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【無料公開】 『自分を探すな 世界を見よう 父が息子に伝えたい骨太な人生の歩き方』~はじめに

 アメリカ・ネバダ州。文字通り何もない、誰もいない砂漠の荒野。私は路肩に車 を停めて息子を待っていた。砂漠の中の、永遠に続いているようにさえ見える一本道を、はるか遠くのほうから息子が歩いてきた。その姿が、針で突いた点のよ うな小さな影から、徐々に大きくなり形を帯びていく光景を、私はじっと見つめ ていた。時間にしてほんの5分足らずだっただろうか。

 しかしその5分は、私に、息子と過ごしたこれまでの13年間を思い起こさせるには十分な時間だった。ここ最近、急に背が伸びてきた息子は、もうあと何年かで私の背を抜くことだろう。 

「この後、私が立つ場所を通り過ぎて、彼の道を歩んでいってほしい」
 灼熱の太陽の下、ふとそんなことを思った。

 2022年夏。 46歳の私は、 13歳の長男と7歳の次男を連れて、旅に出た。男 3人で3週間かけて、アメリカ中をキャンピングカーで巡った。あの旅は、私にとって本当に最高の旅だった。クルマを走らせながら、「ああ、俺はこういう旅 をしたかったんだ 」と心の底から思える、死ぬまで忘れないような、魂が震え る瞬間が何度もあった。魔法のような3週間だった。 

 そしてあの旅は、息子たち二人と行ったことに、とても大きな意味があったと父である私は感じた。 13歳というタイミングは、昔で言えば元服をして大人の仲間入りを果たす年齢だ。初陣を迎え、成人男子としての強さを示すことが期待さ れだす時期に差し掛かっている。そして7歳と言えば「男女7歳にして席を同じくせず」という言葉もあり、幼児から一人前の男子候補である少年へという準備 を始める年齢だ。男たるもの、なんていう表現は今の時代にはそぐわないかもし れないが、「パパと息子」という関係から、「男と男」の関係に変わった3週間だったように思う。

愛とは、お互いを見つめ合うことではなく、 ともに同じ方向を見つめることである

(サン=テグジュペリ )

この言葉は、まだ飛行機に乗ること自体が危険な冒険だった時代に、郵便輸送のために、ヨーロッパと南米の間の航路開拓に命を賭けたパイロット、サン=テグジュペリの名言だ。小説『星の王子さま』の作者と言ったほうが、分かりやすいかもしれない。3週間の旅の間、私の頭の中には何度も彼のこの言葉が浮かんできた。

  22日間、7000kmに渡る長い長いドライブの間、スマートフォンにもさすがに飽きてしまった息子たちは、代わる代わる助手席にやってきた。旅の一行で唯一の運転手であった私は、終始前を向いて運転しているので、もちろん横にいる息子たちに目を向けることはできない。車のフロントガラスには刻一刻と移り変わっていくアメリカの大自然が映し出される中、私と息子たちは、自然と横に並び、同じ方向を向き、同じものを眺めながら、いろんな話をした。なにしろ、時間はたっぷりあった。

 男同士が向き合って話し対峙するのは、敵か、もしくは敵とも味方ともまだ分からない交渉相手だけでいい。これは小学生男子だって同じだ。対等な男同士は、 向き合って話さない。大事なことは、並んで話すものだ。そして、対等な男同士 の最高の意思疎通に、それほど多くの言葉は要らない。 
 男3人、3週間のアメリカキャンピング旅に。私が現地での出来事をネットで 発信しながら、旅したこともあり、この旅には大変な反響があった。「男のロマ ンだ」「父親だからこそ」「最高の教育」そんな言葉が目立ち、息子の友人のお母さんから、「うちの旦那にも見習わせてくださいよ~」と冗談まじりで言われた こともあった。 
 
 ただ、一つハッキリさせておきたいことがある。あの旅は、息子たちのために行ったわけではない、ということだ。むしろ私自身のために行った旅であり、息子たちを連れて行ってあげたのではなく、付いてきてもらったというほうが正しい。子どもに良い経験をさせてあげたいと心底考えている親は少なくないが、私の場合は、自分が3週間も気ままな旅をするためのアリバイ作りの面があったことをここに白状しておこう。

