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田通、彷徨う

稲垣純也さんの作品。私の心を表しているような雨に関する作品です。水滴で外が見えにくい。雨が止めば視界が広がるのだろうか。そう思いながら選びました。使わせていただきありがとうございます。

ところでなぜ私の心が雨模様なのか。それはとあるところに送ったエッセイ作品が酷評とともに戻ってきたからです。まぁいいことは書いてなかったです。ただ提出にも満足いかない状態で提出せざるを得なかったのでな得している部分はあります。でもでも心のモヤモヤは晴れません。

エッセイやノンフィクションをここ2年書いてきました。好評な作品もあればそうでない作品もありました。それはそれで現段階での私の実力であり、評価をいただけることに感謝しなければなりません。酷評はそれを自作に活かすことができれば意味があったものと思われます。でもそれを乗り越えようとする意欲が沸いてこないのです。

なぜだろうとここ数日考えていました。そして今日結論が出ました。私、エッセイやノンフィクションが苦手なんだ、と。どうしても現実に起こる事象を自分のフィルターで捉えることができない。決して意見がないわけではないのですが、他人の目を気にしすぎる傾向がある。だから迎合したような文章になり自分でも違和感が生じるものになってしまう。そう思いました。

だったら自分は何を書きたかったのだろう。それは小説だったのだ、と思い起こしました。ということはここらで小説にチャレンジすべきではないのか、と思ったわけです。でも酷評は悔しいし、見返してやらないと気が済まないのが私の性格。もうちょっと頑張ろうか、それとも。

目の前の荒天が好天に変わるのはいつの日か。本当に好転するのか。もう少し土砂降りの雨の中を彷徨ってみます。

何を言いたいんだかわからない文章になってしまいましたが、本日もお読みいただきありがとうございました。


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