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現在のウクライナ紛争の戦況報道について考えること。戦略的に敵を軽視して戦術的に敵を重視する。

現在のウクライナ情勢では、双方の陣営に加え、アメリカなどの欧米も加わり大プロパガンダ合戦が繰り広げられていて、何が本当の事か全くわからない状況である。

むろん私は、プーチン大統領及びロシア人の内在共和国であるウクライナに対してのNATOの策動とその懸念に対しては深く同情するものであるが、それは今回の2共和国の範囲を超えたロシアのウクライナへの攻撃に対して同意するものではない。

現在のウクライナ情勢で顕著なのは、ロシア軍が正規軍と戦った経験がなく、ロシア軍は士気が低く、ウクライナ軍は祖国防衛戦争であり士気も高くロシア軍を圧倒しているという意見である。

これは日本の特にミリタリー界隈で広く流布している。

曰くロシアは正規軍とまともに戦ったことがない軍隊である。

曰くロシア空軍は大規模な作戦攻撃の能力のない空軍である。

曰くキエフ近郊でロシア軍は大規模包囲されておりそれは自作の捕虜収容所である。

このような意見によりロシアは早晩ウクライナ及び2共和国内から叩きだされ、ウクライナは勝利するという物である。

しかしこれはあまりにも観念的すぎる意見であると考える。

むろん将来的にロシアが敗北する事、これは間違いのない事である。

1946年8月6日、毛沢東はアメリカ人記者、アンナ・ルイス・ストラーンさんとの会見で、「すべての反動派はハリコの虎である。反動派は見たところ恐ろしいが、実際には大した力はない。長い目で見れば、本当に強大な力をもっているのは、反動派ではなく人民である」と述べた。この言葉は、解放戦争期間中、革命軍および革命的人民が強大な装備を有する敵と戦う際、士気を鼓舞するのに大きな役割を果たした。また、帝国主義の本質を「見掛け倒し」だとしたレーニンの発言をさらに発展させたものであるともいえる。1958年12月1日、毛沢東は中国共産党第8期中央委員会第6回全体会議の期間中、「帝国主義とすべての反動派はハリコの虎かどうかという問題について」と題する文章を発表し、「本質的、また長期的、戦略的に見て、帝国主義とすべての反動は、ハリコの虎であると判断せざるを得ない。このことを支点としてわれわれは戦略的思想を建設する」と述べた。

しかし、毛沢東主席はこうもわれわれに教えている、

「一切の反動的な立ち遅れた、老い朽ちた階級は人民の決死の闘争に直面した時もやはりこうした二面性を表す。

一方では、彼らは本物の虎であって人を食う。なん百万人、何千万人の人を食う。人民の戦いの事業が苦難の時代に置かれ多くの曲がりくねった道が現れた。中国人民は帝国主義、封建主義、官僚資本主義の中国における支配を覆すために百余年の月日を費やし、何千万人もの人命を失ってやっと1949年の勝利を勝ち取った。見たまえ、これは生きた虎、鉄の虎、本物の虎ではないか。

だが彼らはついにハリコの虎、死んだ虎豆腐の虎に転化してしまった。これは歴史の事実である。まさかこうしたものを見たり聞いたりした音がないとは言えまい。本当に、何千何万、何千何万という事実があるのである。だから本質的にものを見、長い目でものを見、戦略的にものを見るときには、

ありのままに帝国主義と一切の反動派をハリコの虎と見なければならない。我々の戦略思想はこの観点上に打ち立てられる。他方では彼らはまた生きた鉄の本物の虎で人を食う。我々の一般戦術思想と軍事戦術思想はこの観点の上に打ち立てられる。

という事である。ロシアという反動派は、レーニン・スターリンというマルクスレーニン主義の正道を離れ、修正主義に転化して、中国や朝鮮・キューバ・ベトナム・アルバニアなど全世界の心ある、本心からソ連を擁護する勢力の声に耳を貸さずに、とうとう1991年12月25日に崩壊し、1993年には完全にアメリカに国を売り渡してしまった。

現在のプーチンはその反動によって、アメリカ・ヨーロッパの支配に少しだけ抵抗する最後の輝きであって、やはり最終的にレーニン・スターリンの正道を離れたものは必ず打倒されるし、ロシアは最終的にアメリカの領土になるに違いない。

ただしそれがすぐに行われることはなく、ましてやこのウクライナの紛争でロシアにおけるプーチン政権が倒れるという事も無いと考える。

毛沢東は1948年1月18日、中国共産党中央のため起草した決議草案「当面の党の政策における幾つかの重要問題に関して」において、「われわれが全体的かつ戦略的に、敵を軽視すべきだと正確に指導したとしても、むしろ局部的に、それぞれの具体的問題においては、決して敵を軽視することはできない」と指摘。こうした論述は後に、「戦略的には敵を軽視するが、戦術的には敵を重視する」というスローガンに概括され、毛沢東の戦略と策略思想が集中的に表現するフレーズとなった。