 少しだけ、私のこれまでの人生を振り返ってみたい。私の青春は、インター ネットの中にあった。高校時代にはじめてパソコン(Macintosh Color Classic) を買ってもらい、それからはパソコンとインターネットの世界に夢中だった。深夜であれば安くネットに接続できるという理由で、毎晩 11時から朝の8時まで、 向こうの世界にどっぷりだった。そんな生活をしているので、勉学はおろか、リアルの世界との繫がりはどんどん疎かになっていった。結局、大学を一年留年し て就職をしたのだけれど、ほとんど外の世界のことを知る機会のないまま大人に なってしまった。社会人になってからは、出張で日本全国や海外、色々なところに行かせてもらったが、仕事で行く旅は、当たり前だが仕事に集中しなければいけない。外の風景を楽しんだり、ちょっと気になる店を見つけて入ってみたりなんて旅を楽しむ余裕はほとんどなかった

 そんな私にとって、息子たちとキャンピングカーでアメリカを巡ったあの旅は、もう一つの青春を取り戻すような意味のある旅でもあったのだ。知らない土地を旅しながら、これまで見聞きしてきた知識が、生の経験と繫がり、一つ一つ の「点」が線となり、夜空に星座を描くように、そこに生きる人たちの生活のリア リティを頭の中に描き出されていった。 

 3週間の旅の中で、私は息子たちの成長を実感せずにはいられなかった。特に印象的だったのは、冒頭に書いたネバダの砂漠の場面だ。何もない荒野の中、映 画撮影ごっこをやろうぜ!、と助手席の長男と盛り上がり、彼は砂漠の荒野を走 り去るキャンピングカーを撮影するために、クルマを降りてカメラマン役をやっ てくれた。撮影を終えた長男が、はるか遠くから一本道を歩いてくる姿を見ながら、(あぁ、コイツはもうすぐ、俺の前を通り過ぎ、自分の道を歩いていくのだな) と深く心に感じた瞬間だった 。

 言い換えれば、「父親」としての役目について、終わりの始まりを悟ったので ある 

 これまでも、これからも、彼の人生は他の誰でもない、彼のものだ。しかしこれまでは、目をかけ、困っている姿を見つければ親としてと手を貸してあげていたような場面でも、これからは彼自身が乗り越えていかなければいけない。ここから先は、彼だけの道なのだ。たとえ家族であっても、息子の道を代わりに決めてあげることはできないし、代わりに歩いてあげることもできない。彼が選んだ道に干渉することも私はしない。どんな道を選ぼうが、必ず応援しようと言うほど、お人よしではない。ただし、干渉したり、邪魔したりすることだけはないことは約束しよう。
 
 これが父から息子への余計なお節介にならないとは確信が持てないが、自分の父親としての役割が、折り返し地点を迎えた中間報告のようなものとして、私がこれまで生きてきた中で学んだこと、気づいたこと、大切にしてきたことを、 息子たちのために残しておきたいと思った。これから先の長い人生、必ず辛い局 面はやってくる。うまくいかないこと、悔しいこと、自分の力ではどうしようも ないことは必ず起こるし、どちらに進めばいいか考えても考えても答えがでない日もあるだろう。そんなときに彼の人生を少しだけスムーズに進められるよう に、10年後、20年後の息子へ向けた人生の先輩からの「お小言」を残しておきた いと考え、一冊の本にまとめることにした。 

個人的なエピソードも満載な我が息子へ宛てたメッセージを、あえて本という形で残したのは、私が死んだあとでも、彼に手に取ってもらいたいと考えたから だ。また、彼と同じようにこれから自分の人生を歩んで行く若者たちにも、道に迷ったときの地図や羅針盤として役立ててほしいという気持ちもある。これまでビジネスの指南書としての書籍は何冊か書いてきたけれど、本書は「人生の生き 方」そのものを記したつもりだ。つまり私の「人生の歩き方」、いや「人生の走 り方」である。正直、この本はただ売るためには書いていない。私が死んだ後に 君が読み直してくれるかどうかに、この本を書いたもっとも重要な動機が存在している。

