような気がした。

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神社へ初宮まいりにやってくるのは生後一ヶ月の乳児である。文字通り初めてお宮に参るから初宮まいりで、祝詞を上げる神職の私は神と乳児の間に立つ。

乳児の浮遊しているような手指の動きや、見えないものを見ているような瞳や、「おっこん」という発声が醸し出す神感によって、まるで前と後ろから神にはさまれているような感覚になる。ほっこりするとか癒されるとかそんなもんではない。しずかだが強烈な生のエネルギーにサンドイッチされ、細胞の一つ一つが更新される感じである。これは役得だ。

だが乳児の放つ神感は、やがて言葉を話し初め、歩き始めると、着々と失われてゆき、そのかわりに人間味が増してゆく。物心がついて七五三まいりに来る頃には、自我のかたまりで、人間らしさ全開だ。七五三のうち、男女三歳の髪置の儀は、江戸時代の武家で髪を結うために伸ばし始めるという儀式だが、私の感覚ではそれと同時に神的存在から完全に人間へ移行したことを奉告する儀式である。

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春先の関西は、黄砂と花粉のために、視界が薄黄色くもやがかかっている。そもそも視力の悪い私は余計に視界が悪くなって脳が眠りの状態に入る。晴れの日の昼にすいている京阪電車に乗り京都へ向かう。どうしようもない眠気とともに、信じられないほど曲がるカーブを走る車両に身を委ねていると、意識と無意識を行ったり来たりするようになる。瞑想したいならぜひ平日昼間の春の京阪電車京都方面をおすすめする。

この沿線に移り住んだ最初のころ、とあることがきっかけで京阪電車の運転士さんたちと友達になった。私が東京から来たことを知ると「東京の線路は幅が狭いやろ」「北千住の駅広なってよかったやん」と東京の鉄道会社話をしてくれた。私が中高生の頃に埼玉から東京へ通うために使っていた北千住という駅は、朝のラッシュ時にホームから人が溢れ落ちそうになるため、次の列車が荒川の鉄橋の上で何分間も停車して待たされることがあったのだが、なんとそのことを知っていたのである。どうしてそんなこと知ってるのと聞くと、彼らは東京の営団地下鉄(現東京メトロ)と共同で研修を行なっているから北千住駅の事情にも詳しいのだと言った。

京阪電車は大阪の淀屋橋と京都の出町柳を結ぶ電車で、列車の雰囲気も、路線の長さも、両端が都会であいだが住宅地の感じも、吉祥寺と渋谷を結ぶ井の頭線に似ている。いま現在の京阪電車は、路線の両端の大阪中心部と京都中心部では地下に入り、あいだの郊外は地上を走るのだが、友達の中でも先輩格の運転士さんは、まだ京阪電車が京都の三条まで地上を走っていたころ、桜の季節にはわーっと桜吹雪の中を走って、むっちゃきれいだったと教えてくれた。その運転士さんは本当に良い声をしていて、高校生の時にバンドで浜田省吾を歌って同級生に惚れられて結婚したそうだ。その良い声で語られた、運転席に向かって舞い散る古都の桜吹雪の様子は、春に京阪電車に乗るたびに、私の網膜で映画のように再生される。実際には見たこともないのに。

伏見桃山駅から乗ってきたであろう年配の乗客が、おおきな声で話している。
「それかいらしなあ、さら?」
‥‥
「せんせ、家遷りしはったんやて」
‥‥
「きさんじに花見でも出かけたいわぁ」

とぎれとぎれに、西の言葉が耳に入ってくる。眠くて眠くて、目が開けられない。現実なのか、白昼夢なのか、よく分からないが、「きさんじ」の言葉がきっかけで、おっこん時代の神感が一瞬だけふわっと戻ってくる。赤ちゃんの匂いとともに。それはとても儚いもので、いつやってくるかわからないし、すぐに消え去ってしまう。

魔が差すという言葉があるが、それは、神が差すとしか言いようがないふしぎな瞬間である。




二十四節気 春分しゅんぶん 新暦3月20日ごろ

*春暁(しゅんぎょう)
春はあけぼのの「あけぼの」より前の、まだ暗い早朝が「あかつき」。始発電車で埼玉から東京に通っていた中学生の頃、家を出るとまだ空に月が残っていた。あれが暁。
いま住んでいる大阪は、東京よりも半時間近く日の出が遅い。朝早くに落ち葉はきをするには献燈のあかりを頼りにすることもある。だから暁は、私にとって中学生の頃の自分に戻る時間だ。

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