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東京証券取引所で、幻となった「初代証券取引システム」の提案書・仕様書を見せていただいた 【歴史・情報処理・MARS】

先日、祖父の三回忌だった。

祖父が亡くなったあとに書きかけた文章がフォルダに残っていた。

祖父が関わったと思われる証券取引所のシステムについての文章だ。いつか誰かの参考になるかもしれない。世に出しておく。

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祖父が亡くなった。

隣接した家に住んでいたので、よく昔の話や仕事の話を聞かせてもらっていた。

コンピューター技師・研究者だった祖父の仕事のうちいくつかは、記録が残っている。

穂坂 衛は、日本の技師・学者。東京大学名誉教授。
【Wikipedia 穂坂衛】

その仕事一覧のなかに東京証券取引所のシステムについての記載があるのだけれども、他の仕事に比べて言及が少なく実際にどんな関わりがあったのか少し気になっていた。

ググってみると、東証が2016年の夏に「東京証券取引所 システム開発65年間の挑戦」という展示をやっており、そこで初期の証券取引所のシステムについての展示があったようだった。

そこで、展示されていたものをどこかで見ることができないか電話して聞いてみた。

自分:「夏にやっていらした展示で、まだ見られるものがあるかお尋ねしたいのですが・・。実は亡くなった祖父が少しかかわっておったようで、可能なら拝見したいのですが・・」
ご担当の方: 「穂坂先生のお孫さんでらっしゃいますか。いくつか残っている物もございますのでぜひいらしてください。」

ということで、ご担当の方にご快諾いただいたので、休みを利用してお伺いしてきた。

東京証券取引所、証券史料ホールでお話を聞く

当日は玄関をはいったところで、ご担当の方が待っててくださった。

お聞きしたところ、

「倉庫スペースを整理していたところ、いろいろと古いドキュメントが発見されまして、確認したところ証券取引所システムの初期の提案書など貴重な資料が含まれておりました。」

「これはシステムを作った日立にも残っていなかったようでしたので、歴史的に貴重なものとして展示会を開催させていただきました。」

とのことだった。

現在、内容を常設展示に一部引き継いでいるそうで、展示がされている証券史料ホールでいろいろとお話をお伺いすることができた。

下記はそこで展示されているパネル。上部から2-4行目に、国鉄でMARSに関わっていたチームが東証システムの初期にもかかわっていたという記載があり、「穂坂衛教授からも指導を受ける布陣」と書かれている。

MARS(マルス)は国鉄のオンライン座席予約システムで、世界最初期の大規模オンライン業務システムのひとつとして、情報技術界隈ではそれなりに知られている歴史的システムだそうだ。

国鉄(現・JR)の座席予約システムMARS-1(Magnetic- electronic Automatic Reservation System 1)は,1950年代後半に国鉄鉄道技術研究所(現・鉄道総合技術研究所)の穂坂衛らにより研究開発され,1958年に日立製作所に発注され製作された.1959年に東京駅の電算室に中央装置が設置され,これを用いて1960年より東京−大阪間の特急列車の座席予約業務が開始され,世界初の列車座席予約システムとなった.
【情報処理学会 情報処理技術遺産】

これを参考にした東京証券取引所のシステムは、大きく「売買システム」「相場報道システム」2つがあり、先に(1974年)相場報道システムが実用化され、その後、だいぶ遅れて(1982-90年)売買もシステム化されていったということは事前に予習していった。

うち、自分の祖父の穂坂がかかわったのは、以下のインタビューによれば1980年代までとのことだったので、主に相場報道システムなのだろうと考えていた。

・情報処理Vol52オーラルヒストリー 穂坂衛氏インタビュー (2011)


1962年に提案された初代「証券取引システム提案書」

まずはじめに見せていただいたのは、日立が東京証券取引所に提出した提案書で、証券取引システムの原形となる仕様書を含んでいるものだ。1962年のもの。

常設展示でも表紙が板でできたゴツいドキュメントがガラスケースの中に展示されているが、控えと思われる革表紙のものを直接みせていただくことができた。

秘密解除になっているドキュメントとのことで写真撮影の許可をいただいたので、中身を撮影させてもらった。

インターネット上で簡単に検索できるようにはなっていない記録だと思うので、やや冗長になるがメモを残しておこうと思う。


国鉄の座席予約システム「MARS」が証券取引システムの原型として想定されていた

1ページ目は前文になっている。

第二段落に、1959年に完成したMARSとその意義、その稼働率が3年間で99.97%であることが書かれており、国鉄の次世代機、全日空の類似システムなどを受注している実績がかかれている。

第三段落では、オンラインかつリアルタイム処理であるという点で、「座席予約業務」と「証券取引業務」が類似していることがかかれている。

2ページ目上段の概説。

業務電子化の範囲を、「注文」「気配の問い合わせ」「出来値の通報」の三つに大別すると記載があり、この時点では「売買システム」と「相場報道システム」が別々になっている気配はない

