押し付けられる価値観

人気があるという「チコちゃんに叱られる!」ですが、私にはとても見る気がしません。(CGとリアルを重ねる技術はすごいですが、数分見ればOK)
そんな中、興味深い記事を見つけました。記事のその先で、他人の価値観を押し付けられた時、自分はどう感じ、対処するかが問われていると思いました。

記事はこちら:
チコちゃんの「なんで?」は最悪の愚問である…「5歳児の罵倒芸」に文化人類学者が本気で怒りを抱いたワケ

注目したのはこの部分。

動物行動学者ニコ・ティンバーゲンは、動物の行動について、生物学は四つの「なぜ」に答える必要があると示した。
(1)近接要因:どのような仕組みか
(2)究極要因:どんな機能をもっているか
(3)発達要因:生物の成長に従いどう獲得されるか
(4)系統進化要因:どんな進化を経てきたのか(長谷川、2002)

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「なぜ」という問いは、どの地平線で答えるべきかが定まっていない。そもそも「一つの原理に基づいた一つの答えを押し付けるべきではない」と。そして「自分が設定した説明の地平を、そうと気付かないままに相手に押し付け、さらにはそのように知的な権力を振るっているという自画像にも気付いていないことが多い。」

とても重要な視点だと思います。自分の価値観を気づかないまま相手に押し付けている。支配の構造がある。これはハラスメントと言えるのでは?
(情報発信・教育の場面では注意が必要な視点)


では押し付けられた価値観を、どう受け取り、どのように対処するか。まず、押し付けられていると気が付けるか。気が付いた時、どう対処するか。

これは、作為のある情報やデータを得た時、鵜吞みにせずにモヤモヤを感じることができるか。モヤモヤへどう対処しようと考えるかに似ているのではと思いました。


私たちは今、コロナワクチンは有効だ!反ワクはトンデモだ!という価値観をメディアなどを通じ、押し付けられているのではないでしょうか。
これに対応するには、やはりデータをきちんと読み解くこと。モヤモヤ感や違和感を大事にして、自分で調べることが不可欠なのだろうと思った次第です。