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『いっしょに ハブられても』

人生のとっても苦しかった時のこと。
誰かに相談したら、自分のせいで、その人も仲間はずれにされてしまうかもしれない。そんな気持ちと一緒に、いろんなことを一人で抱え込んでいたら、笑いながら、こんな言葉をかけてくれた人がいました。

「一緒にハブられても 平気やで」

自分らしくあり続けたいし、自分が大切にしたい人を大切にしたいから、ハブられるとかハブられないとか、そんなことはどうだっていい。僕のことも、僕を仲間外れにする人のことも、自分が大切にしたい人なら、いつだって堂々と大切にする。
ものすごくかっこいいと思ったし、何より、その言葉に助けられました。その瞬間から僕は、ひとりぼっちじゃなかったし、誰かを頼っていいと思えるようになった。

今考えると、自分が閉じていただけじゃないか、自分の視界が狭すぎただけじゃないか、そんな風にも思えます。勇気を出して踏み出せば、世間にはもっといろんな人がいて、中には自分を受け入れてくれる人も居ると気付けたかもしれない。
でも、あの時はそうは思えませんでした。
目に見える閉ざされた世界だけが全てだと信じきっていた。

「そのとき」というのは、
そういうものなのかもしれません。

何度も何度も諦めずに信じて、いろんなアプローチをして、砕けて、傷ついて。そんなことを幾度となく繰り返すうちに、何も信じられなく、そして動けなくなってしまう。目に映る拒絶された世界の、その向こうまで見る力なんて、残っていない。

みんながみんな一緒に仲良くなんて、できなくていいと思います。
でも、人は一人では生きていけない生き物。
一つの輪っかに入れなかった人が孤立する世界は、とても生きづらい。

少しずつずれて重なる、たくさんの小さな輪っかで、みんながゆる〜く繋がっている。そんな風にできたら、みんながもっと堂々と、自分のまんまに、生きていけるんじゃないか。そう思って、とっても短いけれど、「うた」にしてみました。

僕自身が、この気持ちを忘れないために。
学校で、職場で、地域で、
どこかの誰かが堂々と手を差し伸べることを、思い出せるように。

双鴨「 いっしょに ハブられても 」


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