本を読まない
本をたくさん積読している。
学生の頃は、ピークで年に100冊くらい活字の本を読んでいたと思うのだが、いまはせいぜい年に30冊くらいしか読めない。
学生のころに比べるとお金は持っているので、読みたいと思った本をつい買ってしまう。けど学生の頃にくらべると全く時間がないので本が読めない。
よって、読んでいない本がどんどんたまっていく。
仕事を始めてからは、仕事の参考になるだろうと思って技術系の参考書もたくさん買うようになり、いまでは本棚のかなりの割合を占めている。技術系の本は通読するというよりも、そのときに必要な個所を拾い読みしたり、調べものの時に開くという感じなので、そういう意味では技術系の本も大部分を読んでないともいえる。
だからわたしの本棚は、全体の4割くらいが「まだ読んでない本」で占められている。もしかしたら来年には「読んでいる本」よりも「読んでいない本」の割合が多くなるかもしれない。
わたしの地元はとても田舎だったので、ネットが普及する前の時代には娯楽と呼べるものがほとんどなかった。いまや想像しがたいかもしれないが、YoutubeもAmazonもない、スマホやサブスクなんてものは当然ない。
まち唯一の映画館はわたしが10歳の時につぶれた。小さな本屋が数軒と、BOOKOFF、しょぼい地元のレンタルビデオ屋しかなかった。
中学生になるころには、わたの楽しみと言えば、地元ローカルのレンタルビデオ屋で月に3回だけ開催される割引デーで名作映画を1本ずつ借りること、小さな書店を自転車でのぞいて見て回ること、BOOKOFFで面白そうな本がないか定点観測すること、地元の図書館に通うこと、深夜ラジオを聴くこと・・・それくらいだった。
友達はほとんどいなかったし勉強も全くしなかったし、部活も幽霊部員だったので、それを一人でほとんど毎日繰り返した。
当時はなんてつまらない毎日だと思っていたが、今思えば贅沢な時間だった。
やることがないから本を読む。いや、勉強とか部活とかやるべきことはそれなりにあったのかもしれないがそれもお構いなしに、少ない小遣いで本を買い、読み続けた。
子供の財力で集められる本の数では、親がわたしの部屋につくってくれた本棚はなかなか埋まらなかったが、それでも少しずつ自分が読んだ本が増えていくのが楽しみでもあった。
世の中のことをなにもを知らなかった子供のわたしにとって、本棚が埋まっていくことは、読書によって自分の経験が広がり、深まっていくこととほとんど同義だったように思う。
いまはその逆で、読んでいない本ばかりで本棚がどんどん埋め尽くされようとしている。
読もうという気持ちは強いのだが、物理的に不可能な状況が現実にある。
それは、子供のころに比べて、本の外にある世界のことを多く経験するようになったということでもある。
家族もある、友人もある、仕事もある、色々な娯楽がある。それはわたしが望んでいたことだ。
けれど、自分の中になんの深さや広がりも生まれていないのに、読みもしない本で本棚が埋まっていくのに、なにかとても大きな空虚を感じてしまう。
読まない本を集めるのをやめるべきか、しかし本を読もうとする意思すら捨ててしまったときに、自分がもっと大きな空虚に飲み込まれてしまうのではないか。
そう思うと、明日からも本を買うのをやめることができなくなる。
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