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充実は旅の途中にある

 いつも、いついつも、旅が終わってしまうことは少し悲しかったんです。この旅が、きっとまた始まると思っていたから。終わることなく、続いていくと思っていたから。

 物事にはきっと終わりがあります。私はそれが寂しくて、悲しい。終わってしまえば、それが達成感のようなものを僅かに感じさせるとしても、依然悲しさが姿を消すことはないのです。

 取り組んでいる最中、「あぁもいやだ」と幾度となく思う辛いことがあります。それは私自身の課題であったり、偶発的に起こった状況であったり。でもそれにふと終了の合図を告げられると、私はしんそこあっけにとられてしまう。

「あれ、こんなもんか」。

 こんなもん、ではないのです。渦中にいるときの私は、そんなことを感じていない。感じているはずがない。資格試験の勉強も。受験も。料理も。大掃除も。インターンも。長い長い半期の講義も。終わってしまえば、それっきり。どんなにつらいことがあっても、それが仮に終わる瞬間に立ち会えるのであれば、もう少し頑張れたかもしれないと思うことさえあります。しかし、私は大抵全力をつくしています。

 オルテガ・イ・ガセットの書く「大衆の反逆」という本の中に、こんな一節があるんですよ。

「本当の生の充実は、満足とか達成とか到着にあるのではないのだ。すでにセルバンテスも言っているように、『道中の方が常に旅籠屋よりいい』。自分の望み、理想を成就した時代は、もはやそれ以上望むことなく、願望の泉が涸れてしまっている。」(オルテガ・イ・ガセット、2020、94)

オルテガ・イ・ガセット、2020、「大衆の反逆」(佐々木孝訳)、岩波文庫。

 もちろん、これはある特定の時代の、特定の地域の、特定の背景を持っている人が言っているだけのことです。スペイン出身で、貴族の家生まれの哲学者のおっさんです。所詮、おっさんが言っていることです。でも、私は共感を覚えました(この人の言っていることの背景は失礼ながら全無視します)。『道中の方が常に旅籠屋よりいい』という一言にとても惹かれたんですよ。タイトルは、このセルバンテスの言葉のオマージュです。

 正しいかどうかじゃなくて、「そうだよねッ!」と勝手に私が納得してしまったんです。それだけのこと。終わった瞬間や、何にも取り組んでいない時間ではなく、何かに取り組んでいる時間が楽しんだよなぁって。

 もしかしたら私は、「何かに取り組んでいる瞬間が好き」なのではという仮説を考え着きました。だから、スケジュールが埋まっている状態が好きなのかぁとか。暇な時間が嫌いなのかぁとか。終わった瞬間に虚しさを覚えるのかぁとか。まぁ、そんな思いや行動に繋がるのかもしれないとふと思いました。

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