言及のある図1はこれだ。シンプルだが、処理の流れがわかる。

「取引所」が右に、「会員」が左に記載されており、会員である証券会社が遠隔で「注文」「気配の問い合わせ」「出来値(の通報受取)」の業務がこなせる想定であることがわかる。

原型となる国鉄MARSの座席予約業務では、各駅から空席照会、予約などの業務ができたであろうことを考えると、確かに類似している。


想定されていた注文の流れ、売買契約の成立条件、など

2ページ目下部。注文の流れと処理の手順が書かれている。

エージェントセット(AGT)とは、入力端末のことのようだ。

ここでは「注文」の処理について、端末機と計算機の役割分担、処理の流れ、検査項目、完了条件などの記載がある。

検査項目は下記となっており、これに合格すると注文が受け付けられて注文番号が発行され、会員に返送されると書かれている。

1、会員コード、銘柄コードが実在するか
2、指値が値幅制限内にあるか

株式売買処理がオンラインで完結することを想定した仕様だ。

言及されている図2は下記。

御担当の方が、「絵自体はプロッターという図を描くのが専門の女性が書いたそうですが、この概念図は実際に穂坂先生が監修して書かれたそうです。」と教えてくださった。

3ページ目では、「売買契約成立」「気配の問合せ」処理について記載されている。

特定銘柄、一般銘柄ごとの処理の違い、ザラバでの処理などが記載されている。

売買契約が成立すると、該当の証券会社端末に出来値を通知して、処理が完了する。


「システム化すべき現場の業務を観察することから出発する」というMARSとの共通項

余談。

3ページには、「現在の組織に例えますと・・」と書き出された、システムの構成要素を「場電」「才取り」などシステム化前に人間が行っていた業務の用語に例えた一文がある。

これを見て、前述の穂坂へのインタビューを思い出した。

「才取り」「場立ち」などの単語は、東証システム化の依頼を受けた際に「兜町の取引の場に通い、勉強を開始しました」という文脈で触れられている。現場の業務をかなり詳しく観察していることがうかがえる。

穂坂は、MARSの設計を考えていたころにも同様に現場の観察をしていたようで、「プロジェクトX~挑戦者たち~」でMARSが取り上げられた際にも、「穂坂は駅に通い詰めた。(業務を)観察するうちに・・・」システム化するポイントに気がついたという記載がある。

本稿で紹介している提案書本文に穂坂がどこまでかかわっていたのかは不明だが、「現場の観察」という共通する価値観が表現されているようで、つい親近感を覚えた。

現在でも基本となる手法だよね。


計算機の「木造ミニチュア模型」を持ち込んでのプレゼンテーション

話を提案書に戻すと、4ページ目はシステム構成になっており、提案書本文はここまでで終わりだ。

これが「あくまで提案書であって設計でも詳細仕様でもない」のはわかっているが、それでも対象となる業務の大きさや重大さと比べるとずいぶん簡潔なものであることに驚いた

この後に、参考資料として前述のシステム構成図などが付記されていた。

写真を撮りそびれたが、図に出てくる計算機のミニチュア模型を実際に穂坂が持ち込んで説明したそうで、木造の手のひら大の計算機模型が残されており、それも見せてくださった。

Wikipediaによれば、パーソナルコンピューターという概念が普及しはじめ、個人でも「コンピューター」がイメージできるようになるのは1970年代中頃以降で、ジョブスが最初に作ったApple1が1976年だ。

1970年代中ごろに普及し始めた8ビットマイクロプロセッサを用いて、ごく限定された機能・性能ながら個人の計算やデータ処理を行うことができ、価格的にも手が届くコンピュータが作られるようになった。
【パーソナルコンピュータ史 - Wikipedia】

IBMがメインフレームのSystem/360を発売し、商用初のオペレーティングシステムが生まれたのが1964年だそうだ。

この提案がなされた1962年は、それよりもさらに遡る。遠隔地での情報処理をイメージさせるのは相当難しかったのではないかと思う。

提案時にミニチュア模型が必要だったのは、少しでも具体的にイメージしてもらうためだろう。

提案書本文が極めて簡潔なのも、おそらく「なしうること」の全体像をまずはイメージしてもらうためではなかろうか。

今回の訪問の目的は、祖父である穂坂がどのようにこのシステムに関わったかを知りたいという極めて個人的な興味に基づくものだったので、実際に祖父がかかわった文書・図を見ることができて、この時点で目的が果たされた思いだった。

ただ、もう少し興味深い事実を知ることもできたので、もう少し書いてみようと思う。


なぜ初代証券取引システムが幻となったのか? その鍵となる「秘密テスト」とは何だったのか?