 第1章は、「自分の人生に乗れ」と題し、自分らしい人生を楽しんで生きてい くための考え方を中心に記した。ビジネスやキャリア構築の前にまず、人間として大切な「軸」にあたる部分である。世の中には、いつまでたっても自分を探している夢見る大人が多いものだ。アイルランドの作家、バーナード・ショーは「人生とは自分を見つけることではない。人生とは自分を創ることである」と語っている。いつまでも自分を探してムダな時間を費やすのはやめて、さっさと自分の人生を歩こう。 

 第2章のテーマは「なぜ君は学ぶのか」。学びというものは、学校に通っている間に完結するものでもなければ、机にかじりついてやるお勉強だけでもない。 世界は、学びにあふれている。学ぶことをやめてしまえば、 20代であろうが、頭の中は老人のようにカチカチに固くなってしまうので気をつけてほしい。 

 第3章では家族をテーマにした。人に言わせると、私の家族論は少々独特らし い。私は家族の誰をも大切に思っているが、それぞれを自分とは違う他人だと切 り離して考えてもいる。私は息子たちにとって良い父親であったという自信は全くないが、父親として自分がやるべきことは、悔いのないようにやってきたつもりだし、そのことと、君たち3人の子どもたちがこれまでのところは健やかに育ってくれたことに誇りを持っている。 

 第4章は、「仕事は自らの美学を作る場所」と題し、仕事をしていく上での私なりの美学を残した。これまで何万人ものビジネスパーソンと出会ってきたが、 「かっこいい」仕事をしている人は少ない。これは職種の話ではない。その人が 生きた証明となるような仕事ができるか、誰の記録にも記憶にも残らない仕事し かできないのか。息子たちにはもちろん前者であってほしい。 

 第5章は「男であることを全うする」。男女平等がスタンダードとされる令和の時代に、似つかわしくないむさくるしいテーマだが、父親だからこそ語れることもきっとある。男にとってもっとも大事なものはなんだろうか。時代の空気を読まずに本音を言えば、それは「自己犠牲」である、と私は考える。女性からモテる男性も、部下から慕われるリーダーも、自己犠牲の精神なしにはあり得ない、 といってもいい。もっと分かりやすく言えば、ケチな男は嫌われる、のだ。 
 
 本書に記したのは、あくまで私、田端信太郎のこれまでの47年間の「生き方」 と「考え方」の提示である。すべてをこの通りにする必要はまったくないし、「良いこと言ってるじゃないか、と思った部分だけを、つまみ食いしてくれればそれで 十分だ。本当に大切なのはここに書かれたハウツーでもウンチクでもなく、今、 本書を読んでいるあなたたちが、この本を置いたあとに、何を選択し、どう行動するかだけである。 

 また私と同じように、子どもを持つ親たちにも、「どう子どもを育てるか」の 参考例の一つとして読んでもらえれば、と思う。人生に正解はないように、子育 てにも正解はない。私の子育てに関する言葉に眉をひそめる人もいるかもしれな い。むしろ息子や妻からも「また、余計なことをゴチャゴチャと言っているな」 くらいに思われるかもしれない。しかし、だからこそ、他人であるはずの読者諸君が、親として、父として、この本を通じて、子育てという正解のない営みに対 して、私と何かを共感し、同志と思ってくれるなら、これほど嬉しいことはない。 私たちの息子たち娘たちがこれから大きな選択をする時、大きな壁にぶつかった時、自分の決断に対する後押しがほしかった時、そして、同年代の皆さんが親としての自分に迷いを感じた時、本書を読み、こんな考え方もあるのかと、少しぐらいの気晴らしにしてもらえたら、著者冥利に尽きる。

 さあ、このまま続きを読むか、ここで一度本を置いて、世界を見に出かけるか、 それもあなたの自由である。  

 人生は短く、世界は広い。 さぁ、さっさと決めて歩き出そう。

「自分を探すな 世界を見よう」の「はじめに」より抜粋


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