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【実家の片づけ】死んだ親からのメッセージ?失ってから気づく大切なモノ

ちょっとした気まぐれでnoteを再開した。そして、今まであまり書いてこなかったプライベートな部分を書いてみることに。

なぜ、そんな気分になったか?

それは、親が亡くなり「実家をどうする問題」に直面してしまったから。遺品整理、空き家となった実家をどうするか?何をどうしたら良いのかサッパリ分からない、不安でいっぱいだ。だからこそ、逆に心境を書きたくなったのだ。…と思う。

前回のnoteで書いたが、1月から実家の片づけを始めた。すると戸棚から、父が残した用紙が大量に出て来た。そこには生前、父が勉強したであろう人生訓やビジネスに関する教えが沢山書かれていた。

もし、父が生きている時に「これを読みなさい」と手渡されたら、きっと読まないだろう。でも、今はしみじみと読んでしまう。

不思議なもので、亡き親の言葉のように感じる。

親父が生きていたら読まない、死んでしまった後は有難く読む。自分でも何だそれ…って思うほど滑稽である。生きている者より偉大なのか?そんなはずはない。根本的な大事な部分がズレている。

失ってから大事なモノだと気づく。他にも、もっと親の言うことを真剣に聞いておけば良かったと今にして思う。バカだなぁ~本当に。

タイトルは「改札での出来事」

「改札での出来事」
朝の通勤時のことです。駅の自動改札口を通ろうとしたA子さんの前で、ある女性がIC定期券を改札機にタッチして通過しようとしました。

ところが、タッチする時間が短すぎたのだろうか、その瞬間、警告音が鳴り改札口のゲートが閉まりました。すると、女性は苛立った様子で、手にしていた定期券を思いっきり叩きつけて、通過して行ったのです。

一部始終を見ていたA子さんは、その女性のあまりにも乱暴な振る舞いに驚き、ひどく不快な気分に襲われました。

A子さんは、(不快感をこのまま職場に持ち込んではいけない)と思い、(この出来事から、何を学ぶことが出来るのだろうか)と、自己にといかけてみました。そして、マイナスの感情を露わ(あらわ)にすることの下品さと、八つ当たりすることの醜さに思い至りました。A子さんは、(私も同じようなことをしてきたこもしれない。これからは、こうしたことはやめよう)と心したのです。

A子さんは不快感が来て、スッキリした気分で職場に向かったのです。

出典:不明(家の戸棚から出て来た印刷されたプリントより)

そして、父の字で「人のふり見て我がふり直せ」とある。

なるほど…気を付けよう。大人になると、正しく注意してくれる人が少なくなる。子供の頃は「うるさいなぁ~」と思っていた親の言葉。今にして思うのは「あれは贅沢な時間だったのだ」ということ。

実家に戻って掃除をする度に、1枚読むことにした。実家の片づけは大変だけど、その大変さ以上に感謝を持ってやりたい。

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