星空

創作前夜

本を読む事を覚えた、と前回の記事で偉そうに書いてみたものの、よくよく思い出してみれば月に一冊とか二冊とか、その程度のペースである。

聞く話によると、作家志望の人は書いていない時期に年間200~300冊ペースで本を読むという。

好きなウェブコンテンツに作家の読書道、というものがあるけど、絲山秋子さんなんて時期によっては年間500冊を越えていたらしい。ゴイスー(すごい)

澁澤龍彦氏も、「何冊読んだかを自慢するなんて馬鹿馬鹿しい、大事なのは量より質である」みたいな事を言った後に、「まぁ、私は蔵書が一万冊くらいありますけどね」みたいなプチ自慢をしていた気がする。

とにかく、ある程度の量を吸収する時期は必要なようです。(反省しています)。

つまり書き始めるまでには長い女装期間…、助走期間が必要であり、その時にどのようなインプットをしてきたかが重要だ、といったような話をこれからしたいわけですが、本をあまり読まなかった代わりに私は何をしていたかというと、映画を観まくっていました。

私が一人暮らしをしていた学生街は、畑と民家がフィフィティーフィフティーくらいの片田舎であまり遊べる場所もなく、ドンキホーテでお酒を買って友達と宅飲みするとか、近所のビデオショップで話題作を借りて家で観るというのが学生達のお金のない時の主な時間の潰し方だったのだが(まだアマゾンプライムもネットフリックスもなかった)、基本的に私はいつも後者を選んでいた。

例えばヴィムヴェンダースの「ベルリン天使の詩」「ゴールキーパーの不安」、アキカウリスマキの「過去のない男」「ラヴィドポエーム」、ヤンシュヴァンクマイエルの「オテサーネク」、テオアンゲロプロスの「永遠と一日」「霧の中の風景」、アクタンアブディカリコフの「あの娘と自転車に乗って」、クシシュトフキシェロフスキの「トリコロール青の愛」「殺人に関する短いフィルム」、タルベーラの「ヴェルクマイスターハーモニー」、ジャジャンクーの「一瞬の夢」「青の稲妻」、ミケランジャロアントニオーニの「赤い砂漠」、シェーンメドウズの「this is England」、マチューカソヴィッツの「憎しみ」、スパイクリーの「ドゥザライトシング」、ヤンイクチュンの「息もできない」、ノヨンソクの「昼間から呑む」パクジョンボムの「ムサン日記」、ジャックオーディアールの「預言者」、パオロフランキの「見つめる女」、ヴィンセントギャロ、ミヒャエルハネケ、ジャックリヴェットの北の橋、スウェーディッシュラブストーリー、四ヶ月と三週と二日、ダルデンヌ兄弟、クエイブラザーズ……影響を受けた作品は?と聞かれて全部答えていたら枚挙に暇がない(聞かれることはあまりないけど)。
何より今、読んでくれている人を全力で置き去りにしている感じが否めない。

とにかく、こういう、人生の凪みたいな時期に出会う作品がのちのち大きい影響を与えてくれるケースは多いと思うのだが、私にとってその中でも一番衝撃だったのはジム・ジャームッシュの作品との出会いだった。

ある時、「パーマネントバケーション」という作品を借りてきて家で一人で観る事にしたわけだが、DVDをパソコンに入れて、再生ボタンをクリックして、買ってきた酎ハイのプルタブをぷしゅっと開けたまま、映画が終わるまで一口も飲めなかった。

なんというか、一瞬のうちに引き込まれてしまって、映画の中にすっかり迷い込んだみたいな気分になってしまった。

どんな感じかというと、その風景になんだか見覚えがあるけどどうしてもよくわからない、自分と結びつきがあるはずなんだけど定かじゃない。そこで交わされる言葉一つ一つに、どこかで忘れてきてしまった秘密の合言葉が潜んでいる。

そんな感じだった。

普通、どんなものであれ、人に何かを伝えるためには、相手にわかるように言葉を変え、覚えてもらうように話をまとめて編集し、要所要所で飽きさせないための工夫を散りばめ、そういう、自分の中にあるものを加工して分かりやすく相手の脳に入れる努力が絶対必要だとおもっていたのが、かの作品はそういうものを一切無視しているように思えた。

「無難で退屈な生活をするなら傷ついてでも冒険するべきだ」

「理性じゃなくて感性で生きろ」

「自分が心底欲しているものっていうのは、結局自分にしか作れない」

そういうスタンスと才能の両方を生まれた持った稀有な人間が、自分の中の渦巻くイマジネーション、それを最高潮のタイミングで、全力で作品の中に叩きつけて、世の中への挑戦状にする。そんな眩しい世界がそこにあった。

すごいと思った。最高にカッコよかった。

そして、何よりすごいのは、それを受け止めてくれる人がめぐりめぐって世界のどこかに現れるという奇跡。

(※解説させていただくと、あの作品はジムジャームッシュの映画学校の卒業制作として当時映画館での上映を打診されたもので、その時の配給会社のお偉いさんに、「今まで観てきた中でも最低最悪の作品、なんでこんな物を俺に見せたんだ!」と酷評されて一回お蔵入りになったわけですが、数年後にめぐりめぐってヨーロッパでカルト的な人気を博したという逸話があるのです、ごにょごにょ…)

すごい!本当にすごい!こういう事を自分もやってみたい!
そう思って、興奮しながらしばらく部屋の中をうろうろしたのをよく覚えている。

ちなみにこの時考えたのは、自分も映画を撮りたい、ではなく、これを文章の世界で表現したらどういう風になるだろう、だった。

なぜかというと、当時はmixiでのやり取りがまだかろうじて生きていて、私はかのSNSにドハマリしている真っ最中だった。

読むのは苦手だったけど、どういうわけか書くのは好きな自分がいた。

始めた頃、しばらくはライターズハイみたいな状態になって、夢中で毎日毎日くだらない事をなんでもかんでも書きまくっていた。あと他にも同姓同名の人からメッセージがきて軽い気持ちであってみたら、「実はバイセクシャルなので同姓もいけるんです」と迫られて脱兎の如く逃げ出した体験を持っている。

既にアカウントを消して久しい今となっては残念に思うのだが、エッセイとして今でも使えそうなものは結構多かった気がするし、何より、十代後半とかの感性で書いたものは、今はもう書けない。

ちなみに始めて小説らしきものを書こうと思って書いてみたのは大学四年の時で、それも計画していた卒業旅行がちょっとした理由で駄目になって、就職までの一ヶ月くらいの時間に何もすることがなく暇だったので、ふいに思い立って、今までmixiで書いた、特に友達の反応やコメントが多かったものをパッチワークみたいに繋いだり削ったりしてこしらえた荒唐無稽なものだった。(これがのちのち死ぬほど改稿された上でヒグマのチキンカレーになります)

友達や先輩に試しに見せたら、皆思ったよりも褒めてくれて嬉しかったが、私はもうそれで完全に満足していて、次の月に社会人になるころには、小説を書く事なんてすっかり忘れてしまっていた。

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