本稿の冒頭に書いた通り、穂坂の仕事一覧では相場報道システムの記載はあるが、取引そのもののシステム化についての言及はない。

インタビューの中でも「完全なシステム化は困難と思われるため、まずは価格形成の明確化に努めるよう進言した。」として、相場報道システムへのかかわりを示唆している程度だ。

遺品として残されていた当人の講演原稿や日誌などを読んでみても、そのあたりはよくわからなかった。

しかし、東京証券取引所が発見した1962年提案では「売買システム」と「相場報道システム」には別れておらず、最初から「売買契約の成立」を目的とした提案になっていた。

いつ、どこで、なぜ「売買」がシステム化の範囲から外れたのか。

その答えが、まさに展示されていた。

紙の資料が展示されており、その右側のパネルには「売買システムの秘密テスト」と赤字で見出しがついている。

解説文を引用するとこのように書かれている。

1964(昭和38)年に行われた売買システムの開発記録。売買システムを導入すると仕事を失うという心配が実栄証券を中心に広がったため、秘密裡にテストが行われた。テストの結果、1964年の段階で売買自動化は可能と判明したが、労働争議を懸念して結果の公表は差し控えられた。
【東京証券取引所 - 展示「売買システムの秘密テスト」】

「幻となった初代証券取引システム」が1962年の提案書通りに実現しなかった理由(の少なくとも一部)は、労働運動だったのだ。

そのため上記のテスト記録自体も機密扱いされ、シリアルナンバー入りで管理されていたそうだ(「そのわりに会社には資料は残っておらず、なぜかXXXXに残っていたのが発見されたんです」とご担当者は苦笑してらした)。

展示によれば、その後「売買」業務の電子化は、1982年にようやく部分的に実現し、東証一部銘柄まで全て電子化されたのは1999年(!!)のことになる。これは、穂坂らが最初に提案した1962年から数えて37年後になる。

どうも穂坂のインタビューや日記で証券取引所のシステムについての話が煮え切らないのは、諸々の理由で本来期待したことが実現しなかったことに苦い思いがあった(そのため率先しては語らなかった)という事情もあったのではないかと思う。


証券取引システムと、座席予約システムMARSのもうひとつの類似点

もうひとつ、おもしろい話をお聞きすることができた。

ご担当の方曰く、「証券取引所の初期のシステムは、ほとんどMARSなんです」とおっしゃっていた。

実際に、MARSと証券取引システムで同型のコンピューターが使われたそうだが、具体的な例として、制御キーのサンプルを見せていただいた。

この右側の小さい面に銘柄名が記載されており、このキーを端末に挿入することで簡単に売買の情報を送れるようになっていたらしい。

MARSについて、コンピューター博物館のサイトに下記の記載がある。

当時は発券業務を担当する窓口の係員がキーボード入力になじみがなかったことや,座席指定券や乗車券の印刷に使用できる漢字印刷機がなかったことから,窓口装置には工夫がこらされた.扁平な木片の先端に駅名や列車名の活字,側面に機械で読み取るためのコードをつけ,その木片を装置に差し込むことによって,データ入力と券面の印刷ができるようになっていた.
【コンピュータ博物館 日本のコンピュータ > メインフレーム > MARS 101および後継機】

この木片を使った仕組みそのまま証券取引システムにも転用されたのだそうだ。駅名であった箇所を、そのまま銘柄名に変えて。

キーボードもパソコンもない時代に「ひとつの木片の先端と側面を使い分けて、簡便なデータ入力漢字印刷同時に可能にする」というのは、これだけでもなかなかのアイディアだと思う。


さいごに

祖父は、「ベジェ曲線のベジェさんに『あなたの式をこのように1行にまとめてみました』と手紙書いたらフランスに招待されて、当時の最新技術だった自由曲線をベジェ式にコンピュータ出力したプリントを土産にもらった」とか、いろいろと面白エピソードを持っていた。

「昔のコンピューターはマシン語だったから書くの大変だった」とか、「戦時中に鉄が足りないから木製飛行機の設計をさせられて、同乗試験させられるから必死だった」とか、「スマホアプリ作ってみたいけれど、字が小さくて老眼には辛い。どうにかならないか」とか、そんな話をよく聞きにいっていた。

そんな、たくさんの面白エピソードも、死んでしまえば二度とその口から聞くことはできない。

昔の人らしく几帳面に日誌や手紙がたくさん遺されていたが、個人的な記録が主であり、誰かにとって価値のある状態にすることは難しそうだった。

戦中戦後の時代に苦闘したひとりの技師の記録として、いくらか世の中に関わりのありそうな部分だけでも、インターネットの片隅に残しておきたい。そう思って本稿を書いた。

祖父の葬儀に力を尽くしてくださったみなさま、証券取引所でいろいろと御説明してくださった高橋様、改めて御礼を申し上げます。

爺さんよ、好奇心旺盛なあんたなら、あの世のあれこれもきっと楽しんでるだろ? 下界の俺ら家族のこともどこかで見守っていておくれ。じゃあね。

#歴史 #コンピューター #MARS #東京証券取引所

「SnapDish料理カメラ」というサービスを運営しながら書いています。