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もしタイムマシーンがあったなら、『深夜特急』の頃の香港へ行きたい

村上春樹さんの紀行文に、「もしタイムマシーンがあったなら」という短編がある。

もしタイムマシーンがあって、それを一度だけ好きに使っていいと言われたら、あなたはどんなことをしたいですか?

村上春樹『ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集』文藝春秋、115ページ

そんな書き出しで始まる紀行文の中で、村上さんは、1954年のニューヨークに飛んで、当時のジャズクラブに行きたい、と語っている。

さて、その紀行文を読み終えた僕は、もちろん思い巡らすことになった。

はたして僕だったら、一度きりのタイムマシーンで、どこへ行きたいと思うのだろう、と。

正直、今の世界を旅できるだけで十分、と満足している僕は、過去の世界へ行きたいとはあまり思わない。

フランス革命の只中のパリへも、ゴールドラッシュに湧くカリフォルニアへも、破壊される前のバーミヤン遺跡へも、あえて行きたい気持ちもない。

でも、そんな僕にも、もしタイムマシーンがあったなら、たったひとつだけ行ってみたい場所がある。

それは、1970年代の香港だ。

今から約50年前の香港……それはすなわち、沢木耕太郎さんの『深夜特急』で描かれた頃の、「夢の街」なのだ。

僕が初めて香港を訪れたのは、今から14年前、2010年のことだった。

その頃の香港には、まだかろうじて、『深夜特急』の時代の残り香……あるいは最後の灯火……のようなものがあった。

もちろん、スラム街だった九龍城砦は取り壊され、主権はイギリスから中国へと移譲し、市街地にあった啓徳空港は閉港した後だ。

それでも、ランタオ島に新たに開港した香港国際空港に降り立ち、名物の2階建てバスに乗ってネイザンロードに入ったとき、心が震えたものだった。

高層階でも窓の外に洗濯物が干された古いアパート、ぶつかりそうなくらいの路上に連なる派手なネオン看板、クラクションを響かせながら行き交うバスやタクシー、そして果てしない雑踏……。

ずっと憧れていた香港にとうとうやって来たんだ、と胸が高鳴ったことを今も覚えている。

尖沙咀の重慶大厦には、どこか怪しく、いかにもカオスな雰囲気が漂っていた。

治安が悪いと聞いていたので、ビクビクしながら中へ入り、無事に両替ができたときにはホッとした。

ビルの外壁には、もしかすると『深夜特急』に出てくる安宿なのかもしれない「GOLDEN GUEST HOUSE」の文字が残っていたし、エレベーターに乗れば、何人ものインド人が乗り込んできて、カレーの匂いが強く香った。

ビクトリア・ハーバーの向こうに望む香港島の夜景も鮮やかだったし、スターフェリーには2等なら約22円で乗れて、贅沢なクルーズを楽しむことができた。

さらに感激したのは、廟街のナイトマーケットだった。

ここもまた、『深夜特急』の時代に比べれば、だいぶ賑わいはなくなっていただろう。

でも、夜の露店には温かなオレンジ色の裸電球が灯り、その懐かしげな光に照らされ、何だかよくわからない品々が並ぶ中を、人々が楽しそうに行き交っていた。

『深夜特急』の頃の賑わいを想像できるだけの風情が、まだ廟街には残っていたのだ。

僕は旅を終えるとき、ちょっと寂しい気持ちと、でもちょっと嬉しい気持ちとを胸に、香港をあとにした。

もう『深夜特急』の時代の香港は遠いものになりつつあることの寂しさと、それでもどうにか、消えつつある魅惑的な香港に触れることのできた嬉しさと、それぞれを胸に。

その7年後、2017年に香港を再訪したとき、僕は驚いた。

あの香港が、大きく変わっていたからだ。

いや、香港島の夜景が少し寂しくなっていたとか、スターフェリーの運賃が約32円に上がっていたとか、そんなことは別によかった。

ただ、世界中で香港にしかなかったはずの魅力が、だいぶ薄くなっているように感じたのだ。

それはなにより、路上にあれほど連なっていたネオン看板の数々が、ほとんど消滅していたことが雄弁に物語っていた。

バスがネイザンロードに入ったとき、この道が本当にあのネイザンロードなのだろうか……と疑ってしまったほどだった。

どうやら、僕が最初に訪れた2010年から法律が改正され、年々ネオン看板が撤去されていったらしい。

怪しげだった重慶大厦も、ほとんど健全に見える雑居ビルに姿を変えていた。

外観も新築のオフィスのように綺麗になり、あの安宿の文字もすっかり消えていた。

そして廟街も、残念なことに変わっていた。

ナイトマーケットはまだ存在し、変わらずに観光客は行き交っていた。

ところが、オレンジ色の裸電球が白色の蛍光灯へと変わったことで、あのワクワクするような夜の風情がすっかりなくなっていたのだ。

その旅で、僕はあらためて気づくことになった。

同じ土地へ旅に出ても、同じ土地を旅できるわけではないのだ、ということに。

香港が、あの香港ではなく、どこにでもあるただの都市になってしまったような気がした。

たぶん、『深夜特急』の時代の香港は、さらに遠い彼方に過ぎ去ってしまったのだろう。

変わってしまった香港を歩きながら、それでもときに、化石みたいに残るネオン看板を路上に見つけると、目に焼き付けるように見上げてしまう自分もいた。

沢木耕太郎さんは『深夜特急』で、当時の香港について、こんなふうに書いている。

香港は毎日が祭りのようだった。

沢木耕太郎『深夜特急1―香港・マカオ―』新潮文庫、103ページ

もしタイムマシーンがあったなら、1970年代に飛んで、「毎日が祭りのようだった」という香港を、ひたすら歩いてみたい。

重慶大厦の安宿に泊まり、ネイザンロードのネオンを浴び、スターフェリーにただ揺られ、廟街のナイトマーケットの熱に浸りたい。

それはもう、今の香港ではできない……だからタイムマシーンがないとできない、夢のような旅なのだ。

旅の素晴らしさを、これからも伝えていきたいと思っています。記事のシェアや、フォローもお待ちしております。スキを頂けるだけでも嬉しいです!