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「生きてることこそが価値だ」と思うようになった理由

「人は生きてることこそが価値だ」
それを人に伝えて達成してもらう(そう生きてもらう)
ということが私の今回の人生でやることです。
今私が提供しているサービスややってることは全部、この目的を達成するための手段です。
今日は何でそう思うようになったかのきっかけを書いてこうと思います。

高校生くらいの時に、祖父がなくなりました。
彼は入院していて、もうあまりもたなさそう、ということで家族全員で病室にいました。
ところがなぜか、私以外の全員がいなくなった瞬間がありました。
病室には私と祖父だけ。
そして祖父が息を引き取ったのはその時でした。
え!おじいちゃん!死んだけど!!!!!
ってびっくりw
みんなさっきまでおったのに!何で私1人の時!!
って思って。10代やったし軽めにパニックでした。

でもその時驚いたり悲しんだりしながらぼんやり思ったんです。
「あ、おじいちゃん亡くなったやん、ほなもう生命としての価値は無くなったんやな〜それ以外の別の価値はできるんやろけど」と。

そしてそう思った時、ほなやっぱり生きてることこそが価値なんやん、他はおまけやん、と感じたんです。
元々両親が生きてたらそれでええ、と過度の期待をせず育ててくれたことを無意識に感じながらのびのび育っていたので、生きてることが価値でそれ以外好きにしてええんちゃう?というのはうっすら思ってたんでしょうね。
それが祖父の死を間近で見て、表層に浮かび上がってきた感じ。
生命としての価値は生きることに付与されてる。
それを確信した出来事でした。

そして30代になって、実家の犬が亡くなる瞬間も私は1人で見守っていました。その時もつい1分前まで母が私と一緒にいました。でも亡くなる瞬間が私1人で。
またかい!!!
もうええわ!!!って。
でもまあ仕方ないよな…犬の意思やもんな…と泣きながら思いました。こちらも人類だけじゃなくてあらゆる生命は生きてることが価値なんやな、という信念をより強固にした出来事でした。

この2つの出来事は、「生きてることこそが価値」という私の信念を表層に表し、より強固にするものでした。
今ではおじいちゃんと犬、まじありがたいな!と思っています。

でもまあ1人で生命の息を引き取る瞬間見るん、ちょっとキツいからできたらもうやりたないな〜!!!!

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