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非日常から日常への旅。東京行き「サンライズ瀬戸」に乗って

香川県で讃岐うどんのお店を巡った帰り、寝台特急の「サンライズ瀬戸」に乗った。

実は、香川県へ行こうと思ったきっかけは、この列車に乗りたかったからなのだ。

関東に住む人にとって、寝台特急サンライズに乗るとき、下りに乗るか上りに乗るかの選択は、わりと重要かもしれない。

東京発の下りに乗れば、日常から非日常への移り変わりを楽しめる。それに対して、東京行きの上りに乗れば、非日常から日常へと戻っていく時間を味わえる。

どっちに乗ろうか迷った末、僕は東京行きの上りに乗ることにした。

列車の窓に映る夜景をのんびり眺めながら、香川県の旅の思い出を振り返るのもいいかもしれない、と思ったのだ。

けれど、21時26分に高松駅を出発した「サンライズ瀬戸」に乗り、寝台車の個室から夜景が流れるのを見ていた僕は、少し後悔していた。

夜景と呼ぶにはあまりにも暗すぎる風景で、東京発の下りに乗った方が夜の風景をもっと楽しめたのかな、と。

それでも、瀬戸大橋の上から眺める工業地帯の輝き、そして神戸や大阪の市街地に瞬く色とりどりのネオンは美しかった。

やがて、大阪駅を出発すると、旅の思い出を振り返ることもせずに、眠りに落ちてしまった。

朝、眩しい日差しを感じて目を開けると、列車は静岡県の沼津の辺りを走っていた。

車窓からは、この日に初冠雪を観測したという富士山の雄姿も見られた。まさに「サンライズ」の名のとおり、朝日に照らされてオレンジ色に輝く街並みも幻想的だ。

そして列車は、静岡県を抜けると、僕の住む神奈川県へ入った。

小田原、平塚、茅ヶ崎……、馴染み深い駅をいくつも通過して、やがて僕の暮らしている市に入っていく。

窓の向こうには、いつもと変わらない朝の街並みが広がっている。よく車で走る道がまっすぐに続き、よく車を停める駐車場の建物も見える。何十回、いや何百回と乗り降りしてきたターミナル駅を通り過ぎると、たまに行く家電量販店や書店、新しい市役所の建物が車窓を流れていく。

そのとき、不思議な気持ちに包まれた。

列車の窓の外にあるのは、飽きるくらい見てきた日常の風景だった。それなのに、寝台列車という非日常の空間から見ると、まるで知らない旅先の風景を見ているような気持ちになったのだ。

とても近しい風景のはずなのに、なんだかとても遠い。そして、不思議なくらいに、美しかった。日常では感じることのない煌めきを、僕の暮らしている街に感じ取ったのだ。

あっという間に流れていった街並みを思い返しながら、僕はあの街で暮らしているんだな、とふと思った。

しばらくすると、列車は横浜駅に停車し、終着点である東京駅を目指して走っていく。

神奈川県に住む僕にとって、東京駅まで行くべき理由はなかったけれど、せっかくなら全区間を乗り通してみたいと思い、その終着点まで乗ることにしたのだ。

ベッドのシーツを直したり、荷物を整理したりしているうちに、車窓に都心のビル群が流れるようになる。そして7時8分、列車はあっけなく東京駅に到着した。

「サンライズ瀬戸」が着いたのは、東京駅の8番線ホームだった。列車から降りた乗客の中には、スマホで列車の写真を撮影してから、ホームをあとにしていく人も多い。鉄道ファンらしい若者たちが、楽しそうに写真を撮っている姿もあった。

僕も彼らに混じって列車の写真を撮ると、9時間あまり乗った「サンライズ瀬戸」に別れを告げて、ホームをあとにしようとした。

その瞬間、目の前に広がっていた光景を見て、あっと思わず声を出しそうになった。

「サンライズ瀬戸」が停まっている8番線の反対側には、7番線があった。そこに上野東京ラインの列車が到着し、たくさんの通勤客が一斉に降りてきたのだ。「サンライズ瀬戸」に目をくれることもなく、彼らはホームの階段を降りていく。

目の前にあったのは、非日常と日常の境界線だった。

僕のいる8番線側には、のんびりした非日常の時間が流れている。それに対して、7番線側には、忙しい朝の日常が流れていたのだ。

こんなにも、非日常と日常が隣り合っているものだとは知らなかった。

それは考えようによっては、ちょっと残酷な光景でもあったけれど、同時に、誰もが自由に非日常と日常を行き来できることの証明でもあった。

目の前の光景をしばらく見つめてから、僕は通勤客の人波の中へ入っていった。

そして、非日常から日常へと、一瞬で移動したのだ。

「サンライズ瀬戸」に乗って、不思議な非日常の時間を過ごしたことで、ひとつ気づけたことがある。

旅というものは、日常から非日常へ行くことよりも、非日常から日常を思うこと、そして非日常から日常へ帰ることに、大きな意味があるのではないか、と。

多くの人にとって、旅は非日常のものに過ぎない。その時間よりもずっと長い日常を、当たり前に生きている。

そんな日常が少し色褪せて見えたとき、あるいは息苦しく感じたとき、非日常の旅へ出てみる。

きっと、その旅が与えてくれるのは、非日常の輝きとともに、日常の煌めきでもあると思うのだ。

暮らしている街、やっている仕事、いつもいる家族、将来のあれこれ。旅の非日常から見つめると、そうした日常の大切さを、ふと心から思える瞬間がある。あの朝、車窓を流れる街の日常が、不思議と煌めいて見えたように。

そして、非日常から日常へ帰るとき、旅はほんの少しだけ、背中をそっと後押ししてくれるような気がするのだ。

またいつだって、非日常の世界へ行くことができる。だからそれまでの日々、ちょっと日常を頑張ってみよう、と。それもまた、あの東京駅のホームで、非日常から日常へと一瞬で移動したみたいに。

非日常の旅は、当たり前の日常を煌めかせ、日常を生きる自分を励ましてくれる。

だからこそ、長い人生において、旅へ出ることは、愛おしいくらい大切なものなのかもしれない。

「サンライズ瀬戸」で過ごした時間が気づかせてくれたのは、非日常と日常をめぐる、そんな旅の秘密だった。

旅の素晴らしさを、これからも伝えていきたいと思っています。記事のシェアや、フォローもお待ちしております。スキを頂けるだけでも嬉しいです!