このように、戦略的にみればロシアは必ず打倒されるが、しかし現在の戦術的にそれを軽視することに私は反対する、ロシアは戦術的にはハリコの熊ではなく、本物の熊、人を食べる熊なのである。

もし、ロシア軍が弱くて歩いて国境に逃げ帰っているならば、どうしてすべての前面においてウクライナ軍の後退が起こっているのか、どうして民兵に対して督戦が行われているのか、これらはまだすべての面でロシア軍を戦術的に軽視すべきでないことを示している。

航空軍の問題にしても、91年以降いくら西側に寄っていたと言っても、ロシア軍がアメリカ式の航空軍であったであろうか、かつての地上戦で戦術的な攻撃以上の戦略盤面において航空軍がどの程度重視されていたのか、この点を考えなければ作戦能力のないはずのロシア航空軍に、しかしウクライナ軍が被害を受けているという事を無視してしまうだろう。

キエフ方面での包囲に関しても同様である。1941年有名なブジョーンヌイ将軍に率いられた軍隊がキエフで包囲された時は今日の包囲よりもはるかに厳しい戦いを強いられていた、しかしこの包囲でも英雄的にロシア人が抵抗したではないか、ましてや今回のように「侵略者」なことが明らかな場合にはクールラント軍集団のように抵抗するのではないか、またこれに対しての補給の妨害を、本当に彼らが機動を行う力が消滅するまで維持できるのであろうか、

こういった側面から見た場合、我々はこの英雄的なプロパガンダに対して敬意を持つのはよいが観念ではなく現実を見ないといけない。でなくばこの幻想はたやすくキエフの幽霊や全滅の13人のような架空の英雄に転化し、現実の判断を誤ることになるであろう。

毛主席が我々に教えているように

具体的な問題、個々の敵の問題で、もしも我々がそれを重視しないなら、我々は冒険主義の誤りを犯すことになる。戦いはひといくさ、ひといくさ戦うほかはなく、敵は一部分一部分消滅していくほかはない。工場は一つ一つ立てていくほかはなく、農民が田んぼを耕すときには一枚一枚耕すほかはない。飯を食うにしてもそのとおりである。我々はこの飯を平らげることができると戦略の上では飯を蔑視する。だが具体的に食うとなると、やはり1口1口食うのであって、誰も宴会の料理を一口に吞み下すことはできない。これを名付けてここに解決するを言い、軍事書籍では各個撃破というのである。

という事を忘れてはならないのである。

古代の寓話集『列子・湯問』には「愚公、山を移す」という物語がおさめられている。愚公が、齢90歳にして、通行に不便な山を他に移そうと思い、人の批判にも耳を貸さず、箕で土を運び始めたので、天帝が感心してこの山を他へ移した、という内容。

毛沢東は中国共産党第7期全国代表大会の閉幕の挨拶で、この寓話を引用し、「現在われわれ中国人民の目の前にも、帝国主義と封建主義という2つの大きな山がそびえ立っている。中国共産党はこの2つの山を動かす決心をした。固い決意で、作業を続けなければならない。われわれも天帝を感動させることができる。天帝というのは、すなわち中国人民のことだ」と述べた。

このように今ヨーロッパの目の前にあるのは帝国主義とともに遅れたロシア人民であり、アメリカやそれに率いられたヨーロッパや西側人民がロシアを植民地・半ば植民地国にするというかねてからの願い、1993年には一部実現した願いを実現するためには、粘り強く、ウクライナという武器、バルト三国という武器、グルジアという武器、フィンランドやその他中央アジア諸国という元ロシアの国内を使用して2つのロシアの巨大な山を切り崩していくしかないのである。

これが文明化、ヨーロッパ化という物であり、正しい西側の道理である。

毛主席が我々にこう教えている。

「石を持ち上げて自分自身の足を打つ」。これは中国人が一部の愚か者の行為をたとえて言ったことわざである。各国の反動派もこうした愚か者に他ならない。彼らが革命的人民に加えている様々な迫害は、とどのつまり人民の一層広範な、一層激しい革命を促すだけである。ツアーと蒋介石が革命的な人民に加えた様々な迫害が偉大なロシア革命と偉大な中国の革命に対してそうした促進作用を果たしたのではなかったであろうか。

この理屈は、反動革命、反革命勢力の革命にも転化されうる、現在のウクライナ上で行われている帝国主義戦争もこれと同じである。

この戦争は、ウクライナ民族のより広範囲な民族意識、多様なネイションの純化につながる反動民族革命の大きな原動力になる。これは我々西側陣営が望むことであるし、煽っていることでもある。

