弱メンタルと、雪と。

そんなことにうつつを抜かしているなら。
自尊感情・自己肯定感と、雪と。

大寒波。
さすがに、ここ札幌も寒いです。この何日かは冷えて手が痛いほどです。

朝、ゴミ捨てついでに雪かきもルーティンになっています。
まだ空が暗い時に、黙々と作業するのですが、案外嫌いじゃない。
私、雪が・冬が好きではないのですが、雪かきに関しては嫌々やったこと、ないかもしれません。
今は札幌、生まれ育ちはこれまた本州ですが豪雪地帯と呼ばれる雪国で。
雪道の運転もイヤ。とっても怖い。雪にまつわるスポーツもイヤ。寒いのに、なぜお金払ってまでもっと寒い場所に行くのか。
何より、雪によってロスする時間や、足元の悪さで散歩できないのもイヤ。
いやいや尽くしで、雪国から逃げた結果がさらなる北国という(笑)
嫌だと思えば思うほど、追いかけてくるのは世の理ですかね。
まあ、そのくらいイヤなんですが、不思議と雪かきを苦にしない理由を考えてみたのです。

雪かきって、成果がものすごくわかりやすいんです。
やればやっただけ、労力の分は絶対に、そこに結果が見て取れる。
で、黙々と雪かきを進めるでしょ。
すると、まあ、邪心が無くなる(笑)結構力も要りますし、何より目の前に集中しています。
五感はフル稼働、他に想いを馳せるにも、なかなかそうはいきません。全身を使いますので。

そして、結構リズム良く体を動かす運動要素があります。
カンの良い方はお気づきでしょう。
ネガティブ思考や抑うつや鬱々した状況や、過食や依存へのストレスからの逃避や、欲求不満やフラストレーションが溜まった時の発散には本当にもってこいという。
ちなみに、人目も気にしません。過食や醜態恐怖や視線恐怖がある時って、ちょっと散歩も困難です。
目が気になる。どう見られるか。どう思われるか。そんなの、誰もなんとも何ですが、メンタル不調なんてそんな誤作動はあるあるです。
でもね、雪かきって、すごい強度の高い運動行動にもかかわらず、人目いっさい心配無用という。
しかもだいたい朝とか日中に、仕事でなければ夜夜中にする作業でもないので、一晩で積もった雪をどかす作業である雪かきは、お日様にも当たるわけです。例え曇っていても、日の出時間や昼間のゆるい光と出会いますね。

私、過食に悩まされてたり、メンタル不具合での経験をちょいちょいブログで書いていますが、なかなか生育環境や家庭環境なんかに恵まれず、ある種自力で立て直してきたのです。
本質的に、私自身頑丈だったってことも大きいのでしょうが、メンタルクリニックやカウンセリング・カウンセラーも良いご縁が無く、そうせざるを得なかったこともあります。

よく生きたなって思うくらい、本当に生命力に乏しく、死にたいより消えたいの過去でした、はい。
でも、いろんな幸運も重なり、子供を授かり生きる理由が生まれたことで、メキメキ元気になってきて。
今はものすごく強い人間みたいになっていますが、ベースはそんなものです。
ですから、バランスを崩さぬよう、最新の注意と自分へ気配りで、今を生きています。
そんな私がこれは!と思ったのが、そう、雪かきなんです。

以前、自己肯定感や自己受容についても私見を述べました。
ボランティア、他人からのありがとうでなく、自分の生である時間と身体を使い、人のために人の役に立つという考え方です。
それにも通じることもあります。
自分の行いが目に見えてわかること。
そして、それは労と結果が連動すること。
これに、除雪ボランティアなんかに参加すれば、一冬でひと回り大きくもなれるのに!と、本気で考えています。
雪国なんかは、高齢化や過疎も進み、雪かきは重労働かつ危険な作業でもあります。
その地にずっと暮らす高齢者などは、雪のない地域からしたら想像を超えるご苦労を抱えてお過ごしです。
自分探しや、自分だけの自己肯定感や自己受容に悩み、自分の存在や命に「無駄に」悩み時間を浪費するなら、そんなことに自分の命や労を使えばいいのに。
なんて、意地悪なことを思う、寒波襲来でした。


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