この戦争は、ウクライナの主権の問題という人がいる、ウクライナの主権を守り、それを犯すロシアを追い出すことが今回の支援の目的であるとする。とんでもない人の良い考えであり、少なくともそれは全くばかばかしい考えである。

今回の紛争は、完全に2つの帝国主義の戦いであり、そのどちらの勢力も、特に西側はロシア以上にウクライナの主権など気にしてはいない。

私はかねてから、もし西側の国家群がロシアの国内から本当にウクライナを引きはがし、そしてロシアから防衛するのならば、真正にウクライナの主権を尊重するのならばなぜこの紛争の前に1812年や1941年のようにモスクワをめざさないのかという事を言ってきた。

もし本当にウクライナの主権を尊重するのであれば、また、今のようにアメリカのロシアがウクライナを「侵略」するという情報が正しいかったと威張っているのならば、なおさらなぜアメリカ軍はドニエプル川の前面にいないのか、いまモスクワをめざして「文明国の」1812年のフランスや1941年のドイツが行ったように、1917年から数年間「連合国」が行ったように東西でロシアから世界を防衛するために出兵したように(この時はチェコスロバキアの主権を守るために軍を出したではないか!)しないのかという事である。

この理由は簡単で、ウクライナなどその他の周辺国は結局として便利なコマであり、経済と軍備で釣り、気に入らなければポーランドやハンガリーのように「民主」ではないと内政干渉され叩かれる、まったく「西側」からも主権の尊重されない、もしくは制限される国家群でしかないという事である。

今からでも遅くはない、本当にウクライナの主権を尊重するのが西側ならば今すぐ正義の十字軍がモスクワを突くべきなのである。

過去の失敗や誤りを戒めとして、欠点を直して立派な人間に治療する」――これは、1942年中国共産党の延での整風運動をはじめるにあたって、主観主義、宗派主義、党八股(党内における形式主義・教条主義的な紋切り型の文体や活動方法)に反対するために取った2つの宗旨であり、党内闘争における重要かつ正確な政策であると位置づけられた。毛沢東はこの方針を発表する際、「これまでの誤りを暴露し、情に左右されず、科学的態度をもって、これまでの腐敗を分析・批判することによってこそ、今後の活動を慎重かつ正しいものとすることができる」と述べ、これは「過去の失敗や誤りを戒めとして、欠点を直して立派な人間を治療する」という意味であると強調した。また「われわれが誤りを暴露し、欠点を批判することは、医者が病気を治療するのと同様、人を救うためであり、殺すためではない」と語った。これにより、「残酷な迫害、無情な攻撃」という左翼日和見主義の誤った方針に終止符が打たれ、正常な状況下での党内闘争という正しい路線が打ち出された。

アメリカは1993年左右、ロシアを支配していた。プーチン大統領がKGBの士官学校で大統領の地位を手に入れたというのだろうか?それは全くの誤りである、あの1993年から2000年代初期まで、ソ連を防衛しようとする勢力、修正主義ではあっても全世界の労働人民が必要としていたソ連を残そうとしていた人民を排除しアメリカ好みに改造していた。

アメリカがロシア国内での治安戦、ロシアをアメリカ式に改造して、ロシアを食い物にするときに邪魔者を排除したのはエリツィン一党であった。

西側が欲した時、それを提供したのが彼らだったのだ。

つまりプーチンと西側の対立とは、中南米や東南アジア、その他の発展途上国で飽きるほど繰り返された都合のいい政権が独立しそうになるとそれを嫌い、付け替えようとしたり、反民主主義などのレッテルを持ってつぶそうとするものに過ぎない。帝政ロシア時代もそうであったし、ソ連時代の一時期のみロシアは自己の命運を自己で決めれたのである。そしてその栄光から一転、苦難の道、約100年前へ転落し、ようやく這い上がった結果が今回のウクライナ紛争なのである。

しかし時勢を失した今回の紛争で、もはやロシアが大勝利を収める可能性はかけらもなくなった、それどころか現在、長期的に見て白ロシアすらも失おうとしている。プーチンのロシアは、ソ連以降復活した民族主義政権のかすかな輝きでありそしてこれからまた復活するまでの数十年の苦難の時代、ロシアが再び自分の運命を自分で決めれるようになるまでの最後の輝きなのである。

もっとも長期的に見て、ロシアはこれより先また復活する可能性がある、短期的に見てウクライナは敗北する可能性がある、そして長期的に見てロシアは再びアメリカとヨーロッパの軍門に下るであろう。これが「戦略的には敵を軽視するが、戦術的には敵を重視する」という観念を排した唯物主義の正しいものの見方